◆みんなのメモ帳◆

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僕が見たこと、学んだこと、その日知ったことなどをただただ書いていくだけのブログです。
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「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」

有名な狂歌の1つに、このような歌があります。


これは、簡単に言えば信長が天下統一のために動き出して、

その意思を秀吉が受け継ぎようやく完成させる。

だけど最終的にそれは家康のものになっちゃった。


といった感じのことを歌ったものです。



戦国三大英傑としても有名で、

最終的に天下を自分のものにできた家康ですが、

実はそれまでの家康は負け続けの不遇な人生でした。


幼少の頃は今川氏の人質として過ごします。

桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られるまで

家康はずっと人質として生活をしてきました。


桶狭間の戦いが終わったあと、信長と同盟を組みましたが事実上は信長の支配下。

武田と密通していると嫌疑をかけられた妻と長男を泣く泣く処刑したりもしました。


その後、しばらくして武田信玄率いる武田軍と戦うことになりますが、結果はぼろ負け。

城1つと多くの家臣の命を失い、さらにはあまりの恐怖に脱糞してしまいました。


信長が本能寺で果てた後、

信長の息子(信雄)と組んで秀吉と対立しますが、

最終的には服従。

その後、秀吉が死去するまではずっと従い続けます。



細々としたところでは勝利を収めたり、

一武将としてそこそこ優秀な結果を出していますが、

それでも負けたことで失ったもののほうが大きかったのです。


しかし、家康の凄いところは

それでも天下を狙うことを諦めずに生き続けたところです。


当時は戦に負けたら潔く自刀をするのが美徳としていました。

実際、自刀をして戦国時代を去った大名や武将も多く存在します。


ですが、家康は決して自刀などはしませんでした。

大敗を喫しても、屈辱的な目にあっても、

戦国時代から退場をせず、

領土を拡大したり、様子見を続けたりするなど

とにかく次の勝機をうかがい続けたのです


その結果、関が原の戦いに勝利し、

大阪の陣でも勝利を収め、

天下を自分のものにすることができたのです。


諦めが悪い粘着質とも言い換えることもできるかも知れません。

ですが、辞退をするような負け方をせず、

細々とでも生き延びる強かさは少なからず見習う部分もあるのではないでしょうか。



今や世界的にも有名になったUNIQLOの社長である柳井正さんの名言に次のようなものがあります。


「僕はずっと失敗してきた。今までのどのビジネスでも一勝九敗くらい。唯一成功したのがユニクロです。致命的にならない限り失敗はしてもいい。やってみないとわからない。行動してみる前に考えても無駄です。行動して修正すればいい。」



徳川家康もまた、これを実現した人物の一人であると言えるのではないでしょうか。


世の中、思い通りに行かないことは数多くあります。

予想外のところで失敗したり、理不尽な目にあったりもします。

屈辱的な目に会うことや自尊心を踏みにじられることだってたくさんあります。


失敗し続けてもどれだけ負けても構いませんし、

悔しさや怒りを覚えることだって決して悪いことではありません。


悪いのは、完全敗北を宣言し、行動を起こすことを放棄してしまうことです。



ライターとなる夢を捨てた僕が言うのもなんですが、

受験、就職活動、資格習得、昇進など、

今本気でなりたいもの、目標としているものがあれば

決して諦めずに頑張り続けてみてください。


そして、現在夢や目標が見つからない方も

とにかくいろんな行動を起こしてみてください。


「リア充になりたいから」とか、

「暮らしていくためのお金がほしいから」とか、

「もっと楽しく過ごして生きたいから」とか、

そんな理由で構いません。


結果そのものには一喜一憂しても構いませんし、

無理にポジティブ思考に置き換えて受け止める必要もありません。


ただ、その行動を起こした自分自身を褒めてあげてください。

失敗したということは、つまり何かしらの行動を起こしたことなのですから。


絶対に行動を起こす前の自分と比べて、

学んだものや成長できている部分は多いはずです。



たくさん行動を起こし、たくさん失敗をして学びましょう。

そして、最後には徳川家康みたいなBIGな人間になってやりましょう。


今日から徳川家康だ!!!!!








とりあえず僕は就活で内定取れるよう頑張ろうと思います。

ずっと前に書いた話になりますが、


・経済とは生産と消費の2つの行動をまとめたものである

・この2つの行動を同時進行することで今日のような生活をしていくことができる


といったような感じの内容を書きました。



これは日本に限らず、どの国でもそうです。


どこの国でもこの2つを大前提として経済活動を行なっています。



しかし、国や時代によって、

規模や特徴などは大きく異なります。


じゃあどのくらい違うの?って言ったら、

言葉じゃ説明できませんよね。


どう表現していいかわからない、というのもありますが、

人によってどう感じるかも違ってくるからです。



例えば日本とアメリカの経済の差が、

「ちょっとしか変わらない」という表現をする人もいれば、

「アメリカのほうが大きい」という人もいます。


その「ちょっと」にしたって100億くらいの差があるのかも知れないし、

「大きい」にしても10万ちょっとくらいの差しかないのかも知れない。


言葉だとはっきりと「日本とアメリカの差」が定義できないのです。



GDP(Gross Domestic Products,国内生産量)とは、

そういった曖昧さを回避するために経済活動の総量を数値化したものです。


じゃあどのようにGDPは計算されるのか?

大きさを決める要因は何か?

GDPとは経済にどう関係するのか?


それをなるべくわかりやすく説明していきたいと思います。


ただし、先にちょっとネタバレをしてしまうと、

GDPは経済学においても特に基礎的且つ重要なもので、

話すとちょっと他の内容より長くなってしまうと思います。


ですのでいくつか分割して書いていくつもりなので、そこはご了承ください。



今回はGDPの概要に加え、

どうすれば一国の経済活動の大きさを計測できるのか?

について書きたいと思います。



前回でも触れましたが、経済にはたくさんの消費者がいて、たくさんの生産者がいます。


いろんなものやサービスが生産され、そして消費されていきます。


それぞれのものやサービスの量を測る単位も違ってきます。


例えば、一着1000円で服を売るA企業と

一回10000円の特別なマッサージを提供するB企業があったとして、

B企業の1回のサービス=A企業の服10着分だと言われてもあまりピンときませんよね。


B企業の1回のサービス+A企業の服10着=A企業の服20着

なんて足し算も成立しません。


本当ならこういうものの計り方はできないのです。


ですが、このGDPはこれらの生産量を全部お金に置き換えて

生産額を全部足してみようという考えから成り立っています。


また、生産額を全部足してみるということは、

その国の消費者全員がものやサービスにお金を使った量の合計とも言い換えることができます。


さらに言うと、消費するためにはお金が必要です。

そのお金は仕事をして給料を得ることで手に入ります。


お小遣いなどにしても、お父さんお母さんが働いて得たお金の一部をあげるということになりますので、元を辿れば労働をして得たお金であると言えます。


つまり、その国の労働者が得た給料、所得額の合計も生産額の合計に一致するということになります。



GDPを見れば、その国の生産面、支出面、所得面が全てわかってしまうのです。

難しい言葉で言うと、これを3面等価といいます。



この結果出た合計の数値がGDPであり、この数値から

「どの国のほうがうちの国よりもこれくらい大きい」、

「今は20年前よりも約30倍もGDPがある!随分と進歩したなぁ~」など、

こうやって経済の大きさを比較するわけです。



ちなみに日本の現在のGDPを見てみると約510兆円

ドルで換算すると約55兆ドル程度となっています。多分そのくらいだったはず。


50年ほど前と比べると約60倍(!)も成長しています。


他国と比較してみるとアメリカが日本の倍のGDPを持っていますが、

日本はそれに次いで世界で2番目に大きいGDPとなっています。


アメリカが凄すぎると言った感じになっていますが、

本当は日本も相当凄いのです。



もっとも、日本の場合国の借金がGDPの倍近くあるのですが・・・。




「憲法」。

この単語を聞いたことある人は非常に多いのではないでしょうか。


小中学校などの授業でもちょっとだけ出てきますし、

たまーにニュースや新聞なんかでも出てくることもありますよね。


じゃあ、この憲法って一体何なのでしょうか?

憲法は一体何のためにあるのでしょうか?



憲法には大きく2つの考えがあります。


まず、1つが国民がどう行動するべきかを示すため。


憲法の内容は、3分の1くらいが人権について書かれたものです。


人権には「誰もが~をすることができる、許されている」という権利と、

「誰もが~をしなければならない、してはいけない」という義務の2つがあります。


大体、他の法律の条文というのは、

「○○という人が、××という行為をした場合には、△△ということになる。」

「○○、××、△△の行為全てに当てはまったものは□□しなければならない。」

このどちらかのような構成になっています。


状況、条件がある程度限定されていて、該当した場合にだけ特定の効力が発揮する。

こういった形になっています。


しかし、憲法は

「○○をすることができます。」

「××をしてはいけません。」

「△△はしなければいけません。」


簡略化すればこういったような形の条文ばかりです。

ここには、条件などはありません。


とりわけ、人権に関する条文はこういったものばかりです。

誰もがやってもいいことと、誰もが破ってはいけないこと。

この2種類だけです。


勿論、常識の範囲内での制限はあります。

(法律に常識云々っていうのはおかしいかも知れませんが)


しかし、大きく分けてしまうとほぼ全ての条文がこのどちらかになります。


要するに、自由にできることと自由にできないことが最初から憲法によって決められているのです。



極論を言えば、親が小さな子供に

「玩具を散らかしたらお片づけをしなくてはいけません。」

「寝る前には歯を磨かなくてはいけません。」

「休日は1時間だけテレビゲームをしてもいいです。」


などと決めているのと一緒です。

憲法とは、その国の国民が生活していくための最低限のルールみたいなものです。


他の法律もそのルールに該当するのですが、

それをさらに掘り下げていったものが憲法だと言えるでしょう。



そして、もう1つの考え。

それは国民の尊厳を守るためです。


先ほど3分の1が人権だといいましたが、

残りの3分の2のほとんどが国の統治についての内容となっています。

(ちなみに残りが核兵器を持たないなど、その国の信条や基本原理を述べたものとなっています。)


実は、憲法にはなんと、国家権力を縛る効力があります。

つまり、国会や公務員、公共団体に属する方は憲法に書いてある通りの仕事をしなくてはいけません。


例えば、国家が次のような法律を作ったとします。


「東京に住む人は70%の税を、それ以外の道府県の方は50%の税を納めなくてはいけない」

「16歳から30歳までの女性は公務員と同棲しなければいけない」

「18歳以上の男性且つ年収300万に満たないものは一生を牢獄で過ごさせる」


めちゃくちゃですよね。

とても国民が安心して暮らしていけるとは思えないでしょう。


こんなの嫌だ!

こんな国住みたくない!

なんで自分たちがこんな目に合わなくちゃいけないんだ!


普通ならそう思うはずです。

こうなってしまったら国としてはやっていけなくなってしまいますよね。


それを防止するために憲法が国家権力に対して歯止めをかけているわけです。


国会ではこのルールを絶対に守ってください。

国会議員はこういう風に選ぶようにしてください。

公務員はこういうことをやってはいけません。


と、こういったように設定されていれば国民も安心して生活をしていくことができますよね。


憲法は国家や公務員が守らなければいけないルールであるという考えもできます。


言うまでもないことですが、国家や公務員の方はこれを厳守しなくてはなりません。

勉強ができないと公務員になれないというのはこういうことなのかも知れませんね。





P.S

時代劇などでも悪い大名や代官が賄賂を受け取ったり、女性を差し出そうとさせたりするシーンがありますよね。

歴史で政治家が好き勝手なことして滅んでしまった国も結構あったりします。


昔は憲法などありませんでしたから、天皇や重臣の身勝手な行動も多かったのでしょうね。

それらが長い間繰り返されてきた結果、憲法が作られてきたのだと考えるととても凄いことだと思います。

こんばんわ。

今日実家の栃木から神奈川に帰ってきました。


家族には申し訳ないですけど、

やっぱり田舎ってずっといると飽きてしまいますね。


やれることも限られるし、とにかく暇。

それに何より田舎って虫がすっごい鬱陶しいんですよね。


僕の実家がある北関東って特に同じ関東の人にバカにされがちで、

内容によってはちょっとムッとくることもあるのですけど


逆に都会の子が「田舎に暮らしたい」なんて言っているのを聞くと

「はぁ?何考えてるの?」とも思ってしまいます。



まぁ、逆に一人暮らしにも田舎暮らしにも良さはあるのでしょうけど、

やっぱり郊外での一人暮らしのほうが性に合ってるなぁと思いました。





さて、今日はストレスを感じたときに一番効く食べ物とは何なのかを紹介したいと思います。


このストレスというのは、人間誰しもが持っているものです。


子供でも大人でも、

男性でも女性でも、

社会人でも学生でも、

冴えない僕でもハリウッド、トップアイドル級の美男美女でも、

皆それぞれ自分なりの悩みやストレスを抱えています。


昔からずっとズルズルと引きずっているものであるものや、

突然パッと現れるようなものまで種類も様々です。


中には当人にしかわからなく、

他人に相談しても納得の行く回答が得られないと思われるもの、

またはどう言っていいかわからないもやもやしたものもあり、

それが原因でいろいろと悩んでいる人も決して少なくはありません。



「他人に言ってみれば自分の中でも整理がつく」というのも一理ありますが、

これは非常に自分勝手な行為であり、

他人からしてみたら迷惑以外の何者でもありません。


時と場合、相手にもよりますが、やはり基本的には疎ましく思われるだけです。


本音を言えば、

「こっちだってそこまで余裕はないんだよ」

「貴重な時間を割いてまで他人の悩みなんか聞きたくない」

と思っている方のほうが多いのではないでしょうか?


他人の悩みやストレスまで余計に背負ってあげられるほど余裕を持っている人もそうはいないと思います。

仮によほど特別な関係でなかったり、カウンセラーなどの仕事以外で積極的になっているとしたら何か違う目的があってそういうふりをしてるだけだと思います。


他人に話を聞いてもらうのは甘えである部分が含まれていると思います。


他人に依存しよう、他の人に頼ろうなんてするのは幼い子供が親に頼ろうとするのと一緒です。


当たり前ですが、友達や恋人は親じゃありません。


子供のうちならともかく、大人や大人になろうとしている段階の人が本気でそういった言動を取り続けているのであれば正直人として終わっていると思います。

まぁ、言い様に利用してやろうと思ってやってる人もそれはそれで腐ってますけど。



結局ストレスとは自分自身との対決のようなものであり、自分なりにどうにか解決しなくてはいけないのです。

それに押しつぶされて負けたのであれば他でもない、自分の責任です。


例え、それが仕事中や勉強中、

就活やその他何か熱心に取り組まねばならない時期に

突然訪れてきたとしてもです。

状況、心境などは理解されるかも知れませんが、

少なくとも、失敗をなかったことに…なんてことはできません。


だから、負けないようにしなくてはなりません。



では、ストレスに負けないために役立つ食べ物とは何か?



基本的に食べ物を食べるという行為を行うだけでも解消はされるのですが、

とりわけ、甘いものはストレスを解消しやすいと言われています。


糖分を取ることで、疲労やストレスが回復することは確かです。


では、即効性があり、尚且つ実用的なものと言ったらなんでしょうか?




僕がオススメしたいのはです。


飴であれば手軽に持ち運ぶこともできますし、普段からポケットに入れておくこともできますよね。


実用性且つ即効性を考えるのであれば飴が妥当だと思います。



即効性と聞いて、飴ってそんなに早く効くの?と思った人もいると思います。


どちらかと言えば、この点は消去法的な考えで、

飴がとても早く効くというよりは、飴以外のものだとあまりにも効き目が遅いのです。



飴以外ではチョコレートなどを思いついた人もいると思います。

確かにチョコレートにもそういう効果がないわけではありませんが、飴と比べると非常に効果が遅いのです。



じゃあ何故遅いかと言いますと、


脂質が糖分を吸収するのを遅らせてしまうからなのです。


脂質は基本的に胃の中で消化、吸収されます。

この脂質は他のものよりも消化に時間がかかる栄養素です。

(だから、脂っこいものを食べ過ぎると胃もたれになるわけです。)


それ故、必然的に糖分の吸収も遅れてしまうという仕組みになっています。


飴には脂質がほとんどありませんが、

チョコレートは50%が脂質でできています。


もちろん、脂質が多ければ多いほど比例して遅くなるので、飴と比べたら段違いに遅くなる計算になります。


チョコはどちらかというと、長く勉強や仕事を続けなきゃいけないという時に食べるのがオススメです。



手軽さや外出している時のことなどを考え、

飴とチョコを例にしましたが、

脂質だけを見たら和菓子よりも洋菓子のほうが圧倒的に多くあります。


即効性を求めるのであれば和菓子、

長期耐久を求めるのであれば洋菓子といった感じですね。




P.S

ちょろっと話しましたが、甘いものでなくとも食べ物さえ食べればストレスはある程度収まります。

満腹感を満たせば余裕ができ、逆に空腹であればあるほど余裕がなくなる状態になるのです。

ですから、人と会う時などは少しでもいいから何か食べておくと相手との関係が友好的になりやすくなります。

人見知りな方、緊張しやすい方にはオススメです。


P.P.S

ストレスを感じたから!感じそうだから!と言って甘いものばかり食べるのはなるべく控えてください。

そうすることでストレスの耐性が弱くなってしまいます。

例えるなら、タバコやお酒に依存する方と全く同じ状態になってしまうのです。

最も、タバコなどよりは社会的にマシに見えるかも知れませんが、決して体に良いとは言えませんので取りすぎには注意してください。

どうも、お久しぶりです。


学校の集中講義が終わり、今実家に帰っています。

こうしてパソコンを弄ること自体が本当に久しぶりな状態です。


僕の実家には一台しかパソコンがないのですが、

やはり一台しかないと使える時間が限られてしまいますね。


自分用とは言わないまでも、

せめてもう一台くらいパソコンが欲しいと思ってしまいます。



今日は他にやることもなく、目がやたらと覚めている状態なので更新したいな、と思います。



さて、例えば皆さんは人を言い争いになった時や人を説得することになった時、どうやって相手を諭しますか?


自分の思ったことを言ってみる。

もしくは正論を言ってみる。


まぁ、普通ならそうですよね。


そう普通ならそれでいいんです。


普通なら。


物分かりが良い人や率直に疑問をぶつけて納得のいく回答を得た人など、そういった方々であれば特に何の問題もありません。



ただし、相手がそういう人の場合だけです。


世の中には厄介な人ってたくさんいますよね。


自尊心の高くて負けず嫌いの人。

話を逸らして正論を流そうとする人。

揚げ足を取るような突っ込みばかりする人。

むちゃくちゃなことを言い出す人や、相手を見下す人。

自分のことを棚に上げていつも相手の批判をする人。

自分の思い通りにならないと罵倒をしまくる人。

自分を理解してくれて当たり前、というような考えの人。



「お前にもいつかわかる時期が来るから」

「まだ子供だからそういうのよくわからないんだよ」

と、何の根拠もない理由を押し付ける人や、


「バカのくせに俺に意見してんじゃねぇよ」

「私のこと理解してくれない男のほうがバカだよ!」

など、突然キレ始めたり論理性のない批判をし始める人なんかは典型的な例ですね。


今の時代は子供も大人もこんな人ばっかりです。

ちゃんと正論を言っても理解してくれたり納得してくれたりする人というのはむしろそんなに多くありません。

こうまで多いと「あれ?普通の人間って一体どんなんだろう?」とか「子供と大人って一体何が違うんだろう?」と疑問に思ってしまうくらいです。



こういう人達には本当に何を言っても無駄です。

自分の思い通りにさせたいという気持ちが強すぎて、人の意見を聞き入れる余裕がないからです。

正論でも痛いところをつかれても右から左へと受け流してしまいます。

相手の同意を得たり、服従、調教させる以外に収まる方法はないと言ってもいいでしょう。





日常会話や友達付き合いなどにおいては正論は言わないほうが無難です。

良かれと思っていったことでも、自分が一番大損をすることにもなりかねません。


自己犠牲心、慈悲深いなどと言えば聞こえはいいですが、
これはまさしく馬の耳に念仏を唱えるようなものです。

相手は改心をせず、あなたは相手をしていてストレスをためるだけ。
そんなのははっきり言ってとてもバカげている行為です。


人間は誰もが自分がかわいいと思っています。

これは公平的なことを言える人やきちんと聞き入れる人もそうです。

誰だって自分の身がかわいいし、辛いことや苦労をするよりも楽しいことをしたい、美味しい思いをしたいと思うのは普通だと思います。


自尊心だってそうです。

どんな人だって自分が屈辱的な目に会うのは避けたいと思います。


ウケ狙いや謙遜などだとしても、

これを言われたら流石に腹が立つという最低ラインはあります。


聞こえのいいことなどを言ったり、

少しオシャレな格好をしたりして

自分自身に酔いたいと思うのも

人間であれば普通のことです。

(その最低ラインがあまりに高すぎる人が上記のようなたちの悪い人間なのですけども。)


普段は正しいかどうか、稚拙かどうかとかそういうのは抜きにしてとりあえず同調しておくほうが吉です。




ですが、どうしても言い争いになってしまったり相手していて疲れが限界に達する時もあります。



その時に便利な言葉が


「あー、はいはい」

「うん、わかったわかった」

「そうだね、うん」

「うん、いいんじゃないそれで」


僕なりにいろいろと試してみた結果、

こういった空返事が一番効果的だと思います。


これを、相手が話している時に使います。



「お前もさ、そろそろ恋人作r「あー、はいはいはいはいはいはい。そうだね、うん。」


「…お前恋人いなくて寂しいと思わないの?」


「別に」


「お前なぁ、恋人っていいもんだぞ。たとえb「うん、わかった。うん。いいんじゃない、うん。いいと思うよ。」



こんな感じで使い続けるといずれ相手は話す気もなくなり、少なくともその話の続きはしようとしなくなります。


だらだらと、無駄に長くなりそうなことを言ってきた時にはオススメです。


もっとも、一番いいのはそういう人たちを相手にしないこと。

そして、そういう人たちがどんどん減っていくことなんですけどね。




P.S

ここまで正論の無意味さについて語ってきましたが、自分の子供や兄弟などであれば正論は言うべきだと思います。

例え、当時は聞き入れてくれなくとも成長するにつれ、その意味を理解してくれることも多いからです。

長ーい目で見れば、決して無駄なことではないでしょう。



P.P.S

感情的になりがちなのは女性のほうだとよく言われています。
そして、感情的になったとしても男性と比べて比較的寛大に見られるようにも思えます。
あれは何なんでしょうね?女性の特権のようなものなのでしょうか?
男性も理論を振り回して感情的になりますけど、女性でそのような人はあまりいないように見えます。
こうして考えてみると男性と女性とで本当、全然違う生き物のようにも感じてしまいますね。

刑法には総論各論というものがあります。


総論というのは簡単に言ってしまえば全ての犯罪に共通するルールについて学ぶものです。


例えば違法性云々、責任能力云々などといったことから、

刑法って何だ?犯罪ってなんだ?というようなことを考える内容です。


哲学にちょっと近いようなものですね。


一方、各論は1つ1つの罪状がどういう場合に成立するのかというのを勉強するものです。


例えば、殺人罪は何をどうしたら成立するのか?

詐欺罪は何をどうしたら成立するのか?

強姦罪は?窃盗罪は?


と言ったように、一つずつ見ていきます。

どちらかと言えば総論のほうが専門的で、法律を専門的に扱わない方は各論さえわかれば充分だと思います。

そもそも刑法にひっかかるような犯罪自体あまり起こりませんしw


刑法は民法、行政法などと比べるとあまり身近な存在であるとは言えないかも知れません。

というよりも身近な存在だったら逆に怖いですよね。


ですが、刑法を学ぶと犯罪関連のニュースを見ていて、より面白味を感じると思います。

少し不謹慎かも知れませんが。


何でこういうことをしたのか?そもそも何をやったのか?逆になんでこの罪状にならなかったのか?

そういったことがわかり、さらに広い視野から見ることができます。


政治や社会問題など、社会人にとっては知らざるを得ないことでも

少しは楽しく知ったり聞いたりすることができると思います。


いざという時のことも考えて、

一緒に刑法にはどんな罪状があるのかを見ていきましょう。




遅くなりましたが、ここからスタートします。



今回説明する刑罰はこれ。


背任罪!!



殺人罪、強姦罪、窃盗罪など

他の罪状は知識のない方でも何をしたかが大体わかるような罪状になっています。


じゃあ背任罪とはどういう意味でしょうか?



背任罪は、「任に背く罪」と書きます。

任された仕事や義務などを背いて好き勝手なことをやってしまう罪です。


まぁ、要するに裏切り行為ですね。

約束を破ったこと+いくつかの条件がつくと背任罪が成立します。


(ちなみにこの罪になるために必要ないくつかの条件のことを構成要件と言います)



こちらが背任罪の条文となります。


第247条(背任罪)
他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。



この条文に既に書いてはいますが、もう少しわかりやすくまとめてみると、


背任罪が成立するには、

①他人のために何か事務をすることになっている人が行動を起こすこと

②自分の利益か相手に損害を与えることを目的としていること

③任務に背いていること

④相手に財産上の損害を与えていること


この4つ全てに該当すると、背任罪になります。



例えば、僕がAという会社に勤務している会社員だとします。


ある日、僕はBという会社と契約を結ぶことになりました。

そこで、B会社が「キミとキミの上司にお金と株を上げるからこっちが有利になる条件をいっぱいつけてくれよ」と言ってきて、僕がそれを承認して当初の目的であった契約を大きく変えて、勝手に契約を結んでしまったとします。



さて、この場合背任罪に該当するでしょうか?


構成要件を1つずつ見てみましょう。



まず①。

僕はAという会社に所属しています。法律では会社なども条文で言うところの「人」に含まれることがあります。

もしも僕が従業員でもなんでもなく、ただその会社に迷惑をかけたというだけであればこの①には該当しませんが、今回僕はAという会社の会社員ということになっています。


よってこの①には当てはまります。



次に②。

もしも僕がリスクとメリットを考えた上で、「これはうちの会社の利益になる!」と判断して行った場合は外れます。

しかし、この事例では利益を得ることができるのは会社ではなく、僕と僕の上司だけ。

さらに、A会社が明らかに不利だとわかっている条件を付け足してしまっています。


よって、②も当てはまります。



そして③。

もし僕が、「このお金欲しいなぁ、会社見捨ててもらっちゃおうかなぁ」と思いながらも普段通りの業務を行っていればこの③には該当しません。

しかし、もう明らかに行動に移しちゃってますね。


よって、③も当てはまります。



最後に④。

ここまで、①~③全て該当してきましたが、実は結果としてうちの会社が全然損をせずに終わったとします。

その場合、例え今までの①~③が全て該当していてもA会社への損害が皆無になるため背任罪にはなりません。

ですが、前述のようなことが起こらない限りはこの④も自然と通ってしまいます。



以上のことから事例の中の僕は背任罪に該当する若しくは該当する可能性が非常に高いということになります。



少し極端な例ですが、これが背任罪です。


まぁ会社関連以外の事例もありますが、大体は会社絡みの問題である場合が多いです。


やり方が気に入らないから、悪徳会社だとわかっているからと言っても絶対に自分で裏工作などをしてはいけません。

例え悪徳会社だからと言って犯罪を犯して裁いてもいいという法律はありませんから。



不満があり、どうしてもそれが解消されないというのであれば弁護士さんや労働相談センターなどに相談をしてみることから始めていきましょう。



P.S

似たような罪として横領罪というものが存在します。


例えば、僕がA会社の経理で、お金を操作してB会社さんに勝手に渡して後からそのお金を貰うという行動を行えば横領罪になります。

横領罪については後ほど詳しく書くつもりですが、どちらにも該当しそうな場合はよりどっちが妥当かという風に考えて判断されます。



僕は自分のことについて語るのはあまり好きじゃありません。


なぜならそれを口に出して話した途端自分の人生が薄っぺらくなるような感じがするからです。


これも自分語りだろwwwブーメラン乙wwwww

なんて揚げ足取るようなツッコミは勘弁してくださいね。


そして何よりも、聞いていてつまらない。

どうでもいいようなくだらない自慢もそうですが、大きな不幸や悩み事があった話とか、そういう類のものは尚更です。


少なくとも僕が聞く立場だったらできれば相手したくありません。


自分の嫌がることは人にはしない。

そういう意味でも避けるようにはしています



けど、語るんですよね。

多くの人は。



しかもそれが卑しいことだと思わず、

そういうことがむしろ賢い人格者の行動だとさえ思っている。



何が正しくて何が間違っているかは僕にもわかりません。


そういう風にしか思考が回らない時だってあるのでしょうし、

そもそも僕の考えがやたらと冷めていて捻くれているのかも知れません。


ただ、


なんといえばいいのでしょうかね。


突然変な自慢や自己アピールをしたりとか

自分の考えを唐突に押し付けてきたりとか、

悩んでいるそぶりを見せているように振る舞ったりとか、


そういう人たち見ていて思うんですよね。



人間って本当自分勝手な生き物なんだな、って。



人間、どんな人にだって悩みや怒り、不安はあります。

不幸な出来事、辛い思い出なども生きていればその人なりのものはあるはずです。


それこそ誰もが羨む才能と美貌を持っている人にだってありますし、

当人にしかわからないもので、他人に言ったところで到底理解されないようなものだってあります。


そこに優劣も大小もありません。

誰もが同じように悩み苦しんではいるのです。

だから、不幸なこととか専門家相手でもない限り、できるだけ語らないほうがいいと思うのです。

他人に言わずともいずれ自己完結で終わるでしょうし、本来ならそうあるべきでは?とも思います。


別に悩むな、くじけるな、人前出ても明るく振る舞っとけよ!

だなんていうつもりはありません。


ただ、


悩んでいるなら一人でやってくれ、と。

他人の楽しむ時間まで妨害する権利があると思ってるのか、と。

人前に半強制的に出されたならともかく、なんで自分から人前に出てきたり連絡してきたりしたくせにそういうことを言い始めるんだ、と。


そう思うんですよね。

僕がおかしいのかどうかはわかりませんが、少なくとも僕はそう思います。


自分に酔うために他人を利用する。

自己満足のために何の関係もない他人に感情をぶちまける。

そう考えると本当、勝手極まりないですよね。


老若男女皆そうです。

こうして見ると大人と子供の違いって一体何なの?って思えてきてしまうほどです。



区別するのであれば

自分でどうにかする又はどうにかしようと思うか、

そう思わず誰かに頼りっきりになろうとするか。

そこなんじゃないかと思います。



僕の知り合いに、俗に言うメンタルヘルスになっている方が何人かいます。

また自称ですが病んでいると言っている方とも多く出会ってきました。



その中には自分でなんとかしようと努力している人もいれば、

他人が自分の思ったとおりに動いてくれて当然と思っている人などもいました。


大多数が後者のような考えで、

正直相手していて途中でしんどくなるようなタイプの人でした。


ですが、やはり中にはちゃんと直そうと自分なりに努力している人もいるようで、その中のとある1人の方がこう言っていました。



「精神病は他人に助けてもらおうとしているうちは一生治らないと思うよ。薬だけじゃなくて自分の力でやってみようって思ってからはだいぶ楽だったし、メンヘラみてるとそういう意味でもイライラするようになった」と。



これは精神医療だけに限らず、恋愛においても、社会においても、人生そのものに大きく関係してくることだと思います。


他人によりかかる生き方は確かに楽かもしれません。

もしかしたら今の社会が永遠に続くのだとすればそういった生き方が一番賢いのかもしれません。


もしかしたら思っていたようにはいかないかも知れないし、

少なくとも社会的に見たらどうということはない非生産的なものなのかも知れない。


努力をすること、なんとか自立してみようとすることは大変でしょうし、

それだったら表面だけでもいい人ぶったりして偽善者になるほうが圧倒的に楽です。

実際に偽善者な方のほうが世の中を上手く渡れていたりもしますし、良い評価もされやすいのは確かです。

それ故に、本当の意味でいい人というのは、今の社会あまり見かけないようにも見えるのかも知れません。

誰かしらを蹴落とすくらいのことをしなければ、小悪党や明るみに出ずともゲスなことばかりし続ける人間が今の社会には多く寄り添ってくるでしょうから。

ですが、共存しようとか依存をしないようにしようという考えをせず、

最初から他人に依存しようという態度でいる人が多いのは少し悲しくも思えます。


道徳とはなんなのか。努力とは一体何なのか。

結局のところはただの自己満足なのかも知れません。



ただ、道徳を守ったり努力をし続ける人は少なくとも他人に自分の考えを押し付けなければ迷惑もかけず、いい人からも悪い人からも好かれます。



逆に努力をしようとせずに他人に依存しきりな状態を続ける人は、

いい人ぶることでいい人や悪い人に好かれ、最終的には他人に迷惑をかけます。




どっちが損得か?どういう風に生きたいか?というのは人にもよると思いますが、


どちらが本当の意味で綺麗だと思えるでしょうか?

仮に漫画やフィクションの主人公にするのだとしたらどちらがまず持って好かれるでしょうか?

そして恵まれているかどうかは置いておいて、

どちらが活き活きとして充実してると思えるような人生を過ごしていけそうでしょうか?




偽善者であればわかるはずですよね。




すごく根本的なところから始めたいと思います。



経済とはなんでしょうか?



ニュースや日常会話、ネットでなど、

様々なところで「経済」「経済問題」という言葉が出てきますよね。



経済には非常に多くの物事が絡んでいます。


会社、銀行、株、お金(円)、資本主義、サブプライム問題、自給率、不況、財政赤字、就職難、リストラ、所得格差、子供手当て、生活保護、昇進、お小遣いの増減、お店での買い物…


などなど、経済及び経済問題に関連する物事は数え切れないほど多くあります。


そして、難しくて複雑なものから非常に簡単なものまで、

子供からお年寄りの方まで関係しそうな物事もあれば、

実生活にはあまり関係なさそうなことまで、種類も様々です。



じゃあ結局経済って一体何なの?

って言われたら簡潔に説明することができるでしょうか?


もちろん、できる方もいらっしゃるとは思いますが

大人でもちゃんと説明できる人はそこまで多くはいないと思います。



経済とは、大雑把に言うと


「消費すること」と「生産をすること」の2つの活動のことです。


と、言われてもどういう意味だろう?

と思う人も多くいると思います。


もうちょっと掘り下げて説明していきましょう。



他の動物もそうですが、

僕たち人間はほとんど毎日、何か食べ物を食べたり、飲み物を飲んだりしています。


これは何故行われているかというのはわかりますよね。

そうしないと生きていくことができないからです。


また、食べ物以外にも何か物を使ったりお金をかけて遊んだりということもあります。

これは楽しいことがしたいという欲求が人間にあるからです。


自炊するために必要なものを買うこと、

コンビニで弁当や筆記用具を買うこと、

新しい洋服を買うこと、

友達と海に行くからレンタカーを借りること、

一人暮らしするためにアパートを借りること、

資格や勉強のために学校へ行くこと、

床屋や美容院に行って髪を切ってもらうこと、

カラオケに行って思いっきり歌うこと、

漫画喫茶に行って快適な空間で漫画を読むこと、

キャバクラに行って綺麗なお姉さんと会話をしたりすること、



などなど、例を挙げていけばキリがありませんが、


こういった生きていくために必要なために、

もしくは自分の欲を解消するためにお金を使う活動を消費といいます。


どんな人々でもこの消費をすることで、生きていくこと、

あるいはただ生きているだけという状態以上の満足感を得ることができます。


少なくともこの日本に住んでいる方には全員共通のことだと言っていいでしょう。


しかし、消費ばかりだといずれ底が尽きて物がなくなってしまいますよね。

それでは生活をしていくことができません。

満足感や幸福感も得ることができなくなってしまいます。


こうなってしまったらどうすればいいでしょうか?



答えは簡単ですよね。


また作ればいいのです。


厳密に言えば、そうならないように消費するという行為が行われる一方で物を作り続けるという行為もほぼ同時進行で行っていけばいいのです。


この、物を作るという行為をひとまとめにしたものを生産といいます。


生産には食べ物、洋服を買うといったような

お金を渡す代わりに物を受け取るというものと、

学校で教育を受けたり、カラオケや漫画喫茶のように一定の場所を提供するといったような

お金を渡す代わりに一定のサービス・奉仕活動をしてくれるもの

大きく2つに分けられます。


また、実際に食べ物や洋服を売る店とは別に、

商品をお店までにトラックで運ぶ人もいればも工場で商品を作る人います。

はたまた、広告を作ったり宣伝をする仕事をする人もいます。


こういった行為も全てひっくるめて生産といいます。


消費することと生産すること。

僕たちの生活はこの2つの行為を1人1人がすることによって支えられているのです。


消費も生産もそれをやってくれる人がいないと成り立ちません。

世の中にはたくさんの職業がありますが、どの職業も何かしらの生産には関わっています。

労働をするということは、いろいろなものを生産することに必要不可欠です。


そして、その生産するのにかかったお金にに加えて労働してくれた分のお金を出すということが消費とも言えます。

そういった意味でもお互いに助け合って生活していっていると言ってもいいかも知れませんね。



今回書いたことはあくまで経済という意味の概念にしかすぎません。

少なくともこれだけで経済学を語るということは到底無理だと思います。


ただ、僕はあくまでも学生であり、やり手の社長さんでもなければ学者さんでもありません。

ですから、ここでは主に教養として知っておいたほうがいいと思われることを優先して学んで書いていきたいなと思います。


日常会話で出てきた際、

とりあえず話に合わせられるくらいの知識を持てて頂けたら幸いです。



P.S

先ほども言いましたが、消費することと生産することで私たちの生活は成り立っていっています。

社会そのものが”体”と例えるのであれば、お金は体が機能するための”血”の役割を持っているとも言われています。


貯金などもそうですが、最近節電ブームというのが行われていますよね。

確かに節電することも大切ではあるのですが、

逆に節電だからと言って全く使わなくなるというのも経済が回らなくなるためあまりいいこととは言えません。

今年はやたらと暑い日が続きますが、冷房をかけたいのであれば無理に我慢せずにつけましょう。

それがあなたの体のためでもありますし、もしかしたら他の人達が幸せになる近道になるかも知れませんから。



昨日の日記でもちょっとだけ触れましたが、

人間は新しい知識、新しい物事を覚えると快感を覚える生き物です。


例え、それがどんなに無駄で非生産的な知識であってもです。


故に、人間は自分の知らないことを多く知っている人に魅力を感じます。

単純に考えればそうなるはずです。



ですが、実際に日常会話などで知識やうんちくなどを突然言われた時どう感じるでしょうか


まぁもちろん、時と場合にもよります。


話の流れに沿ってさりげなく言ったりとか、

本当に相手がアドバイスとか求めているという状態だったら大して問題にはならないでしょう。

また、その人に好意を抱いてるか否かなどによっても大きく差が出ます。


ですが、大抵の場合は突然に、

別に聞いてもいないのに話の流れを断つように語りだしたら


はっきり言ってうざいですよね?


すっごくうざいですよね?



少なくとも僕はそう感じます。



知らないことを知る、教えてもらっている状態のはずなのに聞いていてつまらないと感じる状態になる。

こういった矛盾した状態が起こることになります。


場合によっては、空気の読めない奴、自己中心的な奴などと言った印象も与えかねません。


とは言え、勢いやノリだけで中身の全くないような会話、全く弾みのない会話などももずっと続けているのは苦痛になります。


そして、それを打開するのも知識などからくる話であることも事実です。


せっかく学んだ知識。

これを活かさないのは非常に勿体ないようにも思われます。


では、どうすれば会話が弾みお互い楽しめるような会話にできるでしょうか?

逆に言えば、つまらなくさせてしまう原因とはなんなのでしょうか?



まず、大前提として高圧的な態度にはならないこと。


知識を披露する会話をする際、

何も知らない教えられる側のほうが必然的に立場が弱くなります。


言うなれば教える側が先生や上級生、

聞かされる側は生徒や後輩といった立場とも言えます。


先生や上司、先輩って好かれる人は好かれますが、嫌われる人はとても嫌われますよね。

まぁ嫌われる人がどういう人かっていうのは、恐らくほとんどの方が経験してきてわかっていると思うのでここでは長く語りませんが、

「こんなこともわからないのかよ?」と見下したような印象を与えてしまうことも嫌われる原因の1つです。


知識を語る会話では例え意図していなくてもそういうなりやすい状態です。


上下関係があるとは言え、多くの人は対等の関係でいることが一番気楽であり、最も信頼できる状態でもあります。

なるべく、語る際は相手の質問や意見、相槌なども聞き入れることが大切です。





と、ここまでは大前提の話。


こんなこと本当は言うまでもないことであって、当たり前のことだと思ってる方のほうが多いと思います。

それでも相手が関心を示さず、つまらなくなってしまうことが多いから話すに話せないという状態に悩んでいる方のほうが多いと思います。



そこで、知識を語る際に話のオチもつけてみましょう。


知識やうんちくを語る際に大体返ってくる返事があります。


「ヘぇー」です。


この「ヘぇー」が本当に関心している様子であれば仮にその場で会話が止まっても問題はありません。

少なくとも悪い印象や雰囲気を作ることはありませんから。


問題は、「へぇー(だから何?)」というような意味合いの場合です。

本当に興味のない話題、面白みのない話題の場合ってこういう返答をしてしまうことが多いですよね。

どう反応していいか、結局のところ面白味や意味がよくわからないからです。


ここでオチをつければ、更に会話続けることができます。


少し例を挙げて見てみましょう。


(例)


「なぁ、知ってるか?海上自衛隊って金曜日は必ずカレー食べるらしいぜ」


「そうなの?」


「おう、曜日の感覚を失わないようにするためなんだってさ」


「へぇー(だから何?)」


「カレーの話してたらカレー食いたくなってきたな…。(今日金曜日だし、)カレー食べに行こうぜ。」



こんな感じに返せばさらに話が進みそうですよね。


さらに相手も自由な返答ができて不満やストレスなども抱くことはほとんどありません。


「いいね、行こうか」とも返せれば、

「この辺どっかあったけ?」とも返せるし、

「今日はちょっとなぁ、来週じゃダメ?」とも返せれば、

「俺カレー苦手なんだよなぁ」とも返せます。


そしてそれぞれの回答にも更に多くの返答の選択肢があり、

それを自由に選んで返事をすることができます。


こうしていくことで、

お互いに楽しめる会話をしていくことができます。


会話に使えそうなネタや知識などが手に入ったら、それに加えてオチも考えておくことも心がけましょう。


話の途中で相手が退散してしまった…なんてことにならないように、

なるべく短く、コンパクトにまとめることもポイントです。


ちなみに今回の日記のようにやたらと長く語ってしまうのは悪い例です。



P.S

先ほども言いましたが、相手の興味が惹ける話題だったらオチは考えなくても大丈夫です。

趣味や思考などは人それぞれですが、特に健康・生活に関する話であればほぼ全ての人の気を惹くことができるので話題選びに困ったらこれらのジャンルを特にオススメします。


P.P.S

今まで偉そうに長々と語ってきましたが、僕はこれを意識してやってみたことはありません。

というよりもわざわざこれを実践するような機会があまりありません。

あくまでこうすればいけるんじゃね?っていう予測の域は出ていませんのであしからず。


P.P.P.S

これが本当に効果的なのか試してみたいので、どなたか僕のために合コンかオフ会を開いてください。

お願いします。





こんばんわ、お久しぶりです。

長らく放置をしておりました。


久々に弄ってみたら未だちょこちょことペタがついていてびっくりしました。

そもそも当初、宣伝自体ロクにしてない状態でペタが着くこと事態に驚いたのですけどね。

以前は宣伝しないと全くペタつきませんでしたから。


このようなあまり華やかさのないブログでも

見てくれてる人っているんだなぁと思うととても嬉しい気持ちになります。

今後ものびのびと好きな時に好きな事書かせてもらいますので、

その時々お暇でしたら覗きに来てやっていただけるととても嬉しく思います。


実生活のほうですが、レポートや試験も無事(?)終わり、

ようやく夏休みに入り一段落落ち着きました。


事実上、今年が学生生活で自由に過ごせる

最後の夏休みとなると思いますので、

有意義で充実した時間を過ごしていけたら、と思っています。



さて、今日は以前僕の知り合いの女の子が

ちょっと面白いことを言ってたのでその話を一つ。


いきなりですが、僕ははっきり言って凄く頭が悪いです。知的好奇心はありますが、決して勉強ができるほうではありません。


物を覚えるのに時間がかかる、計算は中学生レベル以下でも解けるかどうか怪しい、そして何よりも努力をしようとしないという三重苦です。

高校もそんな感じで過ごしていたので、成績は下から数えたほうが早いくらいでした。


そもそも僕はこのブログ、◆みんなのメモ帳◆を立ち上げたのも、


①学んだこと、勉強したことを忘れないように記録するため

②覚えたことを説明ができるようになるほどきちんと理解するため


この2つが主だった理由です。

僕自身の頭の悪さ、物覚えの悪さをカバーしようと思ったことが実は一番の理由だったりします。


ですが、時々勉強いていて思うことがあります。



一体こんなことしていて何の役に立っているのだろう?と。


人間は例え、どんなに無駄な知識だとしても

自分の知らないことを学ぶととても快楽を覚える生き物だそうです。


確かにそれはわかります。

実際に僕も新しい知識を得た時はどことなくワクワクするような、嬉しいような感情を抱きます。


しかし、こんなことにばかり夢中になっている僕は一体何なんだろうかと思ってしまうこともあります。


ただの自己満足で終わりなんじゃないかと、
時間をかけて結局残るのは一時の満足感で結局自分自身が何か成長したり変わっていないのではないかと、

汚い言い方をすればオナニーとなんら変わりないのではないかと、
勉強をすればするほどそう感じるようになりました。

特に中高生の方は共感できる感情ではないでしょうか。

数学で使う因数分解が何の役に立つでしょうか。

古文漢文、英語が読めたから一体なんだと言うのでしょうか。

歴史の年号覚えたからといって日常生活で使うことなんてあるでしょうか。


これらだけではありません。

経済学や政治学、芸術学、化学などなど様々な学問があります。

確かにこれらは一見役に立ちそうですが、

いざ社会に出て自分が使う時ってあるでしょうか?

そういった知識を披露したり活用したりしている自分の姿が想像できるでしょうか?

想像できないのであれば一体何のために学んでいるのでしょうか?


僕はライターという夢を諦めてから、

勉強するということの意義が再び見出せなくなってしまいました。


そのことを相談、というか

勉強の話になった時に知り合いの女の子にちょっとぼやいてみたのです。


「俺さ、勉強すればするほどなんでやってるかわからないんだよね。

俺って何で勉強してるのかなって気持ちになるんだ。」と。



その子は共感の意を示しつつもこう言いました。


「私も高校の時に同じように思って先生に聞いてみたんだ。そしたらね、


確かにこんなこと、社会では役に立たないかも知れないし実際に使う時はないかも知れない。

でも、こんなこともできない人間が何の役に立つと思う?


って言われて、あぁ、そういうもんなんだなって思ったよ」


と、彼女はこう言っていました。



さて、この記事見ていてくれているあなたは

この発言どう思いますかね。



僕はね、この発言聞いたときにこう思いました。







あぁ、なんだ。

そういうもんなのか。と


勉強そのものには大して意味がない、っていうか

わかっていて当たり前のことを勉強しているんだというか、

僕の場合、勉強は「するべき」じゃなくて「しなきゃいけない」ものなんだというか、


なんかそう思うと気が楽になった感じがしたのです。


まぁ僕が通っている学校はとても優秀ともバカともなんとも言えないような

中途半端な大学ですが、それでも分相応の知識を身につけるべきなんだなって

この言葉聞いた時に思いました。


勿論、何かなりたい職業があって、

それになるために必要だから勉強してるっていう人は

全然それでいいと思います。

というよりも本来ならばそっちのほうが理想的でしょうし、

その姿勢を崩さずに頑張ってほしいと思います。



ですが、僕みたいに将来の夢を見出せない

または将来の夢がなくなってしまった人は別に無理に探すこともないと思います。


夢を持っている人に劣っている…という言い方は変ですけども、

夢がないからこそ、目的がないからこそいろんなことを勉強するんだ。

そういう気持ちでいいんじゃないかなって思います。







ちなみにこれ、「以前」と述べましたが、

約1~2か月ほど前の話です。




なんで今更書いたかって?















バカな僕が忘れないようにするためです。