扶余豐璋は大和朝廷をけしかけて朝鮮半島に出兵させた挙げ句、百済の真の愛国者の鬼室福信を殺害し、戦況が不利になると高句麗に逃亡した人物である。百済を滅ぼした新羅唐連合軍に対抗した反乱の中心人物鬼室福信は清に滅ぼされた明の遺臣鄭成功に匹敵する人物だったと考えます。それを倭国から帰国したばかりの扶余豊璋があっさり殺してしまった。そのため梯子を外された大和朝廷軍は孤立し敗れたと考えます。鬼室福信に対する悪い評価は後世の権力者の評価に過ぎない。扶余豊璋は大和朝廷軍を見殺しにした挙げ句、高句麗に逃げ延び、高句麗も滅ぼされると唐に連れ去られ行方知れずとなったそうです。同志となるべき人物を疑心暗鬼で殺してしまい惨めな運命をたどった扶余豊璋など唾棄すべき人物だと考えます。新羅に滅ぼされた百済は従来大和朝廷と縁が深く、彼らの救済のために倭国は宿敵新羅と戦ったイメージがある。しかし百済は大和朝廷の力を利用して半島に勢力を維持していただけだ。高句麗も新羅同様に唐を頼みとした挙げ句、唐の軍隊を国内に呼び込んで滅ぼされてしまった。百済も高句麗も新羅と同様周辺国にとって迷惑な国だった。時を経て20世紀初頭、朝鮮半島では日露戦争に勝利した日本に対し、再びロシアが覇権をむき出しにして圧力をかけ始めていた。石平氏の「韓民族こそ歴史の加害者である」を読んで合点がいったことがひとつある。直接には触れてはいないが朝鮮人安重根による伊藤博文暗殺事件だ。この事件は摩訶不思議な経緯をたどっている。そもそも伊藤は日韓併合には消極的だった。また、安は天皇崇拝者であり、朝鮮の愛国者ではなかった。安重根を評価するということは日韓併合に道を開いた安重根を讃えることを意味する。日本人的感覚では理解不能な発想である。ところが石平氏の著作を読んで合点がいった。朝鮮人は勢いのあった日本に併合されることを切望し、その邪魔立てをする伊藤博文を憎んでいたのだ。だから伊藤の暗殺を喜んだ。朝鮮人的発想では日本の力にすがって国を守ってもらい、国を「ただで」発展させてもらおういう「ずる賢い」願望があった。日本が戦争に負けるまでは朝鮮人は「日本人」であることを喜んでいた。ところが日本が負けた途端に朝鮮人は頼る先を変えた。北半分はソ連中国に、南半分はアメリカにすがった。安重根は日本人的発想では単なるテロリストにすぎない。ところが朝鮮人感覚では、強かった当時の日本への「併合の道を開いた」歴史上の英雄なのだ。朝鮮では民族の独立に貢献した人物よりも、強国の属国化に功績のあった人物を高く評価する文化があるようだ。古代に大和朝廷を半島の戦争に巻き込み、白村江の戦いにおびきだした百済の王族扶余豐璋と朝鮮併合に反対していた伊藤博文を暗殺し日韓併合の道を加速させた安重根。結果的に日本は二人の朝鮮人によって大きな代償を払わされることになった。