3月、4月は

とても感情が動いた2ヶ月だった




それでも


こうして心身健全でいられることに


たくさんの神々の御加護を感じ


また一方では

ずいぶん成長したね

ここまで よく頑張ったね


と、じぶんへの溢れる感謝も

伝えた







日常の中に


喜びややさしさを感じられるようになって




少しずつ


生きることへの抵抗が


淡くなっていき






その中で


社会貢献などといったことが

できるのならば

したい…

と感じはじめたのが




同時進行で進んでいた


子育てと義父の在宅介護が終わって




もう何もしたくない


もう何もできない




そんなじぶんを赦した時だった












あんなに駆けずり回って


家事をはじめとする

日々の生活に注力していた

わたしだったけれど




何もする気が起きなくなって


ぬけがらのように

何とか生きていた頃





みるみる家の中が荒れていった






家事という家事が

手につかないのだから


無理はない…






当時 大学生だった次男が


「この家はどうなっとるんだ!」


と怒りと悲しみと不安が混ざりあったように

叫んだことがあった






確かに


次男は生まれてこのかた

洗濯待ちの洗濯物が

山になっている


という状況を見たことがない






台所のキッチンシンクに


食器や鍋が散乱している状況を


見たことがない






そんな彼にとって


だんだん荒れていく我が家の状態をみて




そう叫ぶのもわからなくはなかった









「この家はどうなっとるんだ!」










そのあとにつづいた言葉は


母であるわたしへ向けられた





「今日一日、何してたの」












わたしは


「ずっと、ここに座ってしあわせに生きてた」




と力の入らない声でこたえた










すると




「しあわせだったら、いいや」







その言葉に込められた


声のトーンや温もりや愛情を感じ





涙した





何も出来ない わたしだった









旦那さんは


仕事終わりに 


スーパーで買い物をして




食事の支度をしてくれて





「ママ、ご飯できたよー」



と声をかけてくれて




そのタイミングで


毛布に包まれていたわたしは


やっと食卓までいく








そんな日がどれくらいつづいたかな…












思い起こせば


旦那さんと付き合いはじめた時





はじめてのデートで



彼は途中


コンビニに寄って


パスタとパスタソースを購入




当時

四駆に乗っていたのもあって



「山が好きなんだ」という彼が



山道を走らせ


自然がいっぱいの新緑が心地よい場所に


車を停めて




おもむろに


キャンプ用品をセットして



わたしが座る場所を設置してくれて…






ただ見ているだけのわたしの前で




慣れた手つきで


お湯を沸かし


パスタを茹で


パスタソースを温めて





見るからに簡易的なお皿に


盛りつけてくれて




ふたりで


「いただきます」をして


食べたのだった







あの頃から


等身大である姿を


ずっとずっと


見せてくれていたことに




気づいたのも





何もできない わたしになった


この時でした








若い頃


アメリカへ渡り

数年間 滞在し

勉強をしながら 厨房で働いていたり




こうして簡易的に食事をつくり

大好きなバイクで

アメリカ横断 縦断 しながら


旅をしていたとのこと






彼にとっては


デートであろうと

ひとり旅であろうと

家族旅であろうと



あの姿が まさに等身大。




のちに結婚して

子どもが生まれてからも


旅行といえば


キャンプだった







結婚して

30年をこえて


いまも


ずっと 


ひとつ屋根の下で暮らすことが


できていることに




なんとも


あたたかさを感じるのです






そして


次男が就職して

休職して 退職して


しばらく動けなかった時






生きることへの喪失感を


話してくれたことがあったのだけど




「同じように

   わたしが何もできなくなって


    ただ そこに生きていた時に



    あなたが言ってくれた言葉を


    お母さんは あなたにおくるよ」




と伝えたら

涙がつぅーーっと流れた息子







そう


「しあわせだったら、いいや」





何ができても 何ができなくても


しあわせでいていい





じぶんに価値があろうと なかろうと




ぐちゃぐちゃ考えてようと







生きている…










頑張ってる!と表現できる時




そして


頑張っているとは到底思えない


そんな状態をそのまま表現している時






どちらも素敵な表現だと


わたしは感じるのです






誰だって


日々 自己表現していないときなんて


ひとつもなくて








何かしら





表現している










何もできないなら


ストップ… 立ち止まる…


という表現をしている















ふらっと 入ったお店で

出会えた「登り鯉」を見ながら



うん、


うん、



うん…






3回頷いた わたしだった














(photo by 秋月 雅さん)







ありがとうございます

トリニティ数秘術認定カウンセラー
山本登志子