カランコロン♪


今週の月曜日にジャンプ+で藤本タツキの新作読み切り「ルックバック」が公開された。週刊少年ジャンプで連載されていたチェンソーマンが記憶に新しい藤本タツキ先生。チェンソーマン終了してから初めての新作は公開されたその瞬間からSNSを中心に賞賛の嵐が巻き起こった。
特に数多くの漫画家からも絶賛されていて「この漫画を読んで(才能の違いを知って)漫画家になる夢をあきらめた人がたくさんいると思う」と言った趣旨のツイートが見られるほど。

僕も読んだ。最初は藤本タツキの新作と知らずに読んでいて「チェンソーマンの人と絵が似ているな」と思っていた。で、途中で気になり最初のページに戻ってみたら案の定作者が藤本タツキだったわけだ。

感想としては間違いなく面白い。漫画家を目指すことになった中学生の友人コンビ。成功と別れ。そしてパラレルワールド。僕の好きな二大ジャンル、「青春物語」に「パラレルワールド設定」。それは面白いに決まっている。単なる青春物語ではなくパラレル要素を入れることによってきっちりエンタメへと昇華されているし、140ページを超える作品なのに非常にすらすらと一気に読めた。確かに面白い。
しかし同時に「ここまで賞賛されるほどの作品か?」とも思ってしまったわけだ。
こう書くと「読み方が浅い」とか言われそうなんだけど、僕ははっきりとこの感想の原因を知っている。
そう、それは好みの問題である。僕は藤本タツキ先生の描く漫画が(それほど)好きになれないのだ。「ファイアパンチ」も「チェンソーマン」も最初から最後まで読んだ。どちらも確かに面白い。しかし(それほど)好きじゃない作品。

今回のルックバックもそうなのだが、藤本タツキの作品はインターネットとすごく相性がいい気がする。僕が元々、ファイアパンチを知ったのも第一話がネットで話題になっていたからだった。「こんな漫画見たことない!」みたいな意見が溢れていて、第一話を読んでみるとなるほど、衝撃的な物語の導入であった。編集部も積極的にインターネットの口コミを利用してブレイクさせようとしていたんじゃないだろうか。既存の概念を覆すような話をぶち込むことで話題にしやすいのだ。
でも当時はジャンプ+もそこまで本格的にチェックしていなかったので、ついつい続きを読むのを忘れてしまい5年くらい前かな?完結してから一気に最後まで読んだ。もうどんなストーリーだったかはっきり思い出せないけれども、なんとなく消化不良な印象を持ったのを覚えている。話があっちこっちに散らかり過ぎて流し読みでは理解できなかった部分が多かった気がするのだ。
これもまたインターネットと相性がいいと思う部分なのだが、この作者は「考察の余地」を多く残すのがうまい。話自体はきっちりと締めるけど、はっきりと答えを示さず、ネットを通じて読者同士が「これはこういうことだ」「いや、こうだからこうだろう」と議論することによって盛り上がる。それがまた話題になって新規読者が生まれる、みたいな。
で、僕みたいなライトな読者はその「考察の余地」が逆に足かせになってしまっている。なんとなく昔、フランス映画を見た後の気持ちに似ているような。「え、結局どう言う意味だったの?」って。
こういうところが僕にとってそれほど好きではない作家になってしまう。上でも書いたが決して嫌いな作家ではない。ファイアパンチもチェンソーマンもそれなりに面白かったけど、そこまで好きではないってことね。念のため。

なんだかね、富樫先生とはまた違った種類の中二病感がある気がするんだよね、藤本タツキ先生は。
「おれ、こんなことまでやっちゃいますけど、何か?」みたいな感じと言うか。
チェンソーマンなんて少年ジャンプに連載されているにも関わらず大量に人が死にまくるし。銃の悪魔が出てきた時だったかな?死んだ人の名前を数ページに渡って一人ずつフルネームで記載したシーンがあったと思う。あんな表現、それこそまでの少年ジャンプにはなかっただろうし。
でも少年ジャンプで敵の強さ、絶望感を表現する方法としては大量虐殺で殺される描写を生々しくするよりも、それこそドラゴンボールのフリーザの有名な「私の戦闘力は53万です」や幽遊白書の戸愚呂の「おまえもしかしてまだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」みたいな表現の方が正しいと僕は思う。だって少年ジャンプなんだから。
僕は中二病的な漫画は大好きだ。ドラゴンボールよりも幽遊白書派だったし、飛影とかキルアみたいなキャラがむちゃくちゃかっこいいと思うし。最近では呪術廻戦が幽遊白書、BLEACHに続く中二病御用達正統後継漫画、的なことをブログでも書いたし。
どれも人がたくさん死ぬ。でも無意味な虐殺シーンはない。「少年ジャンプ」と言う王道少年漫画の土俵の中でいかに際どく表現していくか、で闘っている漫画だと思っている。
チェンソーマンはその枠組みを超えて自由に表現し過ぎた漫画なのだ。

と言うか言ってしまえば僕はチェンソーマンの終盤、ラスボスの倒し方が許せなくて、その印象が強すぎて藤本タツキ自身を好きになれないのだ。なんせ当時、あの話を読んだ後、チェンソーマンを読んでいない僕の妻に対して「あんな倒し方はない。ジャンプで絶対にやってほしくなかった。あんなものがまた「斬新」だとか「さすが!」とか言ってまた話題になるのは間違っている」と熱弁したほどだ。

近年、少年ジャンプは読者の年齢層が上がっていると言われている。それでも少年ジャンプは少年たちのための漫画雑誌であって、そこには絶対に譲ってはいけないラインがあると僕は考えている。
例えばDEATH NOTE。一部で月がLを殺したところで終わっていたほうが面白かったと個人的には思っている。二部は蛇足気味だったと。それでも現代の価値観では「悪」である月が勝って終わるのは少年ジャンプでは認めてはいけないのだ。なので二部で月は負けた。
約束のネバーランドなんかも青年誌で連載していたほうが面白かったと思う、と友人に話したこともあった。鬼の怖さをもっと生々しく表現出来ただろうし。それでも少年ジャンプで連載するにあたってギリギリのラインを考えてアニメ化、映画化もされるほどの面白い漫画になったのだ。
もしチェンソーマンが掲載されていたのがヤングジャンプであったなら問題はない。いくら大量に人が死のうが、主人公が臓物まき散らしながら敵を切りつけるグロい表現をしようが問題はなし。でも少年ジャンプはそれではいけないのだ。
これに関しては手綱を握り切れなかった担当編集とOKを出した編集部の責任だとも思う。安直な話題性を優先させるんじゃないよ、と。
僕もいつの間にやら老害と呼ばれる年齢になってしまった。現代の価値観について行けてないだけ、などと言われそうだが少年ジャンプはいつまでも少年たちにとってのバイブルであってほしいのだ。

そんなわけで藤本タツキ漫画に対して素直に「素晴らしかった」と言えない自分がいるのいである。ルックバックで見せた表現方法(同じ構図で台詞が一切ないシーンが繰り返し出て来る)なんかでも「おれ、こんなこともできるんですけど?」と言う作者の思惑がちらついてしまうのだ(話題になったもに対して擦れた感想を持ってしまうという従来の僕の悪癖も相まっているが)。

それでもチェンソーマンの次にまったく別ジャンルの漫画を描いたことはすごいことだと思うし、作者の引き出しの多さは間違いない。これからも色々な漫画を描いてほしい、またすごい漫画を描いてくれるんだろうな、と言う予感は感じたし、今後がとても楽しみになった。また次回少年ジャンプで連載する時には違った形での衝撃を与えてほしい。
それと一度ヤングジャンプで連載される藤本タツキ漫画を読んでみたいな、とも思う。

なんにせよ、僕は読み込みが浅いのでもう一度チェンソーマンを最初から読み返してみよう、そんなことを考えている連休なのであった。



ちなみにこちらはタイトルの元ネタ(?)にもなっているoasisの名曲「Don't Look In Anger」である。
染みるね。


カランコロン♪