今回は私について、お話をさせていただきます。

長くなるので、何回かに分けます。

誤字脱字、言葉の言い回し等ご勘弁くださいませ。


私は小さい頃から、自分のやりたくない事はやりたくないという我儘で、殆どの物事に対し、面倒臭いと思っており、自分だけ得をすれば良いという考え方を持っていました。故に自分の障害になりうるものには、凄く嫌悪感がありました。

今、考えてみればという話であって、当時は自分の性格に対し自覚などはありませんでした。

また、目立つ事がとても嫌いで、学校等で行われる発表等も極力避けて来ました。失敗してはいけないという強い思いから、緊張し頭が真っ白になり言いたいことが上手く言えなくなり、直後に自分自身を責め立てるストレスに悩まされるからです。

そのうえ私は人見知りがかなり酷く、初対面の人には一言も話す事が出来ず避ける事をしていました。

何度も何度も試みようとするのですが、勇気が出ず、結局何も話せず終わってしまう事が殆どでした。


私のこの性格を踏まえた上でお話したいことがあります。


私は、キリスト教を信じる家庭に生まれました。

毎週日曜日には、プロテスタントの教会に連れられ、特に何も感じず幼少期を過ごしてきました。歳が近い友達もいた為、何となく遊び場に近いものを感じていました。

教会の庭で体を動かし、屋内で昼寝をしたり、ビデオゲームをしたり凄く充実していたと思いますし、多少なり子どもの喧嘩もありましたが、楽しい場所だと思っていました。

その他には、聖書勉強会や祈祷会など行われていました。まだ幼少期の頃は、別の部屋で遊んだり、勉強会等の真面目な話が終わった後にお菓子がいっぱい用意されるので、それ目当てで親に連れられていました。

この頃の私の家庭は、父は仕事を掛け持ちし、働き詰めで殆ど家にはおらず、母も決められた曜日に仕事へ行き、家にいる時間は姉といる事が殆どでしたが、姉とは5つ離れているので、姉は学校に行っており、当然ながら遊び以外では相手にされてなかった為、一人でいる印象が強かったです。

その為、家で一人でいる時は英語音声のビデオやDVD、勉強用のゲーム等をしており、時には母の仕事に着いていく事も時折、子ども向けの授業を受講していた時もあり、言わば英才教育を受けていました。

とても窮屈な家でしたが、それでも父と母と姉が大好きでした。


私が小学生に上がった頃、周りとの歯車が少しづつ狂い始めました。

幼少期は幼稚園だった為、平仮名カタカナは既に勉強しており、やり取りに関しては問題は無かったですが、世間話やテレビアニメ等の話題に着いて行けませんでした。

勉強用や海外アニメの類しか知らない私は、アンパンマンや仮面ライダー、ドラえもんさえも知らなかったのです。(セーラームーンや特撮、ジブリ作品、ポケモンも海外音声で聞いていた為、この時は海外の物だと思っていました。)

唯一知っていたのはマリオで、その時は誕生日でDSも持っていた為、親から買って貰った筆箱が、ニンテンドーのマリオパーティーの物だった事もあり、その時に出来た親友のお陰で、何とか孤立する事はありませんでした。


もう一つはキリスト教です。

私が行っていた教会には、子ども向けの集会(以下、子ロバクラブ)というのが毎週日曜日あり、暗唱聖句という聖書の中の言葉を暗記し、みんなの前で発表するというものが行われていました。

最初の方は覚えていたらお菓子が貰え、特別覚えていなくても何も無かったんですが、学年が上がるにつれて覚えていないと親や牧師から指摘され、小言を言われるようになりました。

私は子どもながらにプレッシャーを感じ、そこで発表に対する意識が嫌なものになってしまったと思います。

その上、当時の子ロバクラブのスタッフより「教会に来て年数経つから、そろそろ洗礼をしようか。」と毎週言われるようになりました。

ここで言う洗礼とは、『今までの罪を洗い流し、古い自分を捨て去り、新しい自分になる』という事です。

その為にはキリスト教について勉強し、段階を踏み洗礼を受けないといけないものなのですが、子どもの私はよく分からず、毎週渋っていましたが、終いには「聖書勉強会や祈祷会の後のお菓子をあげられない」と条件を出してきました。

お菓子を食べられないのは嫌だったので、洗礼をよく理解しないまま受ける事にしました。

そうすると牧師や教会のメンバーは凄く喜び、よく分からないけど、良かったんだと子どもながらに感じました。ここから私は、大人の顔色や声色を気にするようになったと思います。