中学生の数学くらいの問題。
パッと見て頭の中だけで解ける感じではなかったので、
xとかyとか使って紙に書いて解きました。
夢中になって、
解けた時にはスッキリしました。
で、その時に気づいたことがあるんです。
「私これ、好きだったんだ」
って。
部活動すら反対されるくらい、
何につけても親の強制がすごかったので
ずっと、勉強も「やらされてる」と思ってきたんです。
でも、改めて感じてみると、
勉強している時の
「何かに集中している感覚」とか
「解く道筋をシュミレーションする感覚」とか
「解けた時の爽快感」とか
そういうの、好きなんですよね。
私、わりと頭よかったんです。
ずっと進学校の特進クラスだったんです。
考えてみれば、
好きだからそれだけ成績を残せていたし、
続いていたはずなんですよ。
でも、当時の私は強制されることにホトホト嫌気がさしていたので、
そこにばかり気持ちのフォーカスがいっていたんだなぁって。
本当は「ある」ものが見えなくなっていたんですね。
もちろんね、学生の時って
「やらなければならない」側面も強いと思うんです。
自分のやりたい量を超えてせざるをえないので
なかなかそう感じづらいとも思うんですよ。
やりたいことも、適量を超えると、
「やりたくないこと」にみえてきますよね。
だから、
「やりたいこと」って
好きなことという自覚+適量
で決まってくると思うんです。
好きなのに気づかなかったり、
人からレールを敷かれ過ぎて、何が好きかどうかすらわからなくなっていたり、
「そんなはずはない」と抵抗していたり、
好きなのに適量を超えて苦しくなっている
のだとしたら、勿体ないなぁ
と思ったんです。
何かが起きていて楽しめなくなっているってことですものね。
その何かをひもといて解決するのがセラピーではありますが
そこにあるはずの「好き」「やりたい」の感覚は否定しなくてもいいんじゃないかな、と。
では、今回はこの辺で。