
「21世紀、少子高齢化社会に伴う経済危機」なる言葉を耳にするようになったのは、21世紀に入ったころであったように思う。その当時、40歳台であり、正直言って、この問題をあまり直視していなかったと言うより、全くもって、当事者意識がなかったと言うのが正しいかも知れない。
人口減少はむしろ望ましいのではないか? 狭い宅地にラビットハウスを建てている状態が人口減少により土地のニーズが減り、宅地が安くなって広い土地を確保できるようになるのは好都合ではないかと私ばかりでなく、多くが少子高齢化社会の到来をむしろ歓迎していたように思う。
シエクスピアも戯曲として扱った「人生、終わりよければ総て良し」は、納得がいく。誰もが年を取り老人になることを働き盛りの方々はどの程度実感しているのか? 現実、中心となって社会を動かしている年齢層は、40歳‐60歳前半の年齢層で、65歳以上の年齢の方々の思いを適格に理解しているとは思えない。両親、祖父母の思いやニーズを「年だから!」との一言で片づけてしまっているのではないか、、?
しかし、多様な経験を積んだ人生の先輩の知技をうまく活用することは国益に通じるはずである。
経済の疲弊と人口減少
少子は人口減少に直結し経済衰退につながると感じたのは、昨年、久しぶりに南紀白浜を訪れたときであった。
白浜は、1980年台から20年近く、新婚旅行や海水浴、釣りやボート遊びなど夏のレジャーでにぎ合う人気観光地で、和歌山県、田辺市、白浜市は、特に海水浴シーズンには賑わい、狭い国道42号線は車で埋まり、大阪市内から白浜まで4時間程かかっていたのを記憶する。
当時、国道筋には食堂や喫茶店、土産物店が乱立し、海辺のペンションは我々の羨望の的であった。
近年、この国道沿いは、すっかり様変わりし、食事処や喫茶店、海産物を扱う土産物店は、ほとんど廃業し、事業が継続できても昔の面影はなく、なんとか、土日、祝日営業しているのが現状である。
当地を訪れる観光客の原動力は若さであり、少子社会は、人流のポテンシャルを失い、この地の回復の兆しはみえない。このように、少子高齢社会は、特に地方経済を低下させる。
また、高齢社会に存在する多様な社会的問題は、終末医療・介護の問題に帰せられ、高齢者の社会的活躍の余地は殆どないと言える。しかし、高齢者のもつ知恵や技能、情報は十分活用できるはずである。
高齢者層のニーズをパワーに換える試み!
このような中で、高齢者の経験と知恵、ネットワーク網を生かすシステムが存在すれば、高齢者の強みが発揮でき次世代への貴重な指針に生かされるのではないかと強く思った次第である。

図に示すように日本の総人口の減少と年齢構成比の推移は、1980年台から大きく変貌し、寿命が延びたこともあって60歳以上の高齢者人口は大幅に増加し総人口の四分の一に達する、正に高齢社会となった。
出典は定かではないが、「衣食足りて礼節を知る」、あるいは、孟子が言ったとされる「恒産なきものは恒心なし」なる諺は、中年層にとって今後の在り方・生き方を自らに問いかける諭しの名言だと思う。
古希を超えた高齢者に対し「今までの人生で何か思い残すことがありますか?」との問いに、「やりたいと思ったことをトコトンやらなかったこと」との返答が統計的に最も多いと言われている。これからの余生をどんな生き方をしたいかとの問いに、「社会的に、また、家庭的に役立っているとの実感を持ちたい」との答えがグローバルアンサーであるらしい。
一体全体、高齢者のつよみや優位性はあるのか? そのメリットを生かせる局面はあるのか?
ビジネスの成功のカギはご縁に恵まれ、ご縁を生かすこと。
成功した経営者にその秘訣をお聞きすると、「ご縁を大切にし、ご縁を生かしたこと」と言われます。人と人との出会いから生まれるご縁は、ポジティヴな意味での「犬も歩けば棒にあたる」との諺が示す如くであり、出歩くことや電話等での会話、ネット交信を通じてもたらされ、コミュニケーションは社会の肝心要である。
ケアーハウス入居と生き甲斐
80歳台で一人の生活を強いられる高齢者は、全人口の60%強。その年齢層で男性一人になる確率は約25%。夫婦ともに健康な高齢者も一人になる確率が高く、子どもの厄介になりたくないとの思いでケアーハウスに入居するものが多い。女性は、一般に柔軟な交友関係をもち、ひとりの生活になっても生活のポテンシャルが極端に落ちることは少なく、平均寿命は早晩90歳に届く。
完全介護付きのケアーハウスに入居している男性への、「あなたは、人生、成功を収めたと言えるのではないでしょうか」なる問いかけに「必ずしも、、、」「まだ、いや、どうでしょうか?」と答える方が多いのを訝しがりながら、少なくとも「衣食足りて」「恒産」を保っている方は十分幸せであると第三者として思うが、このような方は、前述したように、「社会に役立っている」と感じることができれば、さらに満足度は上がると思う。
自らを語るきっかけづくり:組織に属すること・名刺をもつこと
2003年に個人情報保護法が制定されて以来、SNSなどインターネットの発展に伴い、情報拡散は思いもよらない速度と広がりをみせ、その議論がなされている。
この春、ある驚きの発見をした。個人情報の拡散に異常なほど敏感になってきた結果かと思われる事例に出くわした。ある大企業の社長、顧問を歴任した知人に手紙と共にある資料をお送りしようと、こちらの素性を申し上げて、転送して下さるよう所属部署にお願いしたところ、部署からの返事は、「退職者にはそのような取次作業は致しません」とのこと。役員を務められた方々も特別扱いしないとのことだった。部署に保存している個人情報は破棄、使用しないとのこと。何か冷たさを感じた瞬間であった。
このような世情であれば、組織を去る時、組織と個人の関わり方のルールが必要であると強く思った次第である。今回のような門前払いを受けたとき、退職後の連絡はいかにあるべきか、新しい仕組みが必要ではないだろうか? 退職後の転送先を管理するそんな仕組みがあれば良いのではないか、新たな組織に所属していることを退職時、知人に連絡しておけば引き続き情報は入手しやすいと思った。
豊富な経験・知識・ご縁を生かすことのできる仕組み構築
私の好きな言葉に「タニマチ」がある。
タニマチ(谷町)とは、ひいきにしてくれる客、または、応援してくれる人、無償スポンサーを指す相撲界の隠語と言われている。少しニュアンスは異なるが、世界的な細菌学者、最も使う紙幣である千円札の顔、野口英世は、幼児期のやけどで左手が不自由であったが、貧しく術代を賄うことができなかったが、費用を工面して貰ったお蔭で左手は使えるようになり細菌学者への道が開かれた。この話はよく知られ、彼の成長を金銭的に支援した小林栄氏の美談はタニマチ行為として知られており、貧しいが成長が期待できる若者をこのように精神的・経済的にささえる行為はタニマチ精神であると学んできた。また、このタニマチ精神は、よちよち歩きの起業人への支援の心にも通じると思う。
‐タニマチメンターズ設立‐
日本でベンチャー企業として成功を夢見る若者は、心(心構え)技(知・技)体(財)、全てが整っているわけではないが、彼らを国家の宝と捕らえるべき力点は「起業家を目指そう」との心意気、そのひたむきさ」で、そのエネルギーを人一倍もつ人たちであることだと思う。
しかし、彼らは未経験であるが故のハンディキャップを併せもっている訳で、タニマチによる適切なメンターが必要である。なぜなら、萌芽期を経て10年以上生き残れる企業は1%以下と言われている。事業展開が失敗しないよう経験豊かなタニマチが知識や技能、情報を差し伸べれば、その成功率は大幅にあがるものと期待される。
LLP タニマチメンターズ設立に向かって
高齢者の優位性を生かす仕組みを小生が中心になり、結成しようと考えた。
個人企業で最も足りないのは営業力であり、営業とはニーズの掘り起こしでもあり、製品をつくりあげる過程では多くの技術者や人の関わりが求められる。製品を商品として売るには、ニーズを確保しなければお金にはならない。辣腕営業マンを抱えるには、それなりの人件費が必要で、起業家はモノ作りから営業まで個人レベルで努めなければならないのが実情であるが、このような起業家にメンターすることで業績があがることは十分期待でき、私企業や小企業経営者にとって貴重なアドヴァイスはありがたいと思う。
LLPタニマチメンターズ説明会の様子 メンター候補を集める
前述したが、企業で活躍した方々が退職した後、同業で再就職することは難しいが現役時代、お付き合いした方々とのご縁は、決して風化するものではない。しかし、また、名刺をもっていないために交流の場に出ることが疎くなることは否めない。メンター力をもっているのに、それを生かす機会が極めて少ないのが現状である。
それでは、そんな機会をもてる集団を結成し、組織力のない、ご縁の少ない起業家をメンターしてあげたらどうだろうか? 有料でメンターするのであれば、依頼者もその価値が妥当であるか否かを吟味しがちであり、依頼することに二の足を踏む場合が多い。無償でメンターし、成果があがった場合、お布施で返して頂くことであれば気安くメンターを依頼でき、メンタリストとしても気楽である。資金援助は別途用立てるとして切り離して考えることで容易に活動ができる。
こんな思いから、タニマチメンターズなる組織を有限責任事業組合(LLP)の形で企画した。
このメンターズ組合に所属し、金の名刺?をもてば、自信をもってご自分の得意分野でのメンター作業を実行できると思う。それに、最大のコミュニケーションツールとして、金の名刺?を差し出すことで会話の糸口が見いだせ、メンタリストとしての活動を語ることができる。即ち、自分もメンタリストとして、知識と技術を生かして社会貢献しているとの認識をもて、生甲斐に通じるのではないだろうか。
金の名刺