前回は
「幼い頃の迷子になった記憶」が原因だった
というところで終わっていましたね。
「娘の勉強の間違い」への焦りや心配が
なぜ「私の幼い頃の迷子になった記憶」からきていたのでしょうか?
これは、万人にとって当てはまる わけではなく、
私の 感じ方、その出来事への脳の反応の部位
がリンクしていたから。
私の中では
こういう感覚になっていました。
大切だと思われる所を、娘がちゃんと理解しないまま放置
↓
このままではわからない所が積み上がってしまう
↓
そのうち解決できる範囲を超えてしまう
↓
一人で解決できない
どうしてよいかわからない怖さ
この「怖さ」こそが
幼い頃、迷子になった時に
私の感じていた感覚と同じだったのです。
3才くらいだったでしょうか
3才の子供が、
見知らぬ場所、見知らぬ人しかいない場所で
親とはぐれる。
その時の心細さ。
3才だと一人で生きてゆくことはほぼ不可能です。
誘拐されたりするかもしれません。
命の危険も感じます。
その時感じた恐怖と
私を危険にさらした親への腹立ち
が私の中には滞っていたのです。
それを解消した今、
娘へ口を出したくなるどうしようもない衝動
は消えてしまいました。
このように、
今起きている問題の原因は目の前にはなく、
全く予想外の、
まったくかけ離れた状況でできた原因が
誤作動を起こしていることがあるのです。
不思議ですよね。
けれど、今の状況が
あなたにとってどんな意味付けになっているか
そこをよくみつめてゆくと
あなただけが見つけることのできる
『本当の原因』に辿り着くものなんですね。
だからこそ、面白いと思うのです。
自分を知ることは面白いですよ。
掘り下げてみると、驚きが隠されているかもしれません。
人がそれをみつける触媒であることが
セラピストの仕事の一つだと思っています。
ということで、今回はこの辺で。