手技療法を学び始めて、初めはおぼろげだった。


なぜ「看護にヒーリング」を広めたいと思ったのか。


それについて、頑張っている看護師さんがいることを知った時、「あ~、私もそうしたい」が、動機だったのだ。


だけど、その動機では、自分を納得させることができなかった。実はね。


統合医療や補完医療なんかで、体裁を取り繕ってきたところもあるけど。


その動機も、自分にはしっくりこなかった。ずっと。


なんで、あの忙しい現場に、ヒーリングなんて悠長にやっていらんないじゃない。

なに、のんきなこと言っているの?


ヒーリングやアロマが、リラクゼーションとして、人を癒すし「良いもの」であるのは承知なのだが、だからって、わざわざ忙しい現場に広めるほどのことじゃないような気がする。


って、ずっと、どこかで、考えてきた。



そうそう、今日FBで、ある整体師のおじさんがシェアしていた「写真」を見た瞬間に

閃いた! んだ。


助産師さんが、整体師さんからレクチャーを受けている写真。

(以前から助産師さんたちがセイクラルセラピーなどを受講し始めていることは知っていましたが、)

を見た・・・


その写真が語った!!

看護師としての、姿を!


医療の現場ではあるものの、看護師の手を使って、患者様の体に起こった問題を解決するために、施すという技術。(助産師さんたちは、赤ちゃんを本来の健康な状態での出産できる体にするために産婦さんに施す。おっぱいを出すために、など)

それは、「愛」なんだな。いやいや、そういうことじゃなくて、


看護師だからこそできる、その場面において、「目で見て」判断して、その場で「手を使って施す」技が必要なんだって、こと。

だから、看護の「看」は「手」と「目」でできている。(昔から言われているけど、使ってみた。



だから、今まで長い時間をかけて、手技療法を学んできたってこと。


やっと。自分の中で、納得できたんだ。


ただ、「良いものだから。人を癒すために。痛みを取るために、健康を取り戻すために」って、やってきたわけじゃない。

その、必要なとき、その場面で、何かできるという技術。

苦しい時、つらい時に、なにか対応できるという癒しの技が、あるんだっていうこと。

誰でも、できる、簡単な、技術。


看護師だけじゃなく、お母さんも娘さんも、お父さんも・・・。

つらい、痛い人が目の前にいたら、何かしてあげたいじゃない。


看護の本質。


それが、こういうことなんだって、やっと気づけた。


ナイチンゲールさんが、降りてきたのかな。


他の人から見たら、今、気づいたんだ。ってかんじでしょ。

デモね、今日だったの。きづいたの。

私は今日、一つ、大人の階段上りました。


じゃあ!

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