みなさま、こんにちは。
最近急な猛暑が襲ってきていますが、体調の方大丈夫でしょうか。
私はクーラーに体を破壊されてしまいました。みなさまも反面教師として参考にしてください。
今日は本の種類と文章について話していこうと思います。コラムよりの軽いものにする予定なので、気軽に目を通す感じでお願いします。結局いつも通りぐらいになりました。どうも熱が入ったみたいで(追記)
というわけで、今回は本と文章力について話していこうと思います。
最近何かと文章を書くことが多かったんですよね。これらの記事もありますが、履歴書やエントリーシートなどなど色々書く機会がありました。
そんな中で、まだ少し文章力が足りてないなーって思ったわけです。もっと感覚的な表現ではなく具体的、体系的な表現ができるようになりたいなと思ったわけです。
昔から文章力を上げるためには新聞や本を読んだ方がいいとされていると思います。実際、私も父からそのように言われて育ってきました。まあ、言われていた頃は興味がなかったからだいぶサボっていましたが。
その話を思い出して、やはり本かなと思った時にどのような本がいいのかと思いました。
本には小説や論説文、哲学書などなど様々なジャンルが存在します。それらについて色々考察を自分なりにしました。その知見をここに記していこうと思ったのが今回のテーマのきっかけです。
今回は、みなさまが触れることが多い、センター試験等でも分類されている小説と論説文の二種類について話していこうと思います。
結論から言います。文章力や私が求めているスキルを身につけるには論説文が向いていると思います。
なぜなら、小説と論説文は文章の構成が根本から違うから。それによって作者が情報共有するものも仕方も異なっているからです。
以下は論説文から見ていこうと思います。
まず、論説文の構成から話します。
論説文とは、基本的に筆者の意見等を論理的に説明していく、そうやって文章を進めていくことが基本です。
筆者の意見に対して補助や批判のデータを持ってくる。社会常識等から因果関係の検証。などなど、様々な技法はあれど基本的にしていることは論理的に意見を展開して自身の意見の正当化や発表です。
そういった際に必要なものは先ほどからもキーワードとして出てきている「論理」です。
近年ロジカルシンキングなんで言葉もありますが、要するに因果関係をはっきりとさせた話の展開をすることで万人に納得させる、理解させられるようにするということです。
そういう意味では、一般に言われている文章力、社会人の中ではビジネス文章力と言われたりもするようですが、を身につけるには論説文を読むというのは非常にためになると言えると思います。
論説文を読むことで、論理的な思考、文章の進め方を身につけることができるということです。
次に小説に移ります。
小説とは、基本的に主人公等のキャラクターが我々のように人生を歩む姿を切り取って見ていくというのが基本です。
そこには論理は存在しますが、それよりもキャラクターの感情が優先されると思います。
キャラクターへの共感や同調、反発や否定など。どのように感じるのも自由ですが、キャラクターの価値観等を汲み取ること。さらに筆者の価値観に触れることによって自身の価値観と合わせて深く見つめることが小説の本質だと思います。
そういった意味では前述の文章力を身につけるということには向いていないのかなと思います。どうしても小説では回りくどい表現や抽象的な表現、過剰に見えて不足な表現が存在します。それだけ人の感情というのは難しいものであると思います。
ここまで、文章力を身につけるという面で話を進めてきました。結論は前述の通り小論文を読んだ方がいいと思います。
ここからは、先ほどの話と重複することはありますが各々の特徴等について触れていきたいと思います。
先に書いておきますが、私はどちらも好きです。どちらも興味あるものは読みます。
小論文というかいわゆるビジネス書というのは基本的にある事象について追求、研究する際に非常に良いものであると思います。
何事もそうですが、事象には二面性、三面性など様々な見方をすることができます。地球温暖化であったり原子力発電であったり。何事にも立場や手にしている情報によって左右されてしまいます。
そんな特徴を持った事象ですが、ビジネス書では筆者が筆者の思い、立場、価値観等を反映した形で論じてくれています。それらを読むことによって自身に知識を蓄えることができます。これがビジネス書の本質であると私は思います。
これはある種、大学教員が日々しているであろう、論文を読んで研究をするということの簡易版であると言えると思います。そういった意味で本は非常に知識を得るためのツールとして大衆化しているいいツールであると言えるでしょう。あとはそれをアウトプットするところがあるかどうか、それがお金になるかどうかが大学教員等のプロとの違いでしょうね。
小説は、先ほども述べましたが、登場人物に感情移入することから、登場人物の価値観や考え方をより感覚的に吸収することが本質だと思います。なので、論理的に理論を展開することができないものを吸収することに長けているとも言えると思います。
人間は良くも悪くも経験から学ぶ生き物です。しかし、人生は一回しか過ごすことはできません。魂が流転するという理論もありますが、今の私は流転前の知識等は持っていないので信じていません。生物学的側面から考えるとそりゃそうって話ですが。ちなみに超能力は信じています。
雑に脱線しましたが、小説を読むことによって私たちは人生を送りながら他人に人生を送ることができます。何回でも青春を送ることもできます。その経験から価値観等を深めることができると私は考えています。そういう意味で小説等の文学は非常に趣味として楽しむ以上に意義深いものだと私は思います。
まあ結局筆者の知識、価値観、思考フィールド以上にはどうあがいていけないというデメリットはありますが、それはどのジャンルでも一緒だと思います。
また、物語の構成や流れから筆者自身の価値観等を感じることも醍醐味なのかなと思います。どのような本にも当てはあることですが、小説は特に筆者の表現したいことっていうのがあると私は考えています。それは百田尚樹氏著「カエルの楽園」では社会風刺であったり、三秋縋氏の文庫本全般での「一般的、普遍的ではない各個人の幸福」であったり。そういった伝えたいことをしっかりと汲み取ることが大切なのかなと思います。逆にいうと、そういった根幹の部分がしっかりしていないと一般に良話でも名作にはならないのかなと思ったりします。
余談ですが、私も小説を書いてみたいと思ったことは何度もあります。今もそう思っています。最近は時間も有り余っているということで本読んだりするのでやってみたいと思います。しかし、大好きだからこそそのハードルの高さに辟易しているんですよね。
物語は基本的に波を作らないといけないと思います。例えば、本屋大賞を主人公が取った話だと、取ったあと何やっても売れて順風満帆で終わる話なんて非常につまらないと思います。腕を怪我するなどのアクシデントや、本屋大賞を取ったことによる苦悩。周囲の環境の変化などなど色々ターニングポイントを作ってそれに沿って進めていかないといけないと思います。
しかし、それができる気がしないんですよね。読めば読むほどどの作家さんもうまいバランスで物語を構成していて感服する限りです。
ちなみにですが、これらの記事は小論文よりで頑張っているつもりです。まあ頭の中のものを辿りながらやっているだけなんですけどね。あと、推敲とか確認もしていません。文章進めていく際に色々コンプラ等気をつけているつもりなので。
最後にまとめたいと思います。
私たち人間が生きていく中で吸収していくものは大きく分けると二つだと思います。知識、知恵と価値観です。
小論文、ビジネス書は知識、知恵を吸収するのに適している。一方で小説は価値観を吸収するのに適している。理論と感覚と大別することもできそうですね。
どっちが重要かはもちろん定義できません。知識がないとそれ以上にはどうあがいても花を咲かせていくことはできません。価値観形成が不十分だと結果としてぶれた人生を送ることになるかもしれません。多くの価値観に触れることで交友関係を広げやすくなるかもしれません。
それでも、強いて順列をつけるなら私は小説をオススメします。なぜなら、知識を得る機会はそこら中に広がっているからです。最近はインターネットも非常に発達していて知識を吸収するのに申し分ない環境が整っています。量は多いし最新のデータが揃います。リテラシーには気をつけないといけませんが。なので私は小説をオススメします。
できることなら、みなさんにも読書をしてほしいです。それは知識等を吸収ツールとしてでもいいです。単に趣味としてでも構いません。それでも決して無駄になることはないと私は信じています。
今日はこの辺で終わりにします。
次こそは早いタイミングで更新したいと思っています。
ネタは決まっています。ただ、少々繊細なテーマになるかもしれません。
それでは