(※2017年(平成29年)12月20日から、2020年(新元号2年)3月22日までは、占星術の世界において、山羊座土星の時代といわれています。2年と3か月の期間に及ぶ山羊座土星時代になってから、既に11か月が過ぎてしまいましたが、その影響は既に地球全体に多大な影響を及ぼしているとの実感が私自身強まり、さらに2019年(平成31年)1月頃からは、やはり占星術において、「無制限な愛の力でありながら、かつ、最も破壊的な宇宙の力でもある」と定義される冥王星と土星との山羊座におけるコンジャンクション(「合。天体同士が重なる状態」)が始まる(2020年3月頃から土星は水瓶座に移動しますが、山羊座冥王星と水瓶座土星とのコンジャンクションは、2021年1月頃まで続きます)ことから、世界各国において(日本においては、2019年5月に皇位継承が予定されていますが)、何らかの形でその影響力がさらに強まると予測されます。本ブログにおける「イエスから宇宙の叡智を学ぶエソテリックスクール編」では、これまでその第1回(2017.9/3,4)、第2回(2017.10/7,8)までを私自身の検証を加えながら紹介してきましたが、上記の理由により、イエス様が山羊座土星時代について述べられていた、第5回(2018.1/6,7)を、緊急企画的に先行して紹介することとし、その後、第3回(2017.11/4,5)、第4回(2017.12/2,3)、第6回(2018.2/3,4)分を続編として紹介することとします。)

 

 平成30(2018)年1月6日と7日の2日間は、東京都目黒区においてAitreeの主催により開催された、その過去生がサアラという名前のイエスの娘であった時の記憶を有し、かつワンダラー(ETソウル、宇宙人の魂が地球人に生まれ変わって地球人になっている人)でもあるサアラさんによるチャネル(イエスがサアラさんにウオークインする)により行われた、イエスによるエソテリックスクール(全6回のうち、第5回目)に参加してきました。

 

 1月6日の授業(本ブログ本編その1、2参照)における、イエス様からの課題は、以下の通りでした。

 

「では、考えてもらいたい。土星は、無駄なことを嫌う。あなたに不必要なものをあなたが請け負うことを嫌う。そして、土星は、あなたが必要なものを明確化にし、優先順位をきっちりと、分けることを好んでいる。だとすれば、あなたは、不必要なものがなにかを考えなければならない。今手放すものはいったい何か。今日はこのことについて考えてもらいたい。もちろん個々に個別にだ。自分にとって、不必要なもの必要なものがあるはずだ。しかしそれを考える前に、これはチャレンジだ。今あなた方にとって、つまりあなた方、自分だけではない。あなた方とはこのクラスの仲間たちという意味にとっても構わないし、あなた方日本人としてもいいだろう。あるいはあなた方地球人類と考えても構わない。いずれにしても自分だけではない。あなた方にとって手放すものは何か。もう不必要になったことは一体何か。新しいエネルギーが今、怒濤のごとく押し寄せている。その時代にもうあなたは乗っている。その中で古いものを持ち越しては残念だ。土星が敷いてくれる制限とは違う、あなたの不必要な概念から来る制限は、さっきも言ったとおりだ。あなたを傷つけてしまう。過去の経験にもうピリオドをうつべきだ。その経験から得た智恵だけをもって先に進むべきだ。だから今ここで明確にする必要がある。あなたが手放すべきもの、持っていくもの、これはどちらなのか。では近くの仲間と話し合ってみるといい。二人は寂しいだろう。三人、もしくは四人のグループになって話し合ってみるといい。これからのあなたの人生にとって、あるいはこれから先地球の新しい可能性において、何を持っていくべきなのか、何を優先すべきなのか。何を大切に温存すべきことなのか。そして何が手放すべきことなのか。これについて話し合ってほしい。さあ始めなさい。」

 

 さて、それでは今回の山羊座土星時代【2017年(平成29年)12月20日~2020年(新元号2年)3月22日(2019年(平成31年)1月頃から始まり、2020年3月頃まで続く冥王星と土星との山羊座におけるコンジャンクション期を含む)】から、水瓶座土星時代【2020年(新元号2年)3月22日~2023年3月7日(2021年1月頃まで続く、山羊座冥王星と水瓶座土星とのコンジャンクション期を含む)】にかけては、どのようなことがおこりうるのでしょうか。 

 

 本題(イエス様から与えられた課題)に臨む前提条件として、前回の山羊座土星時代(1989年1月~1991年2月)の日本の状況(前回は昭和天皇の崩御による皇位継承、「ジャパンアズナンバーワン」と呼ばれた空前の好景気及びバブル経済の崩壊でした。)、すでに世界中にその影響を及ぼしている魚座海王星(2012年2月~2025年3月)の影響について、西洋占星術の観点から概観してきましたが、もう一つの重要な前提条件として、山羊座冥王星(2008年11月~2024年1月)の影響があります。

 

  山羊座冥王星時代がはじまる前は、射手座冥王星時代(1995年~2008年)、蠍座冥王星時代(1984年~1995年)でした。

 

 射手座冥王星時代(1995年~2008年)には、私の身にどのようなことがおこっていたのでしょうか。私自身の自分史そのものであるこのブログで検証してみましょう。

 

「射手座は獣帯の9番目のサインであり、人間の成長の9番目の段階を表している。射手座は最初の「トランスパーソナル」なサインであり、そこで人間は共同体のより大きな社会的構造や宇宙の究極の状態との関係性を探求し始める。蠍座において、根源的で情動的なレベルにおける他者との融合の際に、少なくとも一瞬の間、自我の死を体験する。自己の感覚を完全に失い、宇宙の中ですべての人々やすべてのものを結びつけている魂の記憶と再びつながる。このプロセスの最後で、わたしたちは再生し、そして再び分離と個の幻影の中へ巻き込まれる。たった今、わたしたちは生まれ変わり、すべて他者が同じ希望、同じ欲求、同じ夢、同じ情動を持っているという新たな理解を獲得した。こうした段階から射手座は始まる。これは控えめに言っても、目を見張るような経験である!この射手座の段階に至るまで、他者や人間関係に関するわたしたちの理解は、いまだほんのわずかなものでしかない。蠍座を通して情動のレベルにいったんつながるなら、わたしたちはさらに偉大な何かの一部であることを完全に理解することになる。射手座はこのことをさらに追及し、物事のより大きな枠組みの中に、個としての自分がどのように調和していくかを見つけ出していこうとする。射手座は変化で火のサインである。火のサインとして射手座はアイデンティティを求めることと関連する。変化のサインとして射手座は回復(ヒーリング)と完成に関わる。すなわち、射手座は自分のアイデンティティの完成と関係しているのである。射手座は成長と拡張の惑星である木星によってルールされている。そのため、射手座はいつも新たな経験や新しい情報を探し求める。射手座と関連した神話上の象徴が、半分人間で半分馬のケンタウロスであることを覚えておくことは重要である。宇宙の中での自分の場所を理解していこうとする射手座でのプロセスの一部には、自分の中にある神的性質に自らの動物的性質を融和させていくことが含まれている。射手座のエネルギーは肉体的な喜びや活動へと向かっていくのと同様に、哲学、霊性、宗教を探求することに満足を見出す。そのため、射手座の究極の課題のひとつは、そのふたつをいかに統合するのかを学ぶことにある。拡張、成長、自由の惑星である木星によって射手座はルールされている。木星のように射手座は、全体像にのみ関心を持つ半面、しばしば細かなことに我慢できない。また、木星の影響は射手座に世界での経験を求めさせる。射手座は旅や探検、また新たな人々と出会うことを好む。木星のように射手座は、新しいアイデアやコンセプトを吸収することに向いている。射手座は理想主義的であり、その信念に固執する傾向を持っているけれども(変化のサインにとって珍しい特性である)、新たな情報に適応するためには信念全体を見直し修正することもいとわない。なぜなら、それが究極の真実を理解することへ射手座を近づける助けとなるためである。人生が与えてくれるすべてのものに対する途方もなく大きな熱意と広い愛を発揮する射手座のエネルギーは、木星の影響から恩恵を受けているのである。しかしながら、射手座ははた迷惑な乱暴者にもなりうる。そしてその熱意とエネルギーは、しばしば他者の欲求と感覚に対して鈍感にさせてしまう。また、射手座は世渡りが下手なことでも、よく知られている~それは真実への射手座の絶対的な献身からくるものでもある。射手座が学ばなければならないことは、自分自身は容易に感情を傷つけられることはないとしても、誰もがそうではないということだ!射手座は細部を身落とす傾向も持っている。また対立する考えを考慮することなく、信念にあまりにも没頭しがちである。自由のための射手座の欲求は、ときとして関係性を維持するために必要となる譲歩を拒むこともある。射手座が自らの信念に適合しない状況に直面したときは、それに固執し無理やり適応させるよりも、単にそれ自体を手放し立ち去ることのほうが、状況を好ましいものとする場合もあるだろう。」

 

(ケヴィン・バーク著/伊泉龍一訳 「占星術完全ガイド」より)

 

 蠍座冥王星時代(1984~1995)から始まった(本タイトルその15参照)私の代謝異常体質(ニキビ状のクリーム色の吹き出物が流星状または彗星状に顔から吹き出てくるため、身体に栄養分が充分に吸収されず、常に衰弱している)でしたが、1995年になり、射手座冥王星時代(1995年~2008年)が始まると、私自身がネイティブスピーカーによる英会話を始めたことがきっかけで、私自身のDNAが活性化しだし、DNAアクティベーションによって活性化されたDNAが、インシュリンを作れという指示を出し始めたため、細胞による糖の取り込みが促進され、グリコーゲンを合成するようになったため、脂肪が蓄積される体質に変化したのでしょう。その結果20年近くにわたって悩み続けたニキビ状吹き出物はほとんど出なくなったことに加え、体重も58キロから70キロと飛躍的に増加し、生まれて初めて身体に脂肪がつくという経験をすることとなりました。長年悩まされたニキビ状吹き出物は、糖分だったことになります。イエス・キリストの生誕から2000年という記念すべき年、私自身も長年苦しめられた代謝異常から解放されることになりました。

 

「一年間の経理事務員の東京留学を終え、平成8年(1996年)の4月(30歳の記念すべき年でした)から再び岩手県盛岡市で経理事務員としての再スタートをきった私でしたが、持病であった代謝異常体質(ニキビ状のクリーム色の吹き出物が流星状または彗星状に顔から吹き出てくるため、身体に栄養分が充分に吸収されず、常に衰弱している)に加え、健康診断では尿検査の糖が昨年に続きプラスとなったことから、平成元年に沢登りで滝から滑落して以来、中止していた山登りを一念発起して再開することとしました。

週休日の土日には岩手山や早池峰山、和賀岳、焼石岳、栗駒山等、岩手県内の代表的な山に登り、帰りには麓の温泉につかることとし、冬には主に夏油高原スキー場に毎週通い続けたのです。このような生活を平成8年から平成9年の二年間にわたり続けた結果、さすがに血糖値は劇的な改善があり、加えて彗星状ニキビも出てこなくなったのですが、流星状ニキビだけは相も変わらず顔じゅうから吹きだし続け、代謝異常の根本的な改善策とはなりませんでした。

加えて毎週土日には岩手の山中に籠り続けていたため、日常の生活が全く落ち着かず、困り果てていたのですが、実家のある岩手県奥州市(特に奥州市水沢区はシーボルトから医学蘭学を学んだ高野長英、関東大震災の際、東京市長となり、復興に尽力した後藤新平、海軍大将、首相、内大臣を歴任するも、二・二六事件の際、陸軍青年将校クーデターによる凶弾に倒れた斎藤実が三偉人として有名である。)に帰省していたある日、三偉人の一人である斎藤実記念館に行ってみようとふと思いつき、記念館内に展示されていた陸軍将校の機関銃の弾痕が残る血染めの鏡台、世界中の君主や首長から贈呈された勲章の数々などに見入っていたのですが、斎藤実が当時の海軍からアメリカ合衆国に留学生として派遣される際、英語の学習をした時に使ったと思われる英語の筆記体で綴られたノートにふと目がとまりました。斎藤実の直筆の筆記体による英文の筆跡が、なんと私が高校生だったころに英語の学習をしていた時の筆跡と酷似していたのです。

当時私の筆跡はなぜか英文の方が日本文よりも達筆で、今の高校生のようにネイティブのALTも不在でしたし、大学在籍時も山登りにかまけて英語の勉強もほとんどできなかったのですが、なぜか英語の成績がいちばんよく、大学でもほとんどA評価の成績でした。今では数多くの霊能者の鑑定士の方々から私の前世は英国人だったとの鑑定をうけ、不思議でもなんともなくなったのですが、当時の私にとっては地方の片田舎で生まれた生粋の日本人が英語を使いこなせていたという事実は脅威であり、私自身が遅ればせながら英会話を習い始めるきっかけとしては十分な動機となりました。」

 

(本ブログ「シータヒーリングDNA活性化について その7」より)

 

「出身地である岩手県奥州市の三偉人の一人である斎藤実(海軍大将、首相、内大臣を歴任するも二・二六事件により当時の陸軍青年将校を中心とするクーデターで暗殺された)からインスピレーションを得て、私の勤務地が所在する岩手県盛岡市にもあった全国各主要都市に多数の英会話スクール(現在は英語のほか、独、仏、中国語等、多数の言語がインターネット回線によりネイティブスピーカーから履修可能となっています。)で英会話を習い始めたのは、平成10年(1998年)の5月でした。

初めて英会話のレッスンを受けたのは、当時の勤務地のあった盛岡市で勤務を終えてからの夕方でした。40分間のネイティブスピーカーのレッスンを受けた後、脳に激痛を覚え、その激痛は一晩中続いたものの、不思議なことに朝になるとその激痛は全く消えていました。(私と同時期に英会話を始めた人のなかには、鼓膜を破ってしまった人もいましたので、英会話をこれから始める方は十分気をつけてください。)私の場合は、それ以来、週三回のペースでレッスンを受けるようになりました。というのも、レッスンを受ける度に頭上から光がさし、何かに頭をなでられているような感覚があったからです。多分英国人だったという前世の私(後日複数の霊能者に鑑定を受けた際、どの方からも私の前世は英国人だったという鑑定結果だった)が誘導してくれていたのだと思います。

ヴァイアナスタイバルさんのシータヒーリングDNA活性化テクニック的に分析すると、私の場合英会話を始めたことがきっかけで、脳の松果体が目覚めたのだと思います。(私が英会話を始めた際に激痛を覚えた位置も、松果体のある附近でした。松果体が睡眠を促進するメラトニンを生成していることは現代科学でも立証されていますが、私の場合、洋楽でも映画でも、英語のリスニングをはじめたとたん、松果体がメラトニンの生成を始めるのかすぐに眠気をもよおしてしまい、現在でも夜眠りに就く際は、英語のリスニングをしながら眠りに就くようにしています。このことは、私が英会話を始めた際に活性化を始めた脳の箇所が、他の部分ではなく松果体なのだという推測の根拠になると私は確信しています。

シータヒーリングDNA活性化テクニックが、スピリチュアルだけでなく、現代科学的にも立証されうるのではないかというような現象は、その後私の体内で次から次へと顕現していくことになりました。」
 

(本ブログ「シータヒーリング DNA活性化について その8」より )

 

「平成6(1994)年4月から平成11年3月まで、平成7(1995)年の一年間の東京留学を除く四年間を過ごした岩手県盛岡市を離れた私は、平成11(1999)年4月、岩手県釜石市に転勤となりました。釜石市では、平成11年4月から平成15(2003)年までの4年間経理事務員として勤務することとなるのですが、皆さん御存知のとおり、岩手県釜石市等東北地方の沿岸部諸都市は、平成23(2011)年3月11日の東日本大震災による大津波で甚大な被害を被ることとなります。

当時の釜石市は、新日鉄釜石が外国からの安価な鉄の輸入が中心になった影響から鉄の生産を中止したことで、意気消沈した雰囲気でしたが、それでも新日鉄釜石ラグビー部(現在は釜石シーウェーブスと名称を変更)が7連覇を達成したり、まだまだこれから巻き返すぞという雰囲気でしたし、被災後の現在においても、平成27(2015)年7月、橋野鉄鉱山が産業遺産としてユネスコの世界遺産に指定されたり、平成31(2019)年のラグビーワールドカップの開催が決定されたりと、復興の先進地的役割を果たす都市となっています。

そのころの私は釜石市で何をしていたかというと、土日の休日は一年前に始めた盛岡市のスクールに通い英会話を続ける傍ら、釜石市ではテレビ放送の受信状態が悪いことからケープルテレビが一般家庭でも普及していたのですが、なんとNHKの衛星放送の他にもCNNや洋画が24時間ネイティブで聞くことができたため、英会話能力の向上による私のDNA活性化は本格的となり、その結果20年近くにわたって悩み続けたニキビ状吹き出物はほとんど出なくなったことに加え、体重も58キロから70キロと飛躍的に増加し、生まれて初めて身体に脂肪がつくという経験をすることとなりました。

現代科学ではまだ解明されていないと思いますのでシータヒーリングDNA活性化テクニック的に私の身体に何が起こったかを説明するとこうなります。脳の松果体の内部にはマスター細胞と呼ばれるものがあり、全身のほかの細胞にとって指令室のような働きをし、髪の色から足の指先の動きまで肉体のすべてを司るのですが、その23組46本の染色体の中には「若さと元気の染色体」という1組2本の染色体があり、影のストランドという記憶の材料を含んでいます。創造主は染色体の梯子の部分を組み合わせ、影のストランドという物理的な形状を形成し、その上にテロメア(染色体末端部位)というキャップを付け、DNAアクティベーションによって活性化されたマスター細胞は全身のDNAに行きわたるといったプロセスになります。

私個人の場合であれば、DNAアクティベーションによって活性化されたDNAが、インシュリンを作れという指示を出し始めたため、細胞による糖の取り込みが促進され、グリコーゲンを合成するようになったため、脂肪が蓄積される体質に変化したのでしょう。長年悩まされたニキビ状吹き出物は、糖分だったことになります。イエス・キリストの生誕から2000年という記念すべき年、私自身も長年苦しめられた代謝異常から解放されたことになりますが、イエスは主に西欧文明に対する啓蒙を目的として生誕した人物だったということを忘れてはならないでしょう。西暦2000年を境とし、脂質異常症(コレステロール高値)と適応障害(この障害に苦しんでいる超有名人がいらっしゃいますね)の克服という難しい課題がその後の私を待ちかまえていました。」
(本ブログ「シータヒーリング DNA活性化について その9」より )