神奈川県は様々な顔を持つ。工業都市川崎、港横浜、古都鎌倉、城下町小田原、旧軍港横須賀。
川は多摩川、相模川、酒匂川。海は湘南海岸。山は丹沢が国定公園、箱根は温泉と国立公園。湖も相模湖、津久井湖、宮ヶ瀬湖、三保ダムと揃う。農業や漁業も意外と盛ん。次の注目は相模原北部リニア橋本でしょうか。
リニア中央新幹線橋本(相模原)ができると東京都下の交通体系が変わる。八王子橋本間の横浜線の重要性が増し、京王相模原線の機能強化、JR相模線の海老名橋本間が発展する。橋本から甲府、飯田、中津川、名古屋へのアクセスが飛躍的に向上するのは間違いない。橋本と茅ヶ崎を結ぶ相模線。今では電化されて海老名駅もできましたが、かつては神奈川で唯一のタブレット交換が行われる単線の非電化路線でした。相模川の砂利採取のため寒川と西寒川の間に支線もあった。倉見駅には新幹線駅を作るツインシティ構想があり、相鉄いずみ野線の倉見延伸構想もある。



東海道線の国府津から箱根を迂回するように分岐し沼津で再び合流する御殿場線。この路線は丹那トンネル開通まで東海道線だった。途中の新松田で小田急が乗り入れ、新宿と御殿場間に特急ロマンスカー「ふじさん号」が走ります。御殿場からバスで新五合目に出て富士登山をする登山路が御殿場ルートです。御殿場ルートは距離が長く登山は結構きついですが、下りは砂走という走って富士山を下る区間のある快適なコースです。近くに陸上自衛隊の東富士演習場があり、大砲の音が鳴り響きます。東側に位置するので御来光を堪能できます。7合目と8合目に山小屋があり、名物のカレーで腹ごしらえして出発です。神奈川県は幕末以降に開けた横浜のイメージで語られることが多い。でも実は鎌倉幕府が滅びた後も室町幕府(鎌倉府)長官の足利氏の鎌倉公方と関東管領上杉氏が対立しつつも関東を治め、やがて小田原の後北条氏が関東の覇者となった。つまり秀吉の登場まで400年間神奈川が関東の政治の中心だったのです。鎌倉開府から300年も関東の政治の中心だった鎌倉は1293年の鎌倉大地震と1495年の明応地震で大津波に襲われ大きな被害を受けました。明応地震により鎌倉大仏は大仏殿が流失し露座になりました。1453年の享徳の乱で鎌倉公方足利成氏が下総の古河に移り以後鎌倉は歴史の表舞台から姿を消していきました。神奈川が最も不遇だったのは実は江戸時代でした。江戸に近い立地から譜代の小田原藩11万石には箱根関所の管理という大役が与えられました。


小田原藩は18世紀初頭の富士山の噴火の影響で領地の多くが大きな被害を受けました。なお幕末の戊辰戦争で小田原藩は一時旧幕府方につき減封処分を受けています。


奈良、京都と共に古都として日本人の心の故郷になっている鎌倉ですが、江戸時代には東海道からも外れ、忘れられた古都として長くその姿を変えずに残りました。その事が今日では多くの観光客が訪れる旧跡としての価値を生んでいます。神奈川にとって江戸時代の低迷は必要なことだったのかもしれません。鎌倉の三方を丘で囲まれ南だけ遠浅の海が開ける地形はヨーロッパ中世の城壁都市を思わせ、軍事都市であり攻めにくく守りやすい一方で、都市の近代的発展のためには致命的な不利を抱えていました。


逆に横浜は港を中心に同心円状に都市が広がる有利さを持っていたことが近代都市化に有利に働いたのです。日本有数の歴史を持つ町でありながら戦災にも遭わず長く古い町の形を残してきた「鎌倉好き」の人はたくさんいます。僕もその1人です。テレビで鎌倉が取り上げられると必ずその番組を見ます。鎌倉を歩く時は必ず手前の北鎌倉から始め、最後は江の電に乗る。何年も繰り返してきた鎌倉歩きの定番である。


僕は横浜市民ですが鎌倉から室町時代にかけての神奈川の歴史に凄く興味がある。横浜市中区に神奈川県立歴史博物館、都筑区には横浜市歴史博物館があって、各々が神奈川の歴史、横浜の歴史を分かりやすく展示している。神奈川歴史博物館は「いだてん」の三島弥彦が引退後に勤めた横浜正金銀行本店の建物です。


僕の家のすぐそばに何の変鉄もない道があるが実は鎌倉街道なのです。当時は上の道、中の道、下の道という三本の道が鎌倉に続いていて「いざ鎌倉」の時には武士たちが兵を引き連れて鎌倉に向かったのです。


身近なありふれた道にも歴史が刻まれているのだと思うと違って見えてくる。歴史探訪は面白い。横浜には競馬フアンにぜひ訪ねて欲しい場所があります。JRAの馬の博物館と横浜競馬場跡。根岸の高台にあります。


横浜競馬場は日本初の洋式競馬場で天皇賞の前身の帝室御賞典、皐月賞の前身の横浜農林省賞典四歳呼馬レースも横浜競馬場で行われていた。なお第1回日本ダービーは目黒競馬場で行われました。


横浜と言えば港ですね。かつて横浜港駅という駅が存在したのをご存じですか。横浜港駅はかつてまだ民間航空機が就航する前には外国に出かけるのは船だけだった時代には横浜とサンフランシスコ、シアトルを結ぶ定期航路が唯一の手段でした。そして東京駅から横浜港駅まで直通列車が走っていました。横浜港駅は今は存在しませんが赤レンガ倉庫の近くにプラットホームが保存されていて往時の姿を微かにとどめています。


シアトル航路が最終日を迎えたのは1960年(昭和35年)8月でした。その船こそ山下公園の氷川丸なのです!


その後も横浜ナホトカ航路がソ連崩壊後の1992年(平成4年)まで継続していました。神奈川県にはまだまだ魅力ある観光地がありますが、最後に丹沢と箱根を紹介します。丹沢は首都圏に近い登山コースとして多くのハイカーに親しまれていますが、特に山小屋1泊の丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸縦走と中川温泉ルートはお勧めです。箱根は一大観光地ですが穴場は旧東海道。三島から箱根関所を経て湯本に至る江戸時代の旅体験。富士山の絶景が見事です。