俺と幸福論 | しかし、誰も聞いていなかった。

俺と幸福論

飛んでいるのではない空に落ちていくだけさのブログ






     俺と幸福論

    今回はドルフ以外の話。ドルフの話が言い方はまた次回。

    それ以外は、AKB48のメンバーが新しくブログを始めたらしいので、

    そちらを読んでください。きっと新しい発見があるはずです。 





     いきなりですが、幸福って聞いて皆さんどう思いますか?

      


     すばらしいもの?

     バラ色の未来?


     手放しで歓迎できるもの?


 


     じゃあ、相田みつをなどの幸福論は?


      ためになる?


      大好き?





      僕は大嫌いです。





    僕はこの幸福という言葉を文字にされるとなんか偽善くさく、学校の道徳めいた臭いが鼻について仕方がな   い。つまりは大嫌いです。


    わかりきったことしか言わない、ためにならない言葉だと思っています。


 


    とはいっても、普通の会話ででるような些細な幸福、つまり風呂に入ったときに感じる幸福感や、暑い日に冷   たいものを飲む喜び、仕事終わりに飲むビ ールの


   ひと時の幸せ。感覚的に感じるものを否定するわけではないです。


    幸福論という奴が問題なのです。


 


   アランの「幸福論」(サムス・アランではない方)や、相田みつをの詩どころか


  いたるところで見る「幸福のヒント集」なる本や政党を持っている科学集団には反発する心しか持てません。(そ  のぶん女性にもモテません。)


 


   どこか宗教的な臭さを感じてしまうのですよ。


  たとえばアランの幸福論の中にアランは腎臓結石の友人を見舞って、こう言ったそうです。

 


  「この病気は気を滅入らせるということをきみは承知なのだから、

   滅入ることに驚いたり不機嫌になったりしてはいけない。」

   ということばがあるが、こんなことを友達に言われたら僕はそいつを殴り、一切の縁を切るだろう。


  (病気のせいで暗くなるなというような前向きな言葉だろうが、これから病気と闘うわけでもない奴に


   言われたくもない。病気で気が滅入ったり、不機嫌になることは誠に人間らしくまっとうなことではなでしょう    か。さらに、周囲の人間に迷惑をかけまいと明るく振舞うことなんざ、誰に指図もされたくありません。)





  相田みつをの言う「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」も傲慢以外の何者でもないですよ。         貧困の果て、心ならずとも犯罪に走る人だっているのに。


 


 


  僕の短い人生で考えても、幸福論を振り回すような奴にろくな人間(社会的な意味ではいい人間とみなされてい  るようですが。)がいないです。


 


   あぁ。たまたま撮った写真でいらんこと考えてしまいました。誰か素敵な女性を紹介してくれません?


   幸福にするから。