思っていけないことは


何もない






感じていけないことは


何もない








何を思っても 何を感じても


いいのだと…






(撮影:Midori Tsunoda)




その視点を持てるようになったとき






人生は変わりはじめたように思います












じぶんを大切にする…




それが


どういうことなのか



まったく わからなかった頃






何をしていても



苦しくて…  さみしくて…



しんどかったのです









そして


同時に…





「○○に~された」


という意識がたんまりとあって






あの人に こう言われた


この人に こうされた




いわゆる 被害者意識






そして



そこに付いてまわったのが




「わたしは悪くない…」






わたしが悪くないなら


あの人が悪いのか??








いえ



わたしが悪くないなら


あの人も悪くない




誰も悪くない…







そこに辿り着くまでに



学びの機会は何度もあって


七転八倒



かなりの人生を必要としました








何か起きたとき


じぶんの感情が揺らいだとき




「誰も悪くないとしたら…」の視点で


起きたことを観察すると







~されたという感覚が



スーッと消えていったのです










例えば



あの人から

こう言われた…という視点でみていたものを




「あの人は、そう思うのね」

「わたしは、こう思うなぁ」





「あの人は、そういう考え方なのね」


「わたしは、この部分だけ少し考え方が違うなぁ」





「あの人は、こう感じたんだね」


「あぁ、わたしもそう感じたわ」






そんなふうに


ひとつずつ受け取り方を

丁寧にしてみたのです




いってみれば 


じぶんの反応を丁寧に扱って

人体実験をしながら


じぶんが感じていることや

思っていることに


気づいていく…









すると



わたしのお得意だった





は?


という瞬間的に出る反応が



ずいぶんと減っていきました






さらに


じぶんを知ることができたのは


あなたがいたから…






気づかせてくれて

ありがとうございます



と変化していったのでした











思っていけないことは


何もない






感じていけないことは


何もない








何を思っても 何を感じても


いいのだと…









じぶんに許可ができたとき



まわりの人に関しても


へぇ~と フラットな視点で


眺めることができたのでした








とはいえ


いまでも

身近な大切な人にほど



「それはないわぁ・・・」と



しっかりと反応するわたしもいて (笑)







そんな時は




「そっかそっか」



「そこはまだ受け入れられないんだね」


「めっちゃ反応するよね」





と、受け入れられないじぶんを



クスッと笑ってみたりしています












30年以上前に


彼がプロポーズをしてくれたとき





「わたし、朝起きられないよ」


「ごはんとかつくれないよ」






と、一生懸命伝えたわたしがいました









出会って2回目のデートでのプロポーズ







プロポーズのプの字も


想像していなくて




はじめは、キョトン…






そこから咄嗟に出てきた言葉が



その二つの「わたし、できないよ」


だったのです









そのとき


彼は



「ごはん、そのうちつくれるようになるから」


「大丈夫」





「俺も寝坊するから、ふたりで会社遅刻やな」







と笑ったのでした











期限を決めずに


「そのうち」という表現も


「ふたりで遅刻」という表現も



そして何より


笑ってくれたことが





自信のなかったわたしにとって


「安心」になったのでした






その彼と結婚して


早30年超え







こうであるべき


彼とは価値観が違う など





あの時



「わたしはできないことを真剣に悩んでいるのに」とか



「笑われた」とか







彼が返してくれた言葉に


また別の条件をつけていたら





結婚することにはならなかったのかなと…








そして


もしあの時


「作れないのなら、お母さんに習ったら?」



と、彼が言ったとしたら…







母とキッチンに立つじかんを


つくっていたのかもしれないなぁと…




それはそれで


想像するだけでニヤける


現在のわたしがいます





いまは

半身不自由となった母と

キッチンに立ち

いっしょに料理をすることは


少しハードルが高いと感じているからです






そうやって

あらためて感じてみると




あの頃

料理ができないわたしで完全だったし



できなかったからこそ



「安心」が欲しかったわたしにとっては





彼がくれた言葉たちが


やさしく感じられたと思うのです






人は日々変化していくし





【いまのままで完全である】






人生の中で


あぁ、あれで良かったんだなぁと感じることが


このところ多くて





じんわりとしております













ありがとうございます

トリニティ数秘術認定カウンセラー
山本登志子