小学3年生の頃、私は当時住んでいたマンションから引っ越し、教会からは約3km離れた所に引越す事となりました。

新しい学校は、同い年の牧師の娘のいる学校へ転校になりました。

最初は、かなりもてはやされましたが、調子に乗り少しの間、嫌われることになってしまいました。

特別仲のいい友達はおらず、みんなと程よく仲良く学校生活を送っていましたが、弊害がありました。

それは、キリスト教です。

牧師の娘は、性格は強気で同級生からは宗教が原因となるイジメは、特にありませんでした。

どっちかというと宗教活動の方です。

他はどうか分かりませんが、私の教会では教会員が偶に、私の行っている学校の校門前で神の言葉を伝え、帰り際の子ども達を教会に誘い、チラシを配り、神の言葉を伝える事をしていました。

また学校が地域規模で行う祭りみたいなのがあり、そこで希望者は、ステージでレクリエーションをしたり、出店をしたりなどしていました。勿論、それにも参加していました。

宗教活動は任意で行えるのですが、しなかったら物凄く責め立てられます。なぜしなかったのか?神を信じていないのか?神を愛していないのか?と色んな事を言われます。ですから、ちゃんとしないと怒られるが定着していました。

ですが、私も人間です。

歳も重ねれば重ねる程、周りの目も気になりだし始めます。その上、伝道を友達にするのは恥ずかしいが故、する事が出来ませんでした。

何故ならば、キリストが生まれたのは2000年も前。

現実味が全く無い物を経験もしていない小学生が、『神は素晴らしい!信じてくれ!』と言っても誰が信じてくれるんでしょう?

私はただ、お菓子を食べたくて洗礼を受けたに過ぎないのに。

ですが伝道しないと怒られます。

私がとった行動は嘘をつくこと。

学校では神を信じるもの(以下、クリスチャン)である事を隠すようになりました。

教会では、熱心なキリスト教徒を演じ続けてきました。

時折、嘘がバレて何度も詰められたりしたのですが、涙ながらに言葉をたくさん並べて、頑張るという意気込みを伝え、必死にその場しのぎをしていました。

それに夏は2つ隣の県の山の中の教会へ行きキャンプをして、冬にはクリスマスパーティーも行われていましたが、流石に大きなイベントだったので、形だけでも誘うようにはしていました。

勿論、殆ど断られる事が多い中、来てくれる友達も少なからずいました。

そういう時は、牧師夫妻からすごく褒められました。


同年、私はドラムを親の勧め(強制)で、音楽教室へと向かい習うようになりました。

私は、ドラムをやりたいなどと一言も言っておらず、恐らく何気無い一言が音楽教室へと行く運びになってしまったと思います。

実際すごくストレスで、自宅でドラムスティックを何度も何度も投げ飛ばしました。上手く叩けない、楽譜通り出来ない、才能が無いってずっと思い続けて、その度に親に怒られていました。

何でも趣味が無いのは良くないと判断したらしく、音楽教室に通わせてるとの事。

子の為とはいえ、親の都合でしかないと考えた私は、親を憎むようになりました。


ある日、夢について牧師に問われました。

当時の私は夢がなかったと言えば、嘘になります。

小学生時代は特に、ゲームにハマりこんでいたものですから、本当は『ゲーマー』になりたい、と思っていました。

ですが、そんな事を言えば誰も喜ばないのは重々承知していました。だから夢はありません、と答えました。

そしたら、その時集っていた教会員で、私と同じように夢が無いもの達を一箇所に集め、夢が与えられるように祈りなさいと言われました。正直退屈だったので、周りの祈りの声に紛れて、マリオカートのBGMを口ずさんでいました。

ですが、これも何故かバレており、後日何気ない質問をしに牧師に尋ねたら、「お前はまず、祈りの最中に歌うのをやめろ。」と強い口調で言われて思わず黙ってしまいました。バレたという事よりも、親からも言われた事の無いような強い口調で言われたのが、ショックでした。

そこで私は、彼の優しい牧師像というのにヒビが入りました。


さらに私は今まで、子ロバクラブにしか出ていませんでしたが、大人の集会に出ようと牧師や教会員に言われました。

大人の集会には、月の第一日曜日にだけ、『聖餐式』

というクリスチャンになった者だけが、キリストの肉と血を模した、パンとぶどうジュースを少量、自らの罪を悔い改めることで、食べることの出来るのに参加してはいましたが、その後の牧師の言葉を最後まで聞いてねという事でした。

拒否権は無く、出ざるを得ませんでした。

何を言っているのかは分からず、早口で、ダジャレを何度も言い、正直言ってつまらない時間をいつも40分~50分過ごすことになりました。

座って分からない話を聞き続けるのは、凄く苦痛で仕方ありませんでした。

それだけでは終わらず、食事中または食事後に行われる『分かち合い』に参加しないといけなくなりました。

これは牧師が話した言葉から、何か新しい挑戦だったり、今まで出来ていなかった事を出来るように頑張るといった旨を発表する事です。

この時間も苦痛でした。私は何とか言葉を絞り出して、本当は出来ているのに出来て無かったと言い、これからは○○できるようにします。と嘘をここでもつくようになりました。

相手の表情や反応を見て、発言をしていたのを今でも身体で覚えています。

この頃から同年代でも、相手の顔色を伺うようになってしまっていた為、言葉選びや話し方に震えが出てしまったり、変な言葉になったりして上手く話せなくなりました。その度に指摘されて、ちゃんと話そうと言われ続けました。


私は本当はこの時から、家から出たい気持ちでいっぱいでした。何故ならば、宗教のない周りの友達は、私が集会に行っている間に友達同士で遊んだり、家でテレビを見たり、ゲーセンに行ったりして凄く羨ましかったからです。

前の学校にいた親友も親が転勤族だった為、相談どころか電話番号も知らないし、祖父母は2つ隣の県の山奥なので行けないし、我慢するしか道はありませんでした。