ちょうど今、NHKで睡眠障害をテーマにした番組をやっていた。この「あさイチ」という番組、なかなか人前では理解されにくいけれど誰にも共通する問題を扱っていて興味深い。また、視聴者からの意見も数多く聞けるので参考になる。
 ずっと――長年、誰にも言っていなかったことである。ぽつりぽつりと部分的には誰かに喋っていても、全ては喋っていない。喋れなかった……し、喋りたくなかった。多分、この場においてもまだある程度気持ちを繕ってしまうのだろうな。
 それほどまでに、精神はズタボロにダメージを受けたから。

 震災の年以降、震災による被災地や東京での一連の出来事やその後の恋愛及び失恋によって、私の精神状態は不安定が続いている。特に2012年はまさに日常生活と『それ』との闘いであった。2週間に1度、心が物凄い苛まれて生活リズムが大きく崩れる。
 眠れないし、眠りたくない。
 何故だか、眠りたくないのである。だいたいそれは5日から1週間程度続く。その間、外出が大きく困難になり、ずっと引き篭る。食事すらも崩壊する。その間、食事はどうだったのかは細かく覚えていない。気がついたら食べてる程度。
 誰にも言えなかった。誰にもこのこと、この状態を相談できなかった。どんなに人に言ったところで、これは己の精神の問題であることを自覚しているから、そのために余計辛かった。人に言ったところで、どうせ「そこは自分自身が意識をもってきちっと――」と言うに決まっている。

 そんなことは分かっている。分かりきっている。だから誰にも相談できないし、相談していないのではないか。それでもやはり辛くて……。
 辛いのである。このままもう、元に戻れない。自分自身としても悲しいし、社会としてもその残念さを考えると辛く切なくなる。
 敢えて厳しいことを本人のために言っていると思っている方もいるだろう。それはそれで、そういう客観的意見をもつ知人を持ったことを私は幸運に思う。しかし……しかしである。そんな厳しいことは本人が最も知っている。だから辛いのだ。

 そんな折、一度精神科へ行ったことがある。しかしあれはどうもダメだった。システムとしても、初対面の他人にそんなことを説明できるわけでもないし、なんでそうする必要があるのかふざけんな、と。しかも時間が20分程度と定められている。目の前にデジタル時計が設置されているのだ。そんな状況では自分を装いで『繕う』に決まっているではないか。
 そしてその医者は至ってふつ~~の意見を言った。そんなことを分かっているから、自分も「そうですよね」と言って、それで御終い。私は、そういった意見を聞きたくなかったから誰にも相談しなかったのに。またそれが正論であっても、精神的見解で意見を聞きたかった。こころの仕組みというか、要するに「こころの構造」である。
 実はその10ヶ月くらい前には学校の相談室に一時期行ってたことがある。しかし、やはりそこでもダメだった。自分で答えが分かっているのに辛いケースは、ああいうところは役に立たないと知った。

 思うに、こういう際に相手にとって有効なことは決して正論ではなく、「認める」ことなのではないか。貴方のその状況は精神的に病気です、と言ってくれた方が余程効果的である。要するにこれは風邪なのだ。風邪は時間が経てば治る。ただその為には休まなければならない。その休むためにも、その大義名分が欲しいのである。それがなく、自分の心を圧し殺したまま社会サイクルに必死にしがみついている状態は中途半端でありむしろ悪化ないし改善に鈍化する。39度の熱を出しながら登校・出勤しているようなものだ。