ひとつ前の記事で最後に書いた



お義姉さんが口にした


「ねぇ、としこさん」 

「うちに来る?ってお母さんに言ってみて」




その言葉が


何を意味しているのかよりも






胸に手をあてて

じぶんの心の揺らぎを感じることだけに


集中した






母の退院の目処はたっている









ただただ内側へと


入っていく




瞑想したり からだの感覚を感じたり




さわやかな風が吹く


草原に立っている感覚や





百会から光のエネルギーが


注がれる感覚





要らないものは


足の裏 湧泉から大地へと…








まわりのことは気にしない



ただただ集中








目をとじると



静かな波がゆらゆら


水面がキラキラと光っていて







面会のとき


母が穏やかであったように





こころが落ち着いた











母はしあわせそうな表情をしていた



それを見ていた わたしも

しあわせだった







母との暮らしを夢見ていた わたし


という「我」が出てきた時




わたしの意識は


3年前… いや、小さな頃へと


遡っていた






そこには



家族揃って



食卓を囲む







父と母と姉と兄とわたしと弟の姿があった











家族揃って 食事をすることが


日常だった



そんな環境で


私は育った





父が仕事から帰宅するまでに


母が数品の料理をつくり



家族揃って 「いただきます」をする




今日あったことを話したり



食べるのが遅かったわたしは


「食べないの?」と

きょうだいがおかずを食べたり




そうかと思えば


父が「これ、食べる?」と

わたしのお皿におかずを

取り分けてくれたり



家族揃って「ごちそうさま」をしたあとは





家族が居間へテレビを観に行く







わたしは




そのタイミングで


母がお茶碗を洗うのを楽しみにしていて







その後ろ姿を見ながら



ただ、そこにいる母を感じたり



時には

話したいことや

聞いてほしいことを



母に話したりして






ゆったり流れる


時間を過ごしていた











そういえば



我が子も わたしがお茶碗を洗っていると



スーッと そばに来て


何か話をしに来ては


スーッと 居なくなってたなぁ





あっ、いまもそうだ








じいちゃん(=義父)を介護していた時は


介護ベッドに付いているテーブルを使うのではなく





じいちゃんを車いすに乗せ



家族と同じ食卓で


顔を合わせながら

いっしょに食事をする



そんなことを


当たり前のようにしていた







そして


季節の行事やお誕生日など



なんだかんだ


長男夫婦や孫

次男の彼女にも声をかけては



わが家の食卓を皆で囲む





ということをしている













わたしの中で



家族揃っての食事じかん

そして、キッチンリセットのじかん



たとえ 離れて住んでいても

時々 集まって食事をする



このゴールデンタイムを



特に

至福の時間としていたことに

気づいたのです





昨夜。







はい、昨夜


実姉に

わたしの中にあった怒りを

聞いてもらって



ひとりになったとき


気づきました…









わたしにとって


家族とのじかんが

心の原点みたいになっていて





わたしは、したくてしていて






それに付き合ってくれている


家族がいて





ありがとうって感情が


涙となり溢れた








で、ここからがはじまりだったりするわけで


終わりじゃないんだな、これが。













平成10年に父が亡くなってから


実家の母は

ひとりでごはんを食べていると聞いた時




わたしの内側から


怒りがマグマのように沸いてきて





同居しているのに?とか


父が居た時は、兄家族も揃って

食べてたのに?とか



母が元気な頃から

部屋でひとりで食べてたの?とか







わたしの価値観を当てはめて


他人を裁いた瞬間




あり得ない!


と、なったのです








わたしの価値観に当てはめて


この人たちは、そうなんだなぁ~

わたしは、こうだなぁ~


とは、いかなかった


「タネ」が

わたしの中にあったということです








あ、人んちの食事事情に


何をイラついてるの??と


いまなら、わかります





でも、ずっと気づかなかったんです





この怒りを゙感じるまでは…










わたしが、こんなにも


家族揃って食事をすることを

しあわせに感じているなんて


気づかなかったのです





逆に、怒りが出たことで


気づけたのです





わたしの「よろこび」のひとつは何なのか


わたしの「大切にしたいこと」のひとつは何なのか


わたしの「特性」を


知ることができたのです







家庭によって


生活スタイルは違う





学びも違う




わかってるよ…


でも…



となったのは


わたしの「タネ」が反応しただけであって







それぞれに


いま この瞬間


すべては完全なのだ





それが、腑に落ちた出来事だった










母を引き取り


母との日常を暮らしたい










それは



わたしが「しあわせ」と感じてきた


日常であって





母の「しあわせ」とは限らない






この世は

すべての願いが叶っているのだから



同居していながらも

母がひとりぼっちで食事をしていた

30年余りがあるとするならば



それは


そういうことなのだろう








家族がいながら


来る日も来る日も

ひとりで食事をすることは



わたしの世界にはないことだと


感じている


わたしの宇宙がある




ということに過ぎないのだ







わたしがあり得ないと感じていても


そういうことをフツーだと感じている人も

それに耐えられる人も

何とも思ってない人もいて


100人居たら 100 通りの感じ方がある









あくまでも


わたしの創造する世界なのだ











介護者である
兄夫婦の決めたことと



被介護者である
母の決めたことは



図らずも一致








母は、退院後


自宅に帰ることを希望しなかった







それが

母の出した答え




83歳の母は

じぶんの人生の選択をした



カッコいいよ、お母さん






泣けるけど…



涙が止まらないけど…







母の選択を応援するよ







体験したことのない


新しい空間で




いまの母のままで


自由に経験しておいで






どこに行ったって




母なら


大丈夫だ









涙が止まらない








母は大丈夫






わたしは



いちばん手のかかる

わたしのお守りをしないとね





ぼーっと

ひとりになりたいときも、ある





どっちも、ある








とめどなく流れる

この涙の理由を



いちばん近くにいて

ひとときも離れず

わたしが聴いてあげよう





想いを

わたしが声にすれば

わたしの耳がいちばん近くで聴いている














ありがとうございます


トリニティ数秘術認定カウンセラー
山本登志子