上祐史浩のTwitterに面白い投稿があったので紹介しよう

 

 

 

上祐さんが普段どうやって修行しているのか知りたいです。

本を読んでいるのですか?

どこかのお寺などで修行しているのですか?

大学などで学んでいるのですか?

 

 

 

お寺は定期的に聖地巡りをしたり、毎年一度、修験道の先達の指導を受けてその研修を受けたりしています。

しかし、基本的には、仏教でいえば、その修行は複雑なものではなく、離欲がやはり土台・基本であり、それを無理のない範囲で、毎日やることだと思います。

 

 

神社仏閣巡りの観光旅行が修行になるだろうか?

修験道の先生は星野文紘だと思われるが、年一回で極められるものなのだろうか?

毎日何をどれだけやっているのか具体的に知りたいものである。

 

 

 
私は、麻原は最終解脱したとは考えておらず、人格障害であったと考えています。
また、最終解脱には明確な定義も認証もなく麻原の自称です。
なお、瞑想の定義はなんでしょう?
一つの専門的な定義は、心の安定と集中をもたらす修習であり、そのため形を問わず、1日24時間が瞑想との思想もあります。
 

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アレフ時代の山本英司さんへの回答はこのようにある。

 

 

麻原氏のステージについて

 

かつてのオウム真理教において、

麻原氏は「最終解脱者」ということでしたが、

現在の宗教団体・アレフにおいて、

その点どうなのでしょうか。

 

もしも「最終解脱者」ということであれば、

一連の事件への関与についても、

 

確かに現世の法では犯罪とされているが、

しかしより高い立場からは“救済”だったのだ。

我々のような低いステージからは批判できない。

ただ信じてついていくしかない。

 

という考え方が出て来てもおかしくないはずです。

 

それとも、「最終解脱者」ではないと

アレフでは位置付けるのでしょうか。

 

そうだとすると、

 

ラージャ・ヨーガ

→クンダリニー・ヨーガ

→ジュニアーナ・ヨーガあるいはマハームドラー

→大乗のヨーガ

→アストラル・ヨーガ

→コーザル・ヨーガ

→最終解脱

 

というステージの階梯のどこに

麻原氏は位置付けられるのでしょうか。

 

あるいは、以上のステージの階梯そのものを

アレフでは採用していないのでしょうか。

 

以上、質問させていただきます。

 

 

山本英司

 

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お便りありがとうございます。

 

さて、ご質問についてですが、教団としては、何の位置づけもなしていないということです。

私個人の見解としても、何もありません。

私たちが、わからないことは無理してする必要はないと思っています。

ある意味で自然体で、わかることだけを今後はしっかりやっていきたいと考えています。

 

 

そもそも、人間が他人を完全に理解することは出来ないと思います。

私は、事件を否定しつつ、根元ヨーガ仏教の教えについては、前代表を評価していますが、

それは、自分では理解できない前代表の評価というよりも、

自分や友人が自分の体験として、その教えの価値を認めているという感じだと思います。

 

 

肩の力を抜いて、自然体でやっていきます。

 

上祐史浩

 

 

 

 

上祐自身も「21世紀の大黒柱」様ですが、人格障害なのだろうか?

麻原の位置づけは本音と建て前ではなかろうか?

 

 
 
 

これではオウムのままと言わざるを得ないのではなかろうか。

上祐には説明をお願いしたいところである。