Hawaiiホノルルで
サロンオーナー×心身セラピスト
させて頂いています
貴方とこのブログで出逢えた
ご縁に感謝いたします
【父親が大動脈破裂で緊急手術をした】
泣きながら、母親から電話があったのは
11年前の2011年10月の事だった
忘れもしない
2011年3月11日 東日本大震災があって
まもなくの出来事
その当時わたしは
ハワイのKCC(カピオラニ・コミュニティカレッジ)に
在学中でテスト期間中だった
学校へ行く前にテスト勉強をしていたある日の朝
突然、日本の母から電話があった
そこからはあまり覚えてないが。。。
思い出してみると
(母親に確認電話をして思い出した)
母の伝言は
「出来るだけ早く日本へ一時帰国をして」
「お父さんが。。。大動脈破裂して」
というものだった気がする。
父親の担当医も家族全員を呼んでください
とのことだったらしい
生存率10%未満の大手術
せめて死に目に合わせようという心遣い
だったのであろう
わたしは直ぐに大学に休学届を出し
飛行機のチケットを至急手配して
次の日には日本へ、そして実家がある福島県へ
母と対面し多くを語らずまっすぐ病院へ🏥
道中の会話は忘れたが、道路にある基本表示が
19℃だったことを鮮明に覚えている
父親はICU(集中治療室)に手術後入ったきり
わたしが病院へ着いてしばらくしてから
東京から弟が駆けつけた
時間はすでに夜になっていた
その時に1人ずつICUの父親に面会できた
担当医の話によると
「一命は取り留めた」がしかし
目を覚ますかどうかの保証はない事
目を覚ましたとしても言葉を話せるか保証がない事
何が起きてもおかしくない大手術だった事を
告げられた
夜の薄暗い病棟で呆然とした事を覚えいる
母親は先生が話をしてくれている間
ずーっと泣いていて
わたしと弟はどこか冷静に質問を淡々とした
記憶が薄らある
東京から来た弟は、仕事の関係で一度東京へ
とんぼ帰りをして、わたしと母親だけで
その夜は過ごしたと記憶している
そんな感じで日は暮れた
翌日。。。
わたしは母親の友達の運転する車で
都心に向かっていた
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