いつもブログで自分の頭で考え、自分の考えを、自分の言葉で、自分が感じたように書いています。



このブログは僕の舞台なので当然内容も自分主観のことになります。



ですが、僕のブログを読んで「俺、私はこう思う」と考えるキッカケになってくれたら嬉しいです。



なぜなら僕はいつもブログを書く時、こう思っているから。



僕はこう思うけど、あなたはどう思う?







寄り添われなかった「イイ子ちゃん」について



ひょっとすると結構な数いるのかも?と僕が考えることがあって、それは「イイ子ちゃん」だ。



親の言うことを聞いて、本当は別にやりたいことがあるのに親の言う通りに生きてきてしまった人。



本当はそうじゃないのに親の望む「姿」で生きてきてしまった人。



本当はそう思っていないのに親の考えを採用して生きてきてしまった人。



そんな風にして「イイ子ちゃん」を演じ続けてきてしまった人。



ひょっとしたらそれに気がついていない「イイ子ちゃん」もいるかもしれないし、逆にそれに気がついて「イイ子ちゃん」から卒業しようとしてる人もいるだろう。



僕の経験として「イイ子ちゃん」は基本的に自分の考えに100%の自信が持てない。



自分が「こう感じる」「こうしたい」「これが良い気がする」などと思うことに対して、いつもどこからか



「でも、それは違うんじゃない?」



という反対意見が聞こえてきてしまう。



その反対意見は大抵の場合、親の価値観とか考え方だったりする。



それから「普通は」とか「一般的には」とかいった声だったりする。



自分の考えや感情を持った時にいつも湧いてくるこうした声を採用してしまうので、自分の考えに100%の自信が持てなくなってしまう。



本当は自分の感覚や考えなんて誰の介入も受ける筋合いはない自分だけのもので、それこそが正解なのに。



ここから始まって「イイ子ちゃん」は何か問題が起こった時に「自分も悪いかも」と考えがちだ。



確かに自分に起こる問題の多くは自分にも原因がある場合が多い。



ただし、「イイ子ちゃん」はそれを正しく認識できないことが多い。



つまり、明らかに自分に原因があるということと、いやいやそうじゃないよということの区別なく、そのすべてを「自分も悪い」として捉えてしまうのだ。



問題の解決のためにはまずここを正確に区別しなければならないのだけど、それができない。



なぜか?



それは親から寄り添ってもらった経験がないからだ。



僕自身経験があるのだけど、過去に勤めた会社で敬語がうまく使えなくて上司からキツくあたられたことがある。



その時に親と電話する機会があってそのことを話したけど、全然相談にのってもらえなかった。



それどころかちょっとめんどくさそうな感じだった。



だから僕は「アレ?こんなこと相談するのはおかしいのかな?やっぱり俺が敬語できないのがダメなのかな?」と思って自分を責めた。



今考えると敬語ができないくらいでキツくあたるなんてその上司がクソとしか考えられないのだけど。(そもそも敬語ができるかできないかなんてそんなに重要か?)



こんな感じで寄り添ってもらえなかったのだ。



ここでポイントなんだけど、僕の親の場合分かりやすく「それはお前にも原因があるよ」とは言っていない。



だけど寄り添わないことで遠回しに「それはお前にも原因がある」と意思表示している。



僕の親の場合こういうのが本当に多い。



だから一見思い当たらなかったりするのだけど、それは無意識にだろうけど実に巧妙に僕の感覚を支配していったのだ。



多分「イイ子ちゃん」の中には僕のように巧妙にやられた人が結構いるんじゃないかな?



話がちょっとそれたけど、こんな風に僕には親から寄り添ってもらった経験がほぼない。



なんかめんどくさい



みたいな対応をされたことが多々ある。



そんなの自分でなんとかしてよ



と遠回しに言われたことが多々ある。







寄り添ってもらうというのは、言い方を変えれば自分の考えや行動が例え間違っていたとしても「それでいいんだよ」と100%味方をしてもらうということだ。



自分のどんな部分も否定・拒絶せずに受け入れてもらう経験だ。



これが有ると無いとではその後の人生における自分の感覚への信頼度が全然違う。



寄り添ってもらった経験がある人は、「普通は」とか「一般的には」とかの意見にまったく動じない。



なぜなら自分の頭で考え、自分が感じることこそが正しいと自信を持って言えるから。



僕は「イイ子ちゃん」はすぐ分かる。



自分がそうだったし、今もそういう面があると思うから。



「イイ子ちゃん」の話はいつもどこかで聞いたことがあるような、「それ、あなたの考え?」というような内容のことが多い。



どんなに「良いこと」を話していてもまったく心が動かない。



自分の考えに自信が無いものだから、いつも「普通」とか「一般的」とかの言葉を使い誰かの受け売りみたいな内容を話す。



僕はそういう話を聞いた時、嫌悪感とか反抗心はまったく起こらなくて



「あぁ、多分この人は親から寄り添ってもらえなかったんだろうなぁ」



と謎に勝手に感情移入したりする。(あと本当は、心の中で鼻をほじりながら「くだらね」とか思ってる。)



親から寄り添われなかった、100%味方をしてもらえなかった経験はもうどうやっても取り返せない。



だけど心当たりがあるなら、今から自分の感覚を大切にしてみようぜ。



少しずつ、自分の頭で考えた意見を、自分が感じた感覚を、ビビりながらでも話してみようぜ。



デロリアンが発明されない限り過去は変えられないけど、未来なら今この瞬間から変えられる。



「イイ子ちゃん」でいるのをやめてみようぜ。



君の頭で考えたこと、感じたことなら、それが正解だよ。



「一般的に」間違えていたってそれが君の正解だ。








‥と、僕は思う。



あなたはどう思う??







 

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