先月
タイから帰国して
今世のわたしには記憶のない
時空をこえた
母とのいろいろを
謝って欲しいはずの
わたしが
苦しいほどの葛藤の末
母のそばに座り
背中にそっと手を添えたとき
涙が溢れ
母に謝る
という
自然な流れとなった
あの日
生まれ直しをお祝いするかのように
母と二人だけで
食事に出掛けたのでした
半身が不自由
発声が弱めで
話し言葉が
口の中でこもりがち
そんな母が
スプーンで口に運んだおかずを
ぽろぽろとこぼしながらも
自力で食べる姿
そして
時折見せる にっこり とした表情に
こころが ふわりと軽くなり
わたしも笑顔になったのでした
なんともいえない
ただただ流れるような
ふたりのじかん
その中で
涙を流しながら
「会いたいの…」
と、かすれた小さな声で
母が話してくれたのでした
何も要らない… 何も欲しいものもない…
じゅうぶんにあります…
そう言っていた母が
涙が出るほど会いたい人がいるって
素敵なことだなぁ
母はなんて幸せな人なんだろう
そして、お母さん教えてくれてありがとう
そんな気持ちになったのでした
とはいえ
母から会いたい人のお名前を聞いても
わたしには
何の手懸かりもなく
スマホのメモに
お名前を打ち込むのみに
留まっていた
しばらく ぼーっと過ごし
瞑想する日々だった
とにもかくにも
じぶんに集中…
7月に入り
あっ… そうだ!と
おもむろに
「叔父さん、としこです」
と母の弟さんに連絡をしてみました
すると
そこから
2週間足らずで
母があの日
「会いたいの…」と話してくれた方と
お会いすることができたのでした
当日
実家へ母を迎えに行き
叔父さんと合流して
叔父さんや母がお世話になった
小中学生時代の恩師に
会いに行き
何十年ぶりかの再会
半身不自由になった
教え子の姿に
「○○ちゃん、○○ちゃん」
「そうか そうか」
やわらかなやさしい口調で
母の名前を何度も声にしながら
動かなくなった母の手や足を
ずっと撫でてくださった先生
83歳の母と 叔父さんと 恩師
涙でキラキラしていた お三方の瞳に
じーんとして
そっと手を合わせたのでした
恩師から
母が会いたいと言っていた方の
御自宅を教えていただき
少し車を走らせ止まる
「バス停の前…っておっしゃってたから」
「きっと、こちらかな」
叔父さんが助手席からサッと降りて
確認に行ってくれて…
すると
御本人が ご在宅で
それはそれは
喜んでくださって
またまた感動の再会
突然の訪問にもかかわらず
「どうぞあがって」と
お部屋へ通していただき
2時間半ほど
長居させてもらい
むかしの写真を見ながら
思い出話に花が咲く
もちろん
わたしはその昔話の情景を
知るはずもないのだけれど
共に育った故郷
そして共に年齢を重ねた大人たちの
なんとも例えようのない美しさを
目の前で見せてもらい
また涙腺がゆるみました
母が夢を言葉にしてくれたことで
人から人へと繋がり
夢は叶いました
はじめは
母の中だけの
母ひとりの夢だった…
それが
母の言葉を聞いた
娘(わたし)の夢になり
叔父さんの夢になり
さらに
「○○ちゃんに会えるなんて夢のよう…」
と言ってくださった
恩師や同級生
みんなの夢になりました
「誰かの」夢と思っていても
「わたしの」夢と感じていても
それは
「みんなの夢」
宇宙全体の喜びなんだなぁ
再会によって 溢れた
喜びのエネルギーや
しあわせのエネルギーは
あらゆる空間にひろがり
すぅーっと溶け込み
馴染んでいったような気がしました
雨降りではあったものの
胸がじんわりあたたかな休日になりました
夢は言葉にしていこう
ひとりでは
たどり着けないようなことも
少しずつ 少しずつ
繋がっていく
母の故郷
その土地の神さまにも
御先祖さまにも
そっと そっと
手を合わせました
ありがとうございます
トリニティ数秘術認定カウンセラー
山本登志子