目が覚めると時計は5時を回っていた。出発予定時刻を2時間も過ぎている。指定券なら完全にアウト。だが、今日は青春18の日帰り旅。ヤフー!の路線検索。おお!代替措置発見。しかも予定したルートの変更なし。早速手早く出発準備して家を飛び出し、地下鉄に乗り込む。房総半島一周の旅が始まった。横浜駅から羽田空港第1ターミナル行きのリムジンバスに乗る。シートベルト着用。羽田から木更津行きのバスに乗り換える。横浜→木更津間を鉄路で行けば2時間かかり寝過ごした今日の日程ではとても間に合わない。羽田空港の国内線は第一ターミナルが日航、第二ターミナルが全日空の発着場所となる。 羽田空港第1ビルから木更津行きのバスに乗車。羽田空港第1ビルではバスの到着場所と出発場所の階が別れるので要注意。日東交通の木更津駅東口バスが到着。乗客は2人だけ。これからアクアライン経由で木更津駅に向かう。

道路は凄く混んでいる。館山方面行き列車に間に合うのか心配だ。 今7時20分。木更津7時40分発は無理だな。代替措置を考えよう。そういえば銚子の滞在時間は結構長かったぞ。再確認すると次の木更津8時28分発で何とかなりそう。それにしても夏の土日のアクアラインの混雑を想定しなかったのは甘かった。トンネルを抜けると急に流れ出した。頑張れ運転手! 横浜から木更津までバスを使ったので今日の青春18の経済効果はだいぶ減った。それでも青春18の1日の費用は2500円程度。バス代含めて4300円位。まともに料金を払うと今日の行程だと6000円は掛かるからまだ割安感がある。嗚呼7時40分の発車時刻を過ぎた!残念。気を取り直し朝飯だ。

木更津発館山行きの普通列車に乗車。当初の予定よりだいぶ遅れたが気にしない。君津、青堀、大貫、浜金谷、館山と内房線の駅に停車する。かつて君津館山間には特急さざなみという列車が走っていて乗ったことがあるが乗客の減少などで週末の「新宿さざなみ」以外は君津止まりの通勤列車化されたようだ。列車は大貫、佐貫、上総湊、竹岡と富津市内の駅に停車。富津は海水浴場や潮干狩りの名所。浜金谷に到着。金谷港は久里浜金谷間の東京湾フェリーが発着する。近くの鋸山には大仏のある日本寺というお寺がある。

浜金谷を過ぎると上総地方を過ぎ安房地方に入る。里見八犬伝や清澄山で知られる。列車は保田駅へ。ほたと読む。保田海水浴場で知られる。安房勝山駅。ここも勝山海水浴場のある駅。岩井駅。岩井海水浴場のあるところ。実はここも東京湾の一部だ。富浦。海水浴場と房州ビワの名産地。東京湾は魚も豊富で、特に千葉県側には海水浴場もたくさんある。 那古船形駅から列車は館山市内に入った。ロックバンドXJAPANのYOSHIKIとToshIは館山の出身で安房高校の卒業生。

館山から鴨川方面は1時間に1本のローカル線。この区間は初めて乗る区間。駅のトイレを利用。清潔に保たれている。千葉県南部の各駅は年々利用者が減っているのが残念。 館山駅に安房鴨川駅行きの電車が入線してきた。停車駅は九重、千倉、千歳、南三原、和田浦、江見、太海そして安房鴨川駅だ。10時13分電車は浜千鳥のメロディーと共に館山駅を出発した。発車直前に館山駅に特急型電車が入線してきた。だが、行き先表示がない。回送のようだ。かつては館山にも特急さざなみが定期運行されていた時期があった。九重駅に到着。車窓風景はのどか。単線区間。千倉駅に到着。ここから白浜まではバス路線が結ぶ。千歳駅。片側のみのホーム。田園風景が広がる。南三原駅。イシモチ釣りの観光案内表示。イシモチと言えば投げ釣りで釣る魚。砂浜の海岸なのだろうか。和田浦駅。太平洋に開けた海水浴場がある。館山行きの列車と待ち合わせ。 江見駅。南房総は温暖な気候を利用して花の栽培が盛ん。太海駅に向かう。海の景色が良い。 太海駅。

名勝仁右衛門島最寄り駅。車内には青春18キッパーらしき若者の姿が目立つ。反対ホームに185系が入ってきた。臨時列車のようだ。次の安房鴨川駅で外房線千葉行きに乗り換え。

大網まで行く。 外房線は安房天津、安房小湊と順調に到着した。安房天津は清澄山、安房小湊は誕生寺、鯛ノ浦の最寄り駅。小湊鉄道は上総中野の先安房小湊まで延伸予定だったが中止になった。フラミンゴショーで知られる行川アイランド駅に到着。 上総興津から地名は再び上総に戻った。勝浦駅に到着。

海に面してホテル三日月が建つ。和歌山県にも勝浦という町がある。熊野三山の出発点。共通するのはいずれも漁業の町ということか。そういえば先日神宮で全日本大学野球選手権を母校立大と決勝で戦った国際武道大学はここ千葉の勝浦にある。 御宿駅。太平洋に面した海水浴場があり、童謡月の砂漠の発祥地。この駅もJR発足当時1400人いた乗降客が今では600人を割っている。鉄道利用者の減少はかなり深刻である。地元民の利用者数はあまり変化ないとすればやはり原因はマイカーの増加か。特にアクアライン開通が決定打となったようだ。外房線はこのあと三門、長者町、大東、東浪見、上総一ノ宮、八積、茂原、新茂原、本納、永田、大網と続く。東浪見駅は駅好きとしては読み方の難しさ(とらみ)と読む、ホームに生い茂った手入れされていない草むらの情景が良い。

上総一ノ宮駅に到着。ところで上総一ノ宮ってどんな神社だったかな? まもなく茂原駅だ。茂原と言えば天然ガス。特に天然ガスに含まれるヨウ素から作るヨードの生産量では全世界の実に4割を南関東ガス田という茂原の天然ガス田から生産しており、日本の誇る特産中の特産の鉱物資源であることはあまり知られていない。大網駅に到着。ここから地下連絡通路を通り東金線に乗り換え。この路線も初めて乗る路線。福俵、東金、求名、成東駅を結ぶ。成東から総武線に乗り換え銚子へ。

東金駅に到着。東金は山武郡の中心都市。東金が外房線から外れたのは市民の反対のためとか。市民の先見性の無さは今に始まったことではない。 成東駅から総武本線の下り銚子行きに乗り換え。松尾、横芝、飯倉、八日市場、干潟、旭、飯岡、倉橋、猿田、松岸を経て銚子に着く。ほぼ九十九里海岸に沿って走る総武本線。神奈川や東京で見る横須賀線カラーの総武快速線や中央線の各駅停車の総武線とは違う千葉カラーが目に鮮やかだ。

総武本線の八日市場駅に到着。かつて日本には八日市を名乗る市が二つあったが、いずれも消滅している。千葉県の八日市場市は匝瑳市になり、滋賀県の八日市市は東近江市に変わっている。 干潟駅に到着。駅のネーミングが良い。旭駅。

旭市の玄関口。旭市は九十九里海岸北端に位置する農業の町だが、注目すべきは日本有数の規模を誇る公立地方独立行政法人国保旭総合病院を有する医療の町という点である。創立が1953年というから60年以上も前になる。旭市の先見性の高さに驚く。 まもなく銚子に到着。ここで成田線に乗り換える。

木更津から館山まで東京湾に沿って走り、館山から銚子までは太平洋に沿って走ってきた。今度は日本一の大河利根川に沿って走る。房総半島一周の青春18切符の旅も凡そ3分の2の行程を走り終えた。銚子でぬれ煎餅を買う。

銚子駅で成田線千葉行きに乗車。利根川に沿って佐原経由でで成田まで行く。成田で乗り換え我孫子で常磐線に接続する予定。今日は夜には地域の盆踊り。消防団の班長として巡回警備の指揮を取らねばならぬ。家族への土産も。銚子駅は改装工事中。キオスクで銚子電鉄の濡れ煎餅を2袋購入。急ぎ成田線へ。 成田線は利根川に沿って進む。銚子、松岸、椎柴、下総橋、笹川、小見川、水郷、香取、佐原、大戸、下総上島、滑河、久住、成田だ。地名に下総という名前が目立つようになった。上総→安房→下総と千葉県をぐるり一周することは、関八州のうち旧三国を廻ることになる。水郷という印象的な名前の駅に着いた。香取で鹿島線が分岐。昨年冬には鹿島線から鹿島臨海鉄道に向かったのでここから先の区間も初めて乗る区間となる。佐原駅に到着。この付近はほとんど水田地帯である。千葉県もこの辺りまで来ると平地が多い。広大な関東平野の一角にあることを感じさせる。70年代に何故この地に成田空港が建設されたのかもよくわかる。過激な反対運動の妨害によって空港建設は大幅に遅れ、成田新幹線計画も「市民」運動の結果白紙撤回させられた。成田空港はアジアのハブ空港線としての地位を低下させ、香港や韓国にその地位を奪われつつある。成田空港反対闘争は本当に日本人が首謀者だったのか?今思うと疑問が湧いてくる。40年以上経って今度は沖縄で年老いた過激派が同じ轍を踏もうと猛烈な反対運動を展開している。似非市民が日本を潰す。まもなく成田駅に到着。

ここから成田線は2つに別れる。ここで我孫子行きに乗り換えて常磐線の我孫子まで行く。成田山新勝寺が見えてきた。 成田駅風景。成田空港、成田山新勝寺と魅力の多い成田。成田駅にNEXが入線してきた。この空港は基本的に国際線空港。関西空港と並んで紛れもなく日本の空の玄関口。ところが今では羽田の国際空港化により、かつての輝きを少し失いつつある成田空港。ここでも過激派市民運動が暗い影を落としている。 ここから成田線は常磐線の我孫子に向かう。かつてこの路線の周辺には印旛沼という巨大な沼があった。この沼を埋め立て農地を作り、千葉県北部は日本有数の穀倉地帯となった。そんな歴史を思い浮かべながらこの路線に乗る。下総松崎、安食、小林、木下、布佐、新木、湖北、東我孫子を経て我孫子に行く。成田線我孫子行きが成田駅を出発した。これでほぼ房総半島を一周したことになる。成田線は単線の電化区間。走る電車は常磐線の通勤電車カラーだ。埼玉、東京、川崎、横浜は旧武蔵エリアで共通項があるが、千葉県はやや遠い感じがしていた。しかしアクアライン開通以来急速に距離が縮まった気がする。 安食駅、小林駅と順調に停車。この付近はかつての印旛沼の北部にあたる。千葉県北部から茨城県南部の水郷地帯にかけては、印旛沼、手賀沼、霞ヶ浦、北浦、涸沼、牛久沼といった淡水の湖沼が点在し豊かな淡水釣り場を形成していた。今でも熱心な釣りファンは獲物を求めて通っているのだろうか。 木下駅に到着。

「きおろし」と読む。この辺りは難読な地名が目立つ。安食、布佐、我孫子もそうだ。我孫子は中国の兵法書「孫子」とは関係なく。我孫子宿という宿場の名前が由来らしい。 湖北駅に到着。湖とは手賀沼をさすようだ。我孫子は川魚料理の店が多かったそうだが、平成15年の鯉ヘルペス騒ぎで、大量に廃棄され未だ鯉の養殖は再開されていないそうだ。宮崎の口蹄疫騒動もそうだが、大切に飼育していた家畜を殺さなければならぬ飼育者の苦悩はどんなに辛かったことだろう。 我孫子駅に到着。常磐線快速上野行きにに乗り換え。柏、松戸、北千住、上野と馴染み深い駅名が続く。千葉県房総半島一周の青春18切符の旅も終わろうとしている。そういえば今日は木更津から電車に乗って以降一歩も外に出ていない。木更津で軽い朝食をとっただけ。上野駅で上野東京ライン熱海行きに乗車。この鉄道が開通したのは北陸新幹線開通と同じ平成27年3月。まだ2年余りしか経っていない。上野から熱海行きに乗る。それだけのことだが東京始発との違いは大きい。それまでは常磐線、東北線、高崎線方面から「東京駅に到着」というアナウンスはなかった。今日の青春18切符の旅「房総半島一周」編はいかがでしたか。横浜→羽田空港第1ビル→木更津→館山→安房鴨川→大網→銚子→成田→我孫子→上野→横浜でした。横浜→木更津関はバスを使いましたが木更津以降は18切符の旅でした。次の旅は8月4日夜から往復バスで鳥海山登山の旅です。お楽しみに。














