「出生前診断」「着床前診断」
これは
「出生前診断」「着床前診断」を
受けるにあたって
「年齢を考えると
やっぱり受けておきたい」
とは思っているものの、、、
「身勝手なことなんだろうか、、」
「いざ検査したものの
陽性が出ちゃったらどうしよう、、、」
「でもやっぱり障害児は育てられないよ、、」
っていう悩みや葛藤がつきまとって
あああああああもうどうしたらいいんだああああ誰か助けてええええ
ってなっている方に向けた記事です。
「障害があっても産んで育てるって決めてるから、その準備をするために診断を受ける」って場合はそもそも悩んでいないと思うのでね。
あとは実際に「出生前診断」「着床前診断」で陽性が出て、産まない選択をした方にとっても「あれで良かったんだ」って少し救われる内容だと思うので、よかったら読んでいってください。
「出生前診断」「着床前診断」は身勝手なこと?
まずそもそもなんだけど
出生前診断や着床前診断は
まったくもって身勝手なことではない
です。
だって
「命の選別だ!」
「身勝手だ!」
「障害児差別だ!」
「そんなことするなんて!」
だなんて
誰が言ってくるの?
誰から言われるんだい?
どっちかっていうとみんな
「うん、それでよかったんだよ」
って言ってくれるんじゃない?
てか、むしろ
産むことを反対するんじゃない?
むしろ。
仮に
「命の選別だ!」
「身勝手だ!」
「障害児差別だ!」
「そんなことするなんて!」
って批判されたとしても、
その人が代わりに育ててくれるわけでもないじゃん。
その人が代わりに育ててくれるならまだしも、
その人は別に何もしないんだよ。笑
なんで何もしてくれない人の
言うこと聞かなきゃいけないんだ?
なんで無責任な人の言うこと
聞かなきゃなんねーんだ?
そんな筋合いなくね?
もし仮に100歩ゆずって
そんなこと言ってきた人がいるとしよう。
そしたらその人に
「じゃあ代わりに育ててくれるんですか?」
「じゃあ責任とってくれるんですか?」
って笑顔で詰めればいい。
そしたらきっと向こうは
「は?なんでこっちが育てなきゃなんねーんだよ」
「育てるのはそっちだろ」
とか言うわけじゃん。
どーせ無責任に批判してるだけなんだから。
だから
「はい、おっしゃるとおりです。
育てるのはこちらなので
だから診断を受けるかどうかも
私たちが決めるんですよ。
何か問題あります?」
って言えば
はい、論破。
はい、終了。
「出生前診断」「着床前診断」は
まったくもって身勝手なことではない
よね。
でも、、陽性が出たらどうする?
ここだよね、一番の悩みは。
そもそもだけど
「出生前診断」「着床前診断」を受けるのに
悩んでる理由を
世界で一番、正直に言っちゃうと
障害児はヤだ
ってことなわけじゃん。
だって
障害児でも産んで育てる
って決めてるなら
そもそも悩む必要なんてないわけだから。
もっと言っちゃうと
自分の判断で
命を奪うことになるのが
めちゃくちゃツラいし苦しい
ここだよね。
罪を犯した死刑囚ならまだしも
ただ生きてるだけなのに
何もしてないのに
せっかく自分のおなかに来てくれたのに
障害があるってだけの理由で
命を奪っていいのか、、、
これが「身勝手だな」って
自分に対して感じる理由だよね。
大丈夫。
でもね、大丈夫なんだよ。
これは胎内記憶をもつ次女に
「流産」のことを聞いてみた時に
あー、いたいた!!!
さっき行ったばっかじゃん!
ええっ!もう戻ってきたの?って子、いたよ。
なるほどねー、
そういうこと(中絶したってこと)だったのかー。
って。笑
あの世では
魂は死なない
という考えが
当たり前のように認識されているので
「とりあえずおなかに入ってみたい」
「中絶するってどんな感じかやってみたい」
ってことも平気でやっちゃうみたいです。
私たちが思ってるより
もっと軽い感じで
あの世とこの世の行き来を
楽しんでいるっぽくて
でも地球で「死」はもっと重たいことだから
あ、なんか申し訳ねぇっす。
とは思うらしい。ちょっとだけね。
でさ、多分
「とりあえずおなかに入ってみたい」
「中絶するってどんな感じかやってみたい」
ってのをやってみたくて
わざと
障害を選んだ可能性もあるわけよね。
だって
無事に産まれること=良いこと
死ぬこと=悪いこと、ダメなこと
って概念がないわけだから。
望んでないのにポンポン妊娠しちゃう人がいるのって、実はこれが理由だと思ってて。
「とりあえずおなかに入ってみたい」
「中絶するってどんな感じかやってみたい」
ってのをやってみたくて
わざと
中絶してくれそうな人や
習慣流産してる人を
お母さんリストから選んでるのかなって。
そう考えたら
中絶を選択したり
受精卵を廃棄※したりする選択肢は
その子の望みを叶えてあげることになる
って言えるんじゃないかな。
(※そもそもだけど、受精卵の段階では魂は入ってない説もある)
もし今44歳の私が妊活してたとして
診断受けて陽性が出たら
「なるほどねー、
それ(中絶)を楽しみに私を選んで
私のおなかにきたんだねー」
「だいぶクレイジーな子が
来ちゃったねー」って
夫と大爆発してるはず。
それからその子と一緒に
わずかな期間でも
親子になれたこと、
妊娠の経験をさせてくれたことを
中絶するその日まで
慈しみまくると思います。
中絶してからも
その子をしょっちゅう思い出して
「今どうしてるかな?」
「何してるかな?」
「今度は生きることを選んで
他のお母さんから生まれたかな?」
って考えて
幸せで満たされた気分に
浸ってるかもしれないね。
そう考えたら
私たちの心拍は急に止まることなく
今この瞬間もちゃんと生きてるって
けっこうものすごいことだよなって
感じられるよね、
普段当たり前に生きてるけども。
自分の判断で
命を奪うことになるのが
めちゃくちゃツラいし苦しい
↓
自分の判断で
命を奪うことになったとしても
多分あの子、今ごろパフェとか食ってるから大丈夫だよ。
何か少しでも心が軽くなることがあれば
嬉しく思います!
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