昨日3/14(月)のニュースを紹介します。
----------------------------
●上京直後、地下鉄サリン事件に遭遇「苦労多くても自分の人生」
後遺症に苦しむ千葉の男性会社員
3/14(月) 7:02 47NEWS

目を保護するための特殊な眼鏡と目に使用する軟膏薬
千葉県八千代市に住む会社員の男性(45)は、1995年に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件の被害者の1人だ。両親の他界後に児童養護施設で18歳まで過ごし、進学のため上京した直後に巻き込まれた。14人が亡くなり、6千人以上が重軽症を負った事件から間もなく27年となる。後遺症に苦しみ続け、「死にたいと考えた時もあった。だけど今は、支えてくれる周囲の人のためにも明るく生きたいと思える」。(共同通信=永井なずな)
▽あの日
95年3月上旬、静岡県の高校を卒業し、東京都内の大学の夜間部へ通うため1人暮らしを始めた。同時に学費や生活費をまかなおうと、昼間は雑誌や新聞の配達員として働きだした。
同月20日の朝。普段通り千代田線で勤務先に向かう途中、霞ケ関駅のホームで異変に気付いた。
周りの人たちが急にパタパタと倒れだした。作り物の映画を見ているようで現実感がなかった。「逃げろ」。誰かが叫び、エスカレーター付近には人が殺到した。「お年寄りが踏み付けられ、大人にぶつかられた小学生が吹っ飛ばされていた。すさまじい光景だった。人間は自分の命が危なくなった時、周りを気にしていられなくなる」。走りながら自分も誰かにぶつかったが、振り返る余裕はなかった。ゼーゼーという苦しそうな呼吸があちこちで聞こえた。地上出口の光が見えたところで意識が遠のいた。
麻痺が残る手足
▽「えんがちょ」
病室のベッドで目を覚ますと日付が変わっていた。多くの被害者が運ばれた近隣の病院だった。全身が強い倦怠感で力が入らなかった。
約1週間後に退院したが、後遺症で力仕事を伴う会社は辞めるしかなかった。学業を続けるため職探しを急ぎ、テレビ局の事務職に就くことができた。
大学の友達に事件の話をした時のことだ。「サリンがうつるから近づくな。えんがちょ」。事実無根で差別的な言葉が返ってきた。胸をえぐられた。「事件のことを人に話せなくなった。両親は病死していて、寄り添ってくれる家族もいない。ひとりぼっちだった」。手首を切って自殺を図ったこともあった。

男性に届いた給付金支給の通知書(画像を一部加工しています)
▽ポリグラフ検査を受ける
施設の幼なじみや職場の先輩らに支えられ、何とか生き続けた。2010年暮れ、被害者や遺族に国が支払う給付金の申請期限が迫っているとニュースで知り、手続きを始めた。警察で当時の状況を繰り返し説明し、不正受給でない証明でポリグラフ(うそ発見器)検査も受けた。翌11年、給付金が支給された。少しずつ周囲に被害者であることを打ち明けられるようになった。
心身の不調は今も続く。歩く時につえが欠かせない。聴力が弱く視力も年々低下している。目の保護で装着する特殊な色つきの眼鏡を理由に、怖がられたり、理不尽に人から絡まれることもある。混雑した電車には今も乗れない。悪夢にうなされる夜は少なくない。
それでも、「生きてて良かったと今、思える。どうせなら明るく、周囲を喜ばせられる人になりたい」。新型コロナウイルスの定額給付金は育った施設に寄付した。ボランティアでごみ拾いを始め、近所に友達もできた。現在は婚約者や愛犬と同居し、心穏やかな時間が増えつつある。「苦労の多い人生かもしれないけれど、今ではこれが自分の宿命だと受け入れるようになったかな」

長年使用している歩行用の杖
「ありがちな言葉になってしまうけど、事件を風化させちゃいけないと思う」。今月20日も霞ケ関駅へ献花に行くつもりだ。
-----------------------
ひかりの輪はこの記事を読んでどう思うのだろうか?
2000年1月16日の会議には被害者を守護者と呼ぶとある。
上祐史浩は言い訳していたが、野田成人は事実であると認めている。
-----------------------
オウム集団幹部らの2000年1月16日頃の会議内容
ー上祐提案の改革案
出席者:上祐史浩、村岡達子、野田成人、杉浦実、岡田弘幸
3声明では、麻原尊師の指示、関与を認める。
・謝罪し、被害補償活動を行う。
・被害者を「守護者」と呼ぶ。
・発表することで、マスコミを味方につける。
[mixi] 野田成人に社会問題学ばせるのだ | 質問用トピック
----------------------
1996年12月ごろ上祐は獄中書簡で逆縁の救済を説いている。
----------------------
逆縁による救済についてお話しますと、尊師は私に「“被害者の会”(注・現在は「オウム真理教家族の会」)の親たちは未来際、私の弟子となるだろう」とおっしゃったことがありますが、尊師によると親たちは
尊師を強く憎んでいるが、その結果尊師に強く集中しているため、尊師とのデータ交換が、すなわち縁が生じ、来世に真理に導かれるそうなのです。
もちろん、憎しみではなく帰依心を持って集中することができればベストなのですが、何の集中もなければ何の縁も生じず、最悪なのです。よってサキャ神賢は「縁なき衆生は救済できない」とおっしゃったのです。それでチベットのタントラ経典の中には、真理と縁を作るために(他に手がなければ)菩薩に対して石を投げて逆縁を作れという教えもあるくらいです。
------------------------------
上祐はこれらは反省したという。
では、本当にそうなのか実際の行動を見てみよう。
2016年3月20日には温泉旅行に行き、週刊新潮に批判され、逆切れし開き直っている。
---------------------------
事件現場で関係者が頭を垂れているというのに温泉に浸かっている場合なのだろうか。
団体の施設から出てきた上祐氏に真意を聞こうとすると、旅行のことは棚に上げて、マシンガンのごとく喋りまくる。
「そういうことはお互いの信頼関係があって話せるものでしょう」
「突撃取材は困るんですよ!」
「ああ言えば上祐」は健在なのであった。
地下鉄サリン事件の日に「温泉旅行」を企画は「ああ言えば上祐」 | デイリー新潮 (dailyshincho.jp)
------------------------------
今年2022年3月20日は閉鎖した福岡支部の立て直しのために博多駅前で説法をするという。
-------------------------
●3月20日(日)13時から博多にて、上祐代表仏教・心理学セミナーのお知らせ
(2022年02月21日)

そろそろ梅も咲き始め春の気配が感じられますね。 皆さまお元気でお過ごしですか。
ひかりの輪では、各教室にて、上祐代表の仏教・心理学セミナーが開催されており、人生を幸福に生きるための『智慧の学びの場』として、さまざまな考え方を提供しています。
-------------------------
オウム事件を反省、遺族被害者に謝罪と言っているが、行動が正反対である。
むしろ行動は守護者、逆縁の救済と一致しているように見える。
ひかりの輪には遺族被害者に謝罪しよういう気持ちがどれぐれいあるのだろうか。
これではオウムのままと言わざるを得ないのではなかろうか。
上祐には説明をお願いしたいところである。







