ひとつ前の記事の



つづきになります




家族が救急搬送され


出雲への夫婦旅を取りやめて




明くる日も


家族に付き添い


わたしは病院にいました






診察を待つ間



じかんを確認しようと


スマホを見ると




LINEの通知があることに気づきました







ひらいてみると


お友だちからのメッセージでした




救急搬送されてから


家族への連絡以外に


スマホを触ることなく


過ごしていたようで




メッセージは前日のものでした






そこには


「高波動な写真送っておくわ」


との文字と共に


お友だちが旅先で大きな船の前に立ち

笑顔で

撮影した写真がありました

(もちろん、お友だちはうちの家族が救急搬送されたことは何も知りません)





広々とした待合の


廊下の椅子に腰掛けていた



わたしでしたが



高波動なん ウケる  泣けるやん

護られてる…

いつもありがとう




そう感じて




「ありがたき友よ」とメッセージをして


じわりと涙腺がゆるみ


高波動を浴びている感覚を感じながら




しばらく目をとじていたのでした









必要なタイミングで



この安心を受け取れていることにも


たくさんの感謝が溢れたのでした




ありがとうございます









そしてさらに2日後の朝




名古屋の自宅で

揺れを感じ


すぐにおさまったのだけど



何となく気になって


調べると





実家のある岐阜が震源地とのこと







すぐに 兄嫁さんに


「ご無沙汰しています」

「地震大丈夫ですか」




とLINEをして…





すると


「少し揺れましたが 大丈夫です」


と返信をもらい


良かった♡と安心していると






お義姉さんから


LINEに動画と写真が届いて…




「退院後 初めて外を歩きました」

との文字。








わたしの母は


2021年8月に倒れて


救急搬送されてから



半身が不自由になり


しばらく入院





退院してからは


元々 いっしょに暮らしていた 兄家族に

介護をしてもらいながら

これまで過ごしてきたのでした



ベッドで寝ているか

車イスに座っているか…



倒れる前は

出来ていたことが


ひとりで出来なくなり




みるみる太っていき




その母の姿を見るのも辛くなり





この一年ほどは


母に会いに行ってなかったのです





母が倒れ

介護を必要とするようになったとき


「わたしに介護を任せて欲しい」

「お母さんとの日常を過ごしたい」


と懇願したこともあったほど






わたしは母との時間を


必要としていて




それでも


元々 同居していた兄家族と暮らすことや


住み慣れた町で暮らすこと


そして


何より


お義姉さんが母の介護をすることに

手を挙げてくれたこと





わたしの心の


いろんな葛藤の中で




わたしは


わたしなりに



一生懸命



母とお義姉さんにとって

大切な時間なのだ…


わたしの出る場所ではないのだ



しあわせにしかならない



皆 誰しもが

しあわせにしかならないのだから

信頼して

お願いしよう






じぶんを納得させ


じぶんをなだめ


じぶんといっしょにいることを


してきました






母が太ったことで


会いに行きたいという思いが


少しずつ小さくなり




ようやく


母との関係性の中のじぶんではなく


わたしは わたしの人生を生きようと


思えたのでした





母が太ったことは


わたしにとっては

「もう会いに行くのをやめよう」と思えた

ある意味 「救い」だったのです





お母さん お母さんって

いつまでも言ってないで

あなたは あなたの人生をいきなさい


という母からの



無意識レベルの

メッセージだったのかもしれません








話を戻します




「退院後 初めて外を歩きました」

との文字と共に送られてきた

写真には


倒れた2021年8月


さらに 最後に会いに行った

一年前とは


別人の母がいました







ご近所さんといっしょに


桜の前で

杖をついて立っている母





涙がとまりませんでした










出雲へ行っていたら


あの地震の少しの揺れに

反応することは なかった




実家へ連絡することもなかった







出雲大社の神さまの前で


旦那さんと出逢えたことの喜びと感謝を

伝えたい


と感じていた




このタイミングで





こうして



いつもいつも

寛大 そして慈悲のお心で


母と一緒に

献身的に日常を暮らしてくれている



お義姉さんに


感謝を伝えることができたこと





見違えるほどの


母の姿を見せてもらえたことに




感謝と安心とぬくもりを感じ





涙がとめどなく流れたのでした










母は

一生懸命リハビリを頑張っているそうです








母は


母の人生を日々いきている




そして


家族もみんな


ひとりひとり


じぶんの人生を一生懸命生きている





それが

たとえ  辛そうに見えたとしても


じぶんの人生を生きたい!

この いただいた いのちをつかって生きる…



その姿を見せてくれているのだと…







出雲に行く予定をしていた日々は





たくさんの涙が流れ


こころが動きました







すべては

つながっている












ありがとうございます


トリニティ数秘術認定カウンセラー
山夲登志子