『自分の感覚を貫く爽快感。』



7月4日、富士山の5号目に当たる
小富士という場所に行った。



そこで不思議な体験をした。
あの世とこの世のような
そんな狭間の空間に誘われ
座って目を閉じたら耳の奥から
音が聞こえてきた。


最初は聞き取りづらく
全く何か分からなかったその音が
だんだん言葉になっていった。



でぃたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ


誰だか分からないその存在から

"あなたが今この次空間で感じてる周波数を
言葉に入れて持って帰ってください"

そう言われて
その"狭間"の周波数を言葉に入れて
何度も何度も繰り返し唱えてみた。

カチっとなんかがハマったタイミングがあって
「いつまでこれやったらいいんだろう。」


そう思った瞬間
目の前の霧が晴れ
雲が割れて太陽が顔を出した。


"もういいよ!もうすぐ雨が降るからみんなを連れて帰って!"



"ナビゲートは、法然でした!"



そう話しかけられて、コトは終わった。


この言葉、唱えていると気持ちがスッとする
令和の念仏を降ろしてもらったのかな
直感的にそう感じた


*****


さぁ、このなんともバカげたエピソード。
自分自身の身に起きたらまず勘違いだと思いませんか?
そして人に言うのも恥ずかしくてハバかられませんか?笑




こーゆう自分にしか分からない感覚のとき、
やってしまいがちなのが
理解してほしい
信じて欲しい
これを他人へ強要すること。




だからうっとおしがられるのですよw



客観性が大事です。
どう考えても自分はキチガイだと。
でも、それでも自分を貫いてみるのです。



案の定、周りのみんなはぽかーんとしてた🤣
でもそれが普通、それが通常のリアクション。



私は自分の感覚を
体験を大事にしました。





誰にYESをもらえなくても
バカげたことをキチガイめいて
貫きました。




すると、このエピソードが歌詞になりました。
そして楽曲になりました。
カッコイイ振付がつきました。
ひとつの作品になりました。
















自分にとってFUJIYAMAは
大好きな代表作になりました。





気狂いも、ここまで持っていけたら
かっこよくなるし
世間との融合もうまく起こせます。




このエピソードを山田さんに電話で話しました
ぽかーんとしてましたw🤣
そのときの感想が曲中に入っていて。



法然が
"もういいよ!"って
私が
"そうなんだ!"って



このやり取りに対して、
"どうなってんだ?"
「これは僕の感想です」🤣って笑



自分の感覚の気狂いさを
カッコイイところまでもっていく
それがあたし流。





ここまで貫けると、ほんっと爽快だよ‼️





「FUJIYAMA」

富士山の横の子
カラマツ、ダケカンバ抜けて
五合で分かれる
選択肢にその扉をあけた

積み重ねたその先
駆け出して
唱えて消えて
世の狭間座って
奏でる不可思議な言葉の音

ツキノデ
ヒノデ
インヨウトウゴウ
(インヨウトウゴウ)

月の出
日の出
陰陽統合
(陰陽統合)

あのね、と、そのね
あの世とこの世
人間と源
分かり易く言うと
視点移動の呪文なんです

直面する問題
それは混在
誰がつくりだした
その止まれをとめて
一緒に意識を置いていきましょう

ハラに
ハートに
アタマに

でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ

法然が「もういいよ」って
「そうなんだ」って
どうなってんだ

富士山の小富士
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ

あの山、目掛け
登るためにはまずは麓に
分かり易く言うと
視点移動の呪文なんです

直面する問題
それは混在
君がつくりだした
その止まれを置いて
一緒に意識を変えていきましょう

ハラで
ハートで
アタマで

でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ
でいたらどぅるくんでぃ
かりゆしそうめい
ならかいわ

法然のお願いなら
「もちろんです」って
やらなきゃ損損