haruを亡くしても、

「仕事に復帰すること」

「妊娠しても仕事を続け、産休育休を取って仕事復帰すること」

にすごくこだわってたのに、

すべてあきらめた。

 

 

でもね、

適応障害になって頑張らなくなったら、

いかに自分が『自分自身を酷使してきたか』が見えてきた。

「そりゃ、早産もするわ」

「そんな無理して働いて『私、しんどいんです』って顔で職場にこられても、他の職員迷惑だわ」

「毎日帰宅が遅くて、夫の顔も見れない日ばかりで、そりゃ妊娠しないわ」

 

そして、

そんなにこだわっていた仕事を捨てた私は惨めかというと・・・

全然そんなこと無い。

何の「結果」もこだわってない自分はとても清々しかった。

そして妊娠・出産できた。

 

 

「結果」を求めなくなって、

「結果」を手に入れることができた。

 

 

「どーでもいい」は、一見なげやりな表現に見える。

だけど、「どーでもいい」と思えるのは、

自分を信じている証で、

背伸びしない自分をしっかり見えている証だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

結果を求めなくなったら

今以上にみじめになると思っちゃうんだよね。

 

 

 

 

なぜなら

 

がんばる自分にこそ価値がある

 

がんばらないと自分の居場所がなくなってしまう

 

と思い込んでしまっているから。

 

 

 

 

だから

がんばるのをやめるのが怖いんだよねー。

 

 

 

 

 

 

「私は必ずやり遂げてみせる!」って

自分にウソをつき続けてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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kisakiさん、リブログありがとうー。にっこり

 

 

 

 

やっぱり

現役で妊活してた人の言葉は

説得力が違う!!!