自分の欠点はと訊かれて、まず思い浮かべるものはなんだろうか。どんくさいこと。融通が利かないこと。忘れっぽいこと。怒りっぽいこと。人によって様々だろう。
実のところ、オレには上で挙げたもののすべてが当てはまっている。運動が大の苦手で動作がとろくてにぶいこと。我が強く、融通の利かない頑固者であること。発達障害なもので大事なことから些細なことまであらゆることをすぐ忘れること。気が小さいくせに短気だから、突発的な怒りによくかられること。
しかしこれらはそうたいしたことではない。よく言われるように「短所だって見方によっては長所だヨ!」と簡単に長所に置き換えられるものだ。
では、自分の中で、これだけはどうしても言い換えることがでない、他のあらゆる欠点がチリほどにかすみ、臭くて薄汚くて我慢のならない、心の底からどうしようもないと思う欠点は何か?
そう問われれば、オレは迷わずこう答える。それは「傷つきやすいこと」だと。
傷つきやすいというと、センシティブかつナイーブで、人の言葉を強く受け取りやすい優しい性格を連想するのではないだろうか。確かにそういう人がいることは確かだろうし、それは素敵な人である。
しかしオレ自身について言わせてもらえば、繊細というより自意識過剰で、人の言葉をなぜか悪く受け取る被害妄想家で、勝手に傷ついては被害者を気取り、自分を責めて相手も責めるような、とんでもないならず者だ。少し前まで(といっても7、8年前)自分はなかなか心の綺麗な人間ではないかと(恥ずかしながら)思ってはいたけれど、とんでもない。オレは利己的で、自分勝手で、傲慢で、思い上がり、しかも一見それとはわからないから余計にたちの悪い、卑怯で小汚い人間のひとりだ。
つまり一般的に良いこととされる「傷つきやすい」という性格も、オレにとってはあらゆる面で欠点が多い。というより欠点しかない。それを長所に裏返すことも、無理に忘れることさえできないのであれば、これはもう直すしかないだろう。そのためにはまず傷つきやすいオレの性格の問題点と原因を整理して、それにどういうアプローチをはかれるかを探ることだ。まず、問題点を列挙しよう。
⑴ 問題点
① 傷つきやすい性質は、相手に対する攻撃になりやすい。
② 自意識過剰で被害妄想的になり、こじらせると人間不信になる。
③ 相手に不当で過剰な期待をし、理想を押し付ける。
④ 相手に対して過剰な甘えや依存を持つ。
⑤ 批判や意見を言われただけで落ちこんだり、深く傷つく。また、なかなか立ち直れない。
⑥ 叱責や怒声に対して極端に弱い。打たれ弱い。
こんなところだろうか。まだまだ多い気はするが、些細な問題なので今は置いておこう。
そしてあらかじめ言うまでもないが、オレは傷つきやすさについての一般論を言っているのでは決してない。ここで挙げた傷つきやすさの問題点はあくまでオレ個人の問題点であり、「傷つきやすい人間は全員こうだ!」と十把一絡げにして乱暴に決めつけたいのではない。
では問題点を詳しくみていこう。
まず、①「傷つきやすい性質は、相手に対する攻撃になりやすい」について。
どういうことかと言えば、オレは自分を「傷つけた」人間に対して容赦しない。
何気ない一言だったり、悪意のない行動。批判や拒絶でもいい。とにかく自分が「傷つけられた」と感じたことがあれば、オレはその人を深く恨む。恨んでその人のあらさがしをする。
あいつの服装は時代遅れだ。太っているのは生活習慣がメチャクチャだからだ。不愛想だからみんなから嫌われているに決まってる・・・・・・。
無論それは根拠のない言いがかりだから、そう考えること、感じることは自分で禁じているのだが、事あるごとにその思考はふと頭をもたげ、「ほらやっぱり!」となる。そうなるともう歯止めは利かない。心の中でその人をメタクソにこき下ろす。叩きのめし、評価を極端なマイナスにまでもってゆく。
そう、自分の性格のゆがみや精神的軟弱さを棚に上げて、「傷つけられた」と一方的に思い込むことによって相手に攻撃的になるのだ。自分でもそれがいかに間違っているかを知っているにも関わらず、相手を責めることがやめられないという困った状況になる。それが①。
次に②「自意識過剰で被害妄想的になり、こじらせると人間不信になる」。
これは①で説明した。常に意識が自分に向いていて、なぜか悪く勘ぐって受け取る被害妄想傾向によって、相手の何気ない言動を曲解し、「あいつはオレを馬鹿にしている」「こいつはオレを、悪意を持って非難する」とひとり相撲の泥沼にはまってゆくのだ。
そして③「相手に不当で過剰な期待をし、理想を押し付ける」。これは問題でもあり原因でもあるのだが、重大だ。
オレは気づけば相手に対してかなり多くの、それも自分勝手な期待をしている。
――――オレのありのままを受け入れること。何があっても決して責めないこと。批判しないこと。怒らないこと。どんな時でも優しくすること。何かを求めれば必ず応えること。場合によっては手放しで等身大のオレを、悪いところも含めて愛してくれること。等々々。これらが叶わないと傷つくから期待するし、期待が叶わなくても傷つく。
しかも悪くすれば、期待は理想となり、相手への一方的な要求となる。「人は自分に優しくすべきだ!」「オレにそんなきつい言葉をつかうべきじゃない!」「オレを非難するべきじゃない!」「もっと気を使うべきなんだ!」。・・・・恐ろしいほどの「べき」がこみあげて、知らず知らずのうちに自分を縛り、相手を縛ろうとする。
しかし当然、その淡い期待のほとんどは叶わない。すると過大に傷つき、自分を受け入れてくれた人に対してでさえ、可愛さ余って憎さ百倍、心中「この役立たずが!」と責め立てる。
赤ん坊は母親を自分の召使いと思い、母親が自分のそばをはなれると、なぜいなくなるのだと怒り、泣き叫ぶらしいが、オレは「この人なら」と思った相手に対してはどこまでも赤ん坊と同じく傲慢になり、その人を自分の所有物とでも勘違いするようだ。そうとしか思えない。
④も同じである。傷つきやすさから相手に対する優しい態度・言葉の期待値が異常に高く、ちょっと突き放されるような、厳しいような言葉をかけられると殴られたようなショックを受ける。相手に対する甘えと依存が過ぎて、「オレを受け入れないとは何事だ!」ということになる。
それゆえに⑤、批判や意見などを言われるともうとび上がるほど動転し、過剰に傷つくことになる。ただ、これには批判=否定という間違った受け取り方の問題も、いくらか絡んでいる。
最後に⑥。言うまでもないだろう。オレは怒られたくない、叱責されるのが嫌だという気持ちが人一倍強い。つまり相手がそうしないことを何よりも期待している。だからそんなことをされるのは思わず涙が出るほど怖いことなのである。
こうしてみると、オレがいかにひん曲がった自己愛と自意識を極端に肥大化させ、狡く弱いのか、わかると思う。どこがそこまでこき下ろすような欠点なのか、理解できよう。
ここまで書いて、自分のあまりの駄目さに泣きたくなる思いだ。しかし問題ははっきりした。次回はこの傷つきやすさの原因を探りつつ、どう克服するかを書き散らしたいと思う。
それでは。