久しぶりの「俺とギターと人生と」です。
ギターを長年弾いてきたんだけど、やはりその都度その都度コピーしてきた曲・聴いていた曲は変化している。
太宰治の「人間失格」のような、退廃的なのに甘美な魅力がそこにはある。
…なーんて、自己満足・陶酔的で文学的なレビューを書きたくなっちゃうアルバム。笑
「LOVELESS」は他のどの名盤アルバムとも異なる「狂った知性」みたいなものが存在するアルバムだと思うんだよね。
過剰すぎるギターの歪み(ひずみ)と、過剰すぎる深いリバーブ。
それに常軌を逸したような、音のバランス。
音像は限りなく抽象的で曖昧で難解なのに、メロディは絶妙にポップ。
衝動的にかき鳴らされているように聞こえるギターも、実は緻密に計算されている。
このアルバム…というか、このバンドは、中心人物のケヴィン・シールズの独断と偏見による舵によるのではないだろうか。
ケヴィン・シールズ(Vo, Gu)は左から2番目。1番左がビリンダ・ブッチャーズ(Vo, Gu)。写真お借りしました。
My Bloody Valentine(以外マイブラ)は、ケヴィン・シールズ(Vo, Gu)とビリンダ・ブッチャーズ(Vo, Gu)の男女ツイン・ボーカル。
同じ声質の男女がまったく同じメロディを2人で歌うことによって生まれる浮遊感は中毒性の塊。
ギター・ボーカルということもあり、ケヴィン・シールズのギターは主にコード・ストロークが中心だ。
ビリンダもギターを弾くが、やはりメインはケヴィンのギターであり、「LOVELESS」の幾重にも重ねられたギターはすべてケヴィン1人による演奏だとか。
ケヴィンは極度の完璧主義者だというから、マイブラのトレード・マークである轟音ギターを自分1人で表現・演奏したというのもうなづける。
おそらくマイブラや、この「LOVELESS」というアルバム自体が、ケヴィン・シールズという狂気の天才の内面精神世界を表現するためのプロジェクト・作品であったのだろう。
さて、ではギターを見ていこう。
マイブラはケヴィンとビリンダのツイン・ボーカル&ツイン・ギターだが、特筆すべきはやはりケヴィンのギターだろう。
フェンダーのジャズ・マスターにディストーションとリバーブを深くかけて作り出すノイズとフィードバックの嵐。
更にジャズ・マスターのトレモロ・アームを使用しながらコード弾きをすることによって生まれる不安定な音程感。
マイブラや同時代のシューゲイザー・バンドの足元にはマーシャル社製の「シュレッド・マスター」というディストーション・ペダルがお馴染みだったようだ。
ディストーションは同じ歪み系のエフェクターであるオーバー・ドライブ・ペダルと比べ、ギターの音をより強烈に歪ませるペダルだ。
アンプでの自然で心地よい歪みを追求したオーバー・ドライブとは違い、ツマミをひねればひねるほど「これでもか!」というくらいギターの音をグシャグシャに歪ませることができる。
マーシャル社製の「シュレッド・マスター」はディストーション・ペダルの中でも特に凶悪な部類であったようで、シューゲイザーの轟音を作り出す常套句としてよく用いられていたようだ。
そしてもう一つ忘れてはならないのがリバーブ・ペダル。
リバーブというのはその名の通り「残響」を生み出すエフェクター・ペダルで、このペダルを使うとまるでホールでギターを鳴らしているような響きを得ることができる。
だが、これは「適度」なリバーブの場合だ。
リバーブは強くかけすぎると音の骨格がなくなり、曖昧にぼやけた音になってしまう。
だからギターに強くリバーブをかけすぎることは通常タブーなのだが、ケヴィンはこれを逆手に取ってマイブラ特有のぼやけた音像を作り出すことに成功している。
このように
マイブラはディストーション・ペダルとリバーブ・ペダルをギターに過剰にかけて轟音を出すバンド
というのが定説だが、僕はここで敢えてそれに異論を唱えたい。
確かにアルバムを通して全編の楽曲で歪んだギターが鳴り響いている。
しかし、にも関わらず「LOVELESS」で聴けるギター・サウンドは驚くほどクリアだ。
実際に自分でギターにディストーションをかけて演奏してみると分かるのだが、ディストーションは強くかければかけるほどコード弾きには向かなくなっていく。
音がグシャグシャになり、アンプから出る音が「シャーシャー」といった音になってしまう。
ところがこの「LOVELESS」からはそのような「汚い」ギターの音は聴こえてこない。
確かにかなり強く歪んではいるのだが、あくまでギターの音はクリアに聞こえる。
これこそがマイブラの音楽が「美しい」と形容される所以でもあるのだが、では一体どうやっているのか?
僕の見解はこうだ。
ケヴィン・シールズはクリアなギターの音と歪んだギターの音を別々に作って同時に鳴らしている。
どういうことか?
アンプを2つ用意する。
1つのアンプは歪みを抑えたクリアな音のセッティング
逆にもう1つのアンプではディストーションやリバーブをかけまくった音でセッティング
をする。
ギターからのケーブルを途中でそれぞれ2つのアンプにバイパスでつなぎ、1つのギターからの音が2つのアンプから出力されるようにする。
こうすることによって、クリアな音と歪んだ音の両方を同時にアンプから鳴らすことができる。
歪んだ音と並んでクリアな音が聴こえるため、あたかも歪みながらかつクリアに聴こえるという不思議な魔法のようなサウンドになるのだ。
もっともこれはライブでの手法だろう。
「LOVELESS」のレコーディングの際にとられた実際の手法はおそらく
歪んだギターを録音
クリアなギターを録音
して重ねるという作業だろう。
これを何回も繰り返し、幾重にも重ね、各録音トラックを絶妙なバランスでミックスすることによってあの有名な「美しいノイズ」を発明したに違いない。
これは実際に僕も楽曲のミックスをしていて気がついた手法。
歪んだギターをクリアに聴かせたい場合は、歪んだギターの他にもう1つクリアなギターを録音し、それを音のバランスをみながら混ぜる。
そうするととても不思議なことに、激しく歪んでいながら音に芯があるクリアなギター・サウンドとなるのだ。
おそらくケヴィン・シールズはこの手法をとっていたのではないか??
というのが僕の見解だ。
とは言え、単に歪んだギターとクリアなギターをそれぞれ録音すれば「あの音」になるかと言えばそうではなく、やはり歪んだギターとクリアなギターという相反した音が違和感なく混ざって聴こえるような絶妙なバランスの音作りが必要。
そういう意味でもケヴィン・シールズはやはり天才だろう。
これは余談だけど、若い頃バンドをやっていた頃、対バンの中にシューゲイザーのバンドがいることがあったけど、そういったバンドのギターはだいたいがディストーションのかけすぎでグシャグシャに歪んでおり、「なんか違うんだよなぁ‥」と感じたものだ。
さてさて。
僕がマイブラに出会い「LOVELESS」を聴いたのは大学1年生の時。
確かサークルの先輩に勧められて聴いたと思う。
最初に聴いた時の感想は「なんじゃこりゃ?」笑
ひたすらひたすら抽象的な楽曲が続き、そこはかとなく「ポップ」なメロディが申し訳程度に聴こえる程度。
ボーカルは日本バンドのスーパーカーを彷彿させて結構好きだなと感じたのを覚えている。
僕の中で音楽アルバムの名盤は完全に2つのパターンに分かれる。
Aグループ
ビートルズの「リボルバー」「ラバーソウル」
スライ&ザ・ファミリー・ストーン「フレッシュ」
オアシス「モーニング・グローリー」
ザ・ストロークス「イズ・ディス・イット?」
ミッシェル・ガン・エレファント「チキン・ゾンビーズ」
etc‥
これらのアルバムは分かりやすくポップでロック。
万人が口ずさめるようなポップなメロディと、受け入れやすいロックの姿勢がパッケージングされている。
要は「分かりやすくポップ」。
Bグループ
ザ・ビーチボーイズ「ペット・サウンズ」
スライ&ザ・ファミリー・ストーン「暴動」
レディオヘッド「OKコンピューター」
ザ・ミュージック「ザ・ミュージック」
etc‥
これらのアルバムは時に時代の先端かつ他に類のない内容であるため、「意味が分からない」ことが多い。
「ポップ」というには内省的だし、実験的で、コンセプトが込められていたりする。
一聴して難解なのに、そのくせなぜか何回も聴きたくなってしまうポップさがある。
要は「意味が分からないのにポップ」。
「LOVELESS」は完全にBグループに属するアルバム。
「なんじゃこりゃ?」と思いながら何回も何回も聴いたのを覚えている。
「Only Shallow」から始まり、「To Here Knows When」、「When You Sleep」、最終曲の「Soon」まではひと続きの抽象的な音像の物語作品のようであり、「どこからどこまでが一曲」なのかの境も曖昧。
それ故に、一度アルバムをスタートさせると最後までその音世界にどっぷりと浸れる。
ところでケヴィン・シールズというギタリストだけど。
このギタリストはそれまでの「ギター・ヒーロー」のイメージを一新したギタリストでもある。
それまでの「ギター・ヒーロー」は、60年代・70年代のほとんどのギタリストがそうであったように、「テクニックとフレージング」が大切な要素だった。
エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ピーター・グリーン等、自身のルーツにブルースを持つ人が多いのでそれもうなずける。
そこにきてのこのケヴィン・シールズ。
彼は「テクニック・フレージング」に加えて「音色」という新たな要素を「ギター・ヒーロー」に付加したギタリストだ。
無骨で男臭いギターソロを弾きこなすそれまでの「ギター・ヒーロー」の系図からまったく影響を受けず、無機質で中性的な轟音のギター・コード弾きという新たな手法を生み出した彼のギターは当時かなり革新的だったろうし、それはアルバムから30年以上経った今聴いても斬新でまったく色褪せていない。
あくまでアンプ直結のブルース・ギターが主流だったであろう当時、エフェクター・ペダル多用のシューゲイザー・サウンドへと多くのギタリストに舵をきらせた彼のギターはまさしく「ギター・ヒーロー」と呼ぶのに相応しい。
彼はギタリストというよりもむしろ、作曲家・コンポーザー人いう方がしっくりくる面もあるので、彼のギターに対する姿勢、すなはち、「ギターはあくまで楽曲世界を表現するためにかき鳴らされるもの」という考え方があったからこそ生まれた手法なのかもしれない。
僕自身の話だと、当時はストーン・ローゼズのジョン・スクワイアにのめり込んでいたので、ケヴィン・シールズのギターのフォロワーにはならなかったのだけど、それでも彼のエフェクティブで轟音の美しいギターは憧れであり、「いつかあんな風にエフェクターを多用してみたいな」とも思っていた。
もし当時、僕がケヴィン・シールズにのめり込んでいたら、きっと今の僕のギターはまったく違うものになっていたに違いない。
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