好きなこと、やりたいことがわからない | 人生を楽に 生きづらいを解消して元気を取り戻すセラピー 福岡・心理セラピスト しのはら よしこ

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福岡で生きづらさの原因を解消する心理セラピーをしています。
心理セラピーのこと、人生が楽になるヒントなど、色々と書いています。

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この間、ふとしたきっかけから数学の問題を解いたんですね。

中学生の数学くらいの問題。

パッと見て頭の中だけで解ける感じではなかったので、
xとかyとか使って紙に書いて解きました。

夢中になって、
解けた時にはスッキリしました。

で、その時に気づいたことがあるんです。

「私これ、好きだったんだ」
って。

部活動すら反対されるくらい、
何につけても親の強制がすごかったので
ずっと、勉強も「やらされてる」と思ってきたんです。

でも、改めて感じてみると、
勉強している時の
「何かに集中している感覚」とか
「解く道筋をシュミレーションする感覚」とか
「解けた時の爽快感」とか

そういうの、好きなんですよね。

私、わりと頭よかったんです。
ずっと進学校の特進クラスだったんです。

考えてみれば、
好きだからそれだけ成績を残せていたし、
続いていたはずなんですよ。

でも、当時の私は強制されることにホトホト嫌気がさしていたので、
そこにばかり気持ちのフォーカスがいっていたんだなぁって。

本当は「ある」ものが見えなくなっていたんですね。

もちろんね、学生の時って
「やらなければならない」側面も強いと思うんです。

自分のやりたい量を超えてせざるをえないので
なかなかそう感じづらいとも思うんですよ。

やりたいことも、適量を超えると、
「やりたくないこと」にみえてきますよね。

だから、
「やりたいこと」って
好きなことという自覚+適量
で決まってくると思うんです。

好きなのに気づかなかったり、

人からレールを敷かれ過ぎて、何が好きかどうかすらわからなくなっていたり、

「そんなはずはない」と抵抗していたり、

好きなのに適量を超えて苦しくなっている

のだとしたら、勿体ないなぁ
と思ったんです。

何かが起きていて楽しめなくなっているってことですものね。
その何かをひもといて解決するのがセラピーではありますが

そこにあるはずの「好き」「やりたい」の感覚は否定しなくてもいいんじゃないかな、と。

では、今回はこの辺で。