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藤井風さん「まつり」は

 
 
 
 
 
愛しか感じたくもない
 
 
という歌詞から始まる。
 
 

 
 
私は元webライターということもあって
正しく意味が伝わる文章かを、
つい気にするクセがあります。
 
 



 
この述語にかかる主語は何か?とか
ここは句読点を置かないと
あとにつづく述語の意味に変わっちゃう、とか。
 
 



 
なので、私の場合は
対話をベースにしたセッションよりも
文字をベースにしたセッションの方が
思わぬ無意識を読みとりやすい
んですねー。
 
 



 
文章って意識しても
その人の「無意識」が
出ちゃうものなのでね。にっこり
 
 
 



 
そんな私をつかんで離さなかったのが


この、
愛しか感じたくもない
という歌詞だったんです。
 
 


 
 
一般的な文章だと
 
愛しか感じたくない
愛だけ感じていたい
 
ってなるんだけど、
 
 

 
感じたくない
と、
 
 
「も」が挿入されることによって
 
 
 
愛だけ感じていたい
を全力で否定する。
 
 
 
 
もし
しか
 
 
すら
さえ
だったら、
 
 
愛すら感じたくもない
愛さえ感じたくもない
 
になるから
 
 
 
もう何もかも感じたくない
っていう




「もうどーにでもなれ感」を
含むようになる。
 
 
 

 
だけどこの曲で伝えたいエネルギーは
それと似て非なるニュアンスがある。
 
 

 
まったく違うわけじゃないけど
逆の意味の自暴自棄に
ちょっと近いニュアンスを感じるのは
 

 
次につづく歌詞から読みとれる。
 
 
 

 
もう何の分け隔てもない
まとめてかかってきなさい
今ならすべて受けとめるから
 

 
 
この「なんでもウェルカム状態」が
理解できると
 
 
 
愛しか感じたくもない
 
 
という一文に
 
 
 
「愛しか感じたくない」とか
「愛だけ感じていたい」っていう気分でもないんだよ。
 
「この感情は好き」とか「この感情は好きじゃない」とか
そんなふうに分け隔てるんじゃなくてさ、
 
今なら何もかもハグしてあげられる、
そんな気分なんだよね
 
 
 
っていう「究極なフラットさ」が
透けて見えてくる。
 
 
 
 
そして↑を
シンプルかつシャープな一文でまとめたのが
愛しか感じたくもない
になる。すげぇ。
 
 

 
 
最初、この「愛しか感じたくもない」の意味が分からなくて
英語字幕を確認してみたんだよね。



※MVからお借りしています
 
 
 
 
英語字幕だと
 
just wanna feel nothing but love
(愛だけ感じていたい)
 
になっちゃってるんで、
この日本語の繊細なニュアンスは
 
 
風さんの歌声だったり
メロディーだったり
他の要素で届くんだろーなって感じました。
 
 
 
 
「愛しか感じたくもない」の
歌詞に覚えた違和感。
 
 

 
自分なりの解釈でスッキリできて
大満足です。ニコニコ飛び出すハート
 
 
 
 
 

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