「じいちゃん、教えて欲しい事があるんだけど。」

息子のタカが、何故か少し躊躇するように父に話しかけた。

「どうした?」

ソファーに深く座った無表情な父の表情に、一瞬喜びらしき感情がチラついた。

それは、初孫に話かけられた彼なりの喜びの欠片だろうか。

父も最近少し変わってきた。

少なくとも私がタカと同じ高校生の時には、感情の欠片すら父から探し出す事は難しかった。とはいっても、当時の反抗期真っ盛りの女子高生であった私の父への態度は、品行方正な息子とは全く違うものだったのだが。


タカが少し遠慮がちに父の前のソファーに腰を下ろす。

そして、しばらく少し下を向いていたが決意したように顔を上げた。

「じいちゃんあのね、じいちゃんの住んでた国の事を教えて欲しいんだ。」

唐突なリクエストに父が言葉を失う。

まずい、止めなければ。

「タカ止めなさい。その話はダメよ。」

無意識に口調が強くなる。

まだ幼い娘とじゃれていた夫も異変を感じ取りこちらを向く。

キッチンで洗い物をしながら二人のやりとりを聞いていた私は、手を止めて二人に割って入ろうと近づいた。

すると、目を閉じていた父が手の平をこちらに向けて私を制した。

「いいんだ。大丈夫だ。」

その口調は意外なほど冷静なものだった。

「そうか、タカもそんな事に興味を持つ様になったか。」

小さな声で呟く。そしてしばらくの沈黙の後真っ直ぐタカを見て言った。

「それでどんな事が聞きたいんだ?」

「うん、祖国学校で勉強した事以外の事がもっと知りたいんだ。とういうかあの国で起きた本当の事を教えて欲しいんだ。」


この国に住む私たち移民の子孫達は、公教育の他に元々ルーツのある国の言葉・文化・歴史を学ぶ為に祖国学校という私設の教育機関で週2回ほど授業を受けている。夫はこの国の多数派である中華系である。なので、わざわざ祖国学校へ子どもたちを通わせる選択をする事はなかったのだが、ルーツの半分を学ぶべきだとの彼の進言で行かせる事に決めたのだ。


「地図帳で、あの国だけは真っ赤なんだ。他の国は緑や茶色なのに。その理由は祖国学校で勉強した。例の事故で人がもう住む事が出来ないって。でも、事故が起こる前はこの国の何倍もの人が住んでいて豊かで綺麗な国だったって。」

本人もあまり祖父に聞くべき事ではない事を認識しており、いつもより遠慮がちに話す。

「そうだな、ワシも住んでいたよ。お前の母さんも小さい時まで住んでいたし、タカが小さい時に亡くなったばあちゃんも住んでいたよ。」

そういって居間に置かれている仏壇の母の遺影に視線を移した。

「そうだな、豊かで綺麗な国だったな、あの国は。」

自分に言い聞かせる様に答えた父の表情に再び感情らしきものが浮かんだ。しかし、その感情の種類はわからない。

タカが少しうつむきながら続ける。

「高校の歴史の授業でも当然事故の事は勉強するし、祖国学校でも勉強する。でもね、何回聞いてもあの技術を使い続けていた理由がわからなんだ。」


 自分が通っていた時の教科書とどう変わったのかと、少し前にリビングの机に置きっぱなしにしてあった祖国学校の教科書を見た事があったが、昔とそれほど変わっていなかった。という事は、あの事故の詳細は授業では教わっていないはずだ。タカは何事にも好奇心が強く、勉強が好きな子どもだ。自分の半分のルーツに興味を持つのは当然と言えば当然かもしれない。


「祖国は、ヒロシマ、ナガサキそしてフクシマで放射能被害を経験してたんだよね?チェルノブイリやスリーマイルといった他の国の放射能被害も当然知っていた。なのに何故、あの技術を使い続けたの?祖国学校では、事故の経緯は習うんだけど、そのはっきりした理由は教えてくれないんだ。というか。。」

タカが少し何かを思い返している様な表情をする。

「というか、先生たち自身もわかっていない様な気がするんだ。」

祖国学校の教員たちは、私たちと同じ移民がボランティアとして勤めている。しかし、今の教員たちは私と同じ世代か、年下の人間達だ。実際に祖国で暮らした経験があったとしても、幼い時だけだ。タカの疑問に答える事は難しいかもしれない。


父は、目の前に置いてあるコーヒーに口をつけ、しばらく虚空を見つめた。

「忙しすぎたんだ、ワシたちは。何が大切かを考えるゆとりもないほどに。」

そう言って悲しそうに少し笑った。


父は、まだあの国に幼い私が住んでいた頃は、よく笑う人間だった。幼き頃の父の笑顔は今でもよく覚えている。

しかし、30年前この国に移民としてやってきてからは、ほとんど笑う事のない人間になった。少し感情を取り戻したのは、私に子ども出来てからだ。この国に来てからタカが生まれるまで父の笑顔を見た記憶は一度もない。その理由は、私が大学生になった時に母から聞いた。その理由を聞いてからは、今まで反発心を持って見ていた無表情という父の表情は、実は自責の念から来る苦悩の表情だったのだと理解した。


「2011年に地震でおこった津波でフクシマが起こったんだよね。でも、その後も地震大国の祖国で原子力発電を使い続けてたんだよね。ネットで色々と調べたんだけど、アベ政権はフクシマの後処理が全然終わってないのに原子力発電技術を他国に輸出しようとしていたし、キシダ政権は新しい原子力発電施設を祖国に造り始めたんだよね。地震多発地域だったあの地域でこんな事を続けていたのは、なんというか。。。」

一旦、言葉を切ったタカは適切な言葉を探す。

「必然っていうの?あたり前じゃないかと思うんだ。1+1が2になるのと同じように。」

父が苦笑した。

「そうだな。その通りだ。あの国に住んでいた人間たちはワシも含め1+1の計算も出来ないほど愚かだったんだ。でもな、今とは違って当時は天然ガスや石油、石炭という化石燃料があってな、それで電気をつくっていたんだ。でもこれらのモノは祖国では採れなかったんだ。これだと、安定して電力を国民に供給出来ない。それに当時は地球温暖化の問題もあってな、なんとかこれらのモノを使わない方法で電力をつくらなければならなかったんだ」

「でも、当時から太陽光発電や風力発電はあったんでしょ?事故が起こった2020年代はアメリカやイギリスがどんどん太陽光や洋上風力を増やしていた時期じゃないか。」

「よく調べてるな。でもな、当時の人たちは、まさか「フクシマ」を遥かに超える事故が起こるなんて夢にも思っていなかったんだよ。だから、本気で自然エネルギーに取り組む気持ちがなかったんだ。結果、政府が主導して自然エネルギー発電に本気で取り組んでいたアメリカなどと比べると、祖国は技術的にも劣っていた。地形的にも洋上風力に適した地形だったのに、それほど風力発電が普及しないままにあの事故が起こってしまった。」

そう言って父は空になったコーヒーカップを無表情でじっと見つめた。

そして、小さく呟いた。

「結果、お前たちからあの国を奪ってしまった。」


これ以上無理をさせない方がいいだろう。私は二人に近づき父の空いたカップにコーヒーを注ぐ。

「さあ、タカもういいでしょ。おじいちゃんが疲れるでしょ。他にわからない事があるなら私が代わりに答えるわ。」

タカが少しバツが悪そうに立ち上がる。

「じいちゃん、ごめんね、ありがとう。」

無表情で注がれたコーヒーカップを見続けていた父が口を開く。

「いや、まだ話したい事がある。お前もそこへ座れ。」

そう言って私に目でソファーを示した。

そして、いつになく力強い声で夫と娘にも声をかけた。

「おーい、二人ともここへ来てくれ。」


夫は、この国では多数派の中華系であるが、大学の歴史学の教員で東アジア史が専門である。若い時は日本オタクで事故前に留学経験もあるので日本語は問題ない。英語をほとんど話せなかった母とコミュニケーションが取れる事も結婚を決めた理由の一つだった。


止めるべきなのか、正直迷う。父は、この国に来た直後から心療内科にかかっていた。数年前にやっと薬を飲まずに生活が送れるようになった。現在、私たちが祖国と呼んでいる世界地図から消えた国、「日本」についてこれ以上話す事は、彼の負担になるのではないか。

そう考えている時、父が私の心の内を見透かした様に言った。

「大丈夫だ。良い機会だ。いつかは、お前たちに話さないといけないと思っていた話だ。」

 

 

 

30年前のあの日、深夜に揺れを感じ目が覚めた。

 

いつになく強い揺れだ。

今年9歳になったばかりの娘の杏も目を覚まし、怖がって妻の布団に潜り込んだ。

数十秒すると揺れはおさまった。横を見るとまだ幼稚園の息子はスヤスヤと寝続けている。

再び目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。

 

耳元で娘が騒いでいる。

「パパ起きて大変だよ!パパってば!!」

何事かと飛び起きる。

「どうした?」

「大変だよ!!ママが呼んでる!テレビ!テレビ!」

テレビがどうしたというのか。時計を見ると、目覚ましが鳴る10分前だ。目覚ましを切り、あくびをしながらリビングに行く。

すると妻がテレビにくぎ付けになっている。顔色が今まで見た事がないほど白くなっている。

「どうしたんだ?」

そう言いながらテレビ画面を見た。

そこには壊れて煙が出ている工場が映っていた。ヘリからだろうか、上空からの映像だ。

いや、違う!これは工場じゃない。10年以上前にも似たような光景をテレビで見た。

瞬間、昨夜の地震と目の前の映像が結び付いた。

「原発か!!」

妻の横顔に叫ぶ。

顔面蒼白の妻は静かに頷いた。

 

当時A地域では、3基の原発が稼働していた。その地域に運悪く直下型の地震が直撃した。結果として、政府や電力会社が想定していた放射能漏れ程度の事故ではなく、格納容器ごと原発本体が完全に破壊される事故が起こった。そして、一瞬のうちに放射性物質は大気中に拡散された。自治体は、原発事故を想定して避難計画を練っていたが、彼らが事故を認識した時には、近隣住民達はすでに致死量を超える放射能を浴びており、そのほとんどは急性放射線障害で数日のうちに亡くなり、A地域は文字通り死の町と化した。

 

一方で自衛隊の動きは迅速だった。事故3時間後から航空自衛隊と海上自衛隊のヘリコプターから砂・鉛・ホウ素・ゼオライト、ありとあらゆる放射能拡散を抑えられると考えられる物質が投下された。しかし、後にわかる事だが、この指示は政府からの指示ではなく航空自衛隊、海上自衛隊の各幕僚長の単独の判断であった。政府は原発の壊滅的な事故は全く想定していなかった、いや、正確に言うと想定していなかったのではなく意図的に目を背けていた。

一方で、自衛隊は独自で原発の壊滅時におけるシュミレーションを立てており、その計画を政府の指示なしに独断で行ったのだ。この任務にあたったパイロットたちは、重防護服を着用していたにもかかわらず数週間のうちに亡くなっている。


同じく、陸上自衛隊の判断も迅速であった。事故の当日から重防護服を着用した工兵部隊を送り込み、原発を囲い込むコンクリート壁の建設に取りかかった。当然これらの自衛隊の単独行動は、現憲法下において初めてのシビリアンコントロール(文民統制)から逸脱した行為であり、統合幕僚長並びに各幕僚長は指示を出した事故当日に懲戒免職処分となった。そして、政府は自衛隊の単独行動を追認する形を取り、作業は昼夜を問わず行われた。

 

その数日後には近隣地域の建設会社の有志達もこの作業に加わった。自衛隊を含め作業に加わった人達のほとんどが、第一線から退いた人々であった。放射能被爆を前提とした作業になったので現役の若い人達は最初から任務から外されていた。

地上勤務に就いていた退職前の元パイロット、工兵隊の中高年の幹部達、建設会社を引退した元社員たち、そういった人達が放射能の拡散を抑えようと文字通り決死の覚悟でミッションに志願し、そして重防護服を着用していたにも関わらず、そのほとんどが命を落とした。

 

結果、原発再稼働・新規建設を決定した東京に住む与党の政治家達、電力会社の本社所属の幹部達は、誰一人として命を落とす事もなく、ただただ混乱し醜態をさらすだけであった。当時の与党議員達は、さすがに本人たちが国外に逃げ出す事はなかったが、多くの政治家達が事故後の混乱に乗じて家族を国外に退避させた。

 

自衛隊や建設会社の命がけの作業で、わずか3週間で原発をコンクリートの分厚い壁で囲い込んだが、壁が完成する間に放射性物質は拡散し、沖縄以外の日本列島の放射線量は、健康に害を与えるレベルに達していた。この3週間の間は、日本の航空機は海外への飛行は禁止となり、国外から入ってくる航空機は一機もなかった。各国の大使館職員や一部の政治家の家族たちは、事故後すぐに始まった在日米軍の撤収の際に、軍艦や航空機で日本を脱出した。

 

 

 

「親父は?」

疲れ切った顔で帰ってきた妻に玄関で声をかける。

「まだ、お義母さんについてる。」

さすがにこう何日も介護が続くと体力も精神力も消耗してくるのだう。妻の目の下のクマが日に日に濃くなっている。

介護施設に母を預けていたのだが、介護のマンパワーのかなりの割合を担っていた外国人達が一斉に帰国し始めた。何も介護業界だけではない。全ての日本在住の外国人達が日本を後にした。当然と言えば当然の事だ。

母を預けていた施設の職員はその穴埋めをすべく奮闘していたのだが、とうとう業務が正常にまわらなくなり、入居者の家族がフォローに入る事となった。特に母は、ほぼ寝たきりの状態であり、何をするにおいても介護が必要な状態であった。私、妻、そして父が交代で母に付き添う事になった。

「親父はどう言ってる?」

「変わらないわ。お前たちだけで行けって。」

深いため息をつき妻が答える。


事故から3か月ほど経った時から日本人や在日外国人達の本格的な日本脱出が開始された。放射線量の関係で、外国の航空機や船は日本に近づく事が出来ない。よって、避難民達は日本の航空機で国外に脱出するか、日本の船で沖縄、もしくは台北まで行き、そこから国際連合と日本政府の特別対策チームによって避難民を受け入れてくれる国々に振り分けられた。航空機は人数の制限があり、多くの人々は大型船で沖縄や台北へ渡った。

大勢の人たちが日本を去る事を選択していた。なぜなら、事故から半年たった今でも頻繁に地震が起きており、原発を取り囲んでたコンクリートの壁にヒビが入り、作業員たちのまさに命がけの作業が続いていた。言うなれば、いつまた高濃度の放射性物質が放出されるかわからない状態なのである。


我々家族も日本から退避する事を選び、沖縄まで行く船のチケットも4名分確保出来ている。とりあえず、母親の件は私が日本に残り付きそう事にして、妻、父、子ども達が一足先に現地に到着次第、病院か介護施設を確保して、私が航空機で母親を避難した国まで送る予定である。現時点ではどこの国に退避出来るかはわからない。

しかし、父は自分が残ると言ってきかないのである。家族の中で一番体力のある自分ならまだしも、高齢の父が一人で寝たきりの母の世話など出来るはずがない。

明日の朝、最寄りの港から沖縄行の客船に改造された大型タンカーが出発する。これを逃せば、次の出発はいつになるかわからない。


父を説得するために急ぎ車で介護施設に向かう。施設に入ると一階の食堂に数名の疲れ切った職員たちが机にうつ伏せになって休憩をとっていた。すれ違う職員たちも疲労の色がかなり濃い。

二階の母の部屋に入ると父が、ベッド横に座りじっと母の寝顔を見つめていた。近づくと私に気付き顔を上げる。

「父さん、いい加減にしてくれ、時間がないんだ。早く家に帰って準備してくれ。」

父の顔を見た途端に苛立ち、口調が強くなった。

父は私の言葉には答えず、再び母の寝顔に目を移す。

しばらくの沈黙の後、父が口を開いた。

「この前も言ったはずだ。ワシはここを離れるつもりはない。お前たちだけで行け。母さんは、ワシがなんとかする。」

感情が一気に爆発する。

「何言ってるんだ!この状況で父さん一人でそんな事出来る訳ないだろう!原発の壁だっていつ壊れるかわからないんだぞ、そうなったら今度こそ放射線障害でお終いなんだぞ、わかってるのかよ!」

母から目を離さず父が言った。

「だからこそだ。お前は子ども達を守れ、その義務がある。ワシも同じだ、母さんやお前たちを守る義務がある。」

「だから何回も言っているだろう。避難先が見つかったら、すぐに母さんを連れて避難するって!」

父親は静かに首を振る。

「本当はお前もわかってるんじゃないのか?原発の壁はいつ壊れてもおかしくはないし、母さんは飛行機の長距離移動に耐える体力は残っていない。お前の気持ちはありがたいし

、それがお前の良心というものなのだろう。でもな、もしお前に何かあったら言葉や文化も違う国で結子さんや子どもたちはどうやって生活していくんだ?緊急時だからこそ、最善ではなく最良の方法を選択するんだ。例えそれが、お前の良心に反する事であってもな。」

実際は父親の言う通りだった。現在の母親の体調等を考えると飛行機での長距離移動は難しい状態だ。そして、原発の壁が崩れるのも時間の問題かもしれないし、この国に二度と戻ってこれない可能性もある事も理解していた。しかし、年老いた両親を置き去りにして自分たちだけが国外に脱出する事は、どうしても出来なかった。妻の結子も本音を言えば、私と共に日本を脱出したいと思っているはずだ。でも、彼女はそれを口にするほど心ない人間ではなかった。

「大丈夫だ。何も気にする事はない。ワシや母さんはもう十分に生きた。何よりの願いはお前や結子さんや孫たちが、この地球のどこであろうと命を繋いでくれる事だ。」

何も言い返せなかった。まだ幼い子供たちの顔が浮かぶ。

何分間の沈黙が流れただろうか。

「父さん、約束してくれ。避難先で落ち着いたら、必ず迎えに来る。その時は母さんと一緒に来てくれ。」

もうそれしか言葉が見つからなかった。

いつの間にか頬が濡れている。

父は何も言わずに頷いた。

「母さん、大丈夫だからな、必ず迎えに来るからな。」

ベッドの上で眠っている母に語りかけるが、当然返事はない。

父親を見て何か言うべき言葉を探す。

その言葉が見つかる前に父が口を開いた。

「早く行くんだ。」

結局、適切な言葉が見つからず、

「必ず迎えに来るからな!」

と言い残し逃げるように部屋を出た。

 

 

 

「あんた、電力会社の人間なんだってな?」

沖縄に向かう船内の狭い廊下をすれ違う時に見知らぬ中年の男に乱暴に話かけられた。

何も答えないでいると男は続けた。

「こんな事故を起こしておいて、よくもまあ逃げれたもんだな。お前らのせいだろうがよ、日本がこんな事になっちまったのは。」

尚も沈黙を貫くと男は足元に唾を吐いて去って行った。

この船には何人もの同じ地域の人間が乗船している。その誰かが話したのだろう。

事故の後、この手の事は何回かあった。時には家の前にゴミが捨ててあった。

今回原発事故を起こした会社と私の会社は全くの別会社だった。しかし、世間はそうは見てくれない。現に私の会社も原発再稼働の申請をしていた最中であり、再稼働は確実視されていた。

部署が違うので、原発には直接はタッチしていなかったが、まさかこんな事態になるとは思ってもいなかった。社内では当たり前の様に再稼働が是とされていた。むしろ、社内の人間達は、再稼働に反対する論調のマスコミや一部野党を、素人はこれだから困ると見下している風潮さえあった。そして、私自身も会社が効率的に利益を得て、なおかつクリーンに電力がつくれるなら原子力発電という科学技術を使わない手はないと考えていた。太陽光や風力は開発普及というポーズはとっていたが、経済的利益を考えると原発再稼働が一番手っ取り早かったのだ。そして、福島の原発事故は運が悪すぎたのだと考えていた。あんな事故など再び起こるはずがないと考えていた。しかし、すべては間違っていた。


甲板に出ると太陽光の強さが私たちが住んでいた町とは明らかに違った。もう数時間もすれば沖縄に到着する。一体私達家族はどこの国に振り分けられるのだろうか。出来れば英語圏がありがたい。英語は日常会話適度なら不自由なく話せる。そして、現地に到着してある程度落ち着いたらすぐに日本へ帰らなければならない。父親の体力を考えると長期間の母親の介護は難しい。

すし詰めの船内は息がつまるのだろう。多くの人が甲板に出て気分転嫁をしている。しばらく甲板を散歩して階段を下りて客室に戻ると、乗客たちがざわついていた。嫌な予感がよぎり私たちのブースに急ぐ。

妻が他の乗客たちと話している。

「どうした?何かあったのか?」

「また、大きな地震が起こったみたい。」

深刻な顔をした妻が答える。

やはりか。

「それで、壁はどうなった?」

「そこまでは詳しくわからない。」

「他に情報はないのか?」

「今のところ、大きな地震が起きたとしか報道されてないらしいわ。」

心から壁が崩れていない事を願う。

多大な犠牲を払って建設した壁のおかげで、なんとか今のところ日本列島の放射線量はある程度抑えられてはいるが、あの壁が崩れ落ちれば再び放射性物質が放出され、人々や国土は更に放射能によって汚染される。

祈る様な気持ちで沖縄まで過ごしたが、願いは叶わなかった。

地震の影響で、壁は完全に崩れ去り、再び放射性物質が日本列島に拡散された。合わせて私にとっての最悪の報せを沖縄のフェリーターミナルのテレビモニターに映るニュースで聞く事になった。


今回の地震の震源は、私たちの街から近い場所であった。そして、再稼働申請中の私の会社の原発を津波が襲い、放射能漏れを起こしているとの事であった。

膝から崩れ落ちそうになるのをなんとかこらえる。

なんて事だ。壁は崩れ、そして今度はうちの会社の原発が放射能漏れ事故を起こしたなんて。

うちの会社の原発は、私たちの街から離れてはいるが、事故の規模によっては当然放射能は届くだろう。そして、崩れ落ちた壁のA地域の原発からもそれは届く。

これでは、日本へ帰る道が完全に塞がれたも同然だ。

そう思った瞬間に左頬に強い衝撃を受け、体が床に転がった。

一瞬何が起きたのか理解できなかったが、中年の男が転がった私に馬乗りになり殴りつけようとしたところで、殴り飛ばされたのだという事を理解した。男は周りの人達によって静止されたが、なおも暴れながら叫んでいる。

「おい、とめんじゃねえよ!こいつらのせいでこんな事になったんだぞ!こいつは電力会社の人間なんだぞ!なんでお前が逃げてんだよ、日本に戻ってこの状況をなんとかしろよ!」

興奮している男の顔を見ると、先ほど甲板で話しかけてきた男であった。

男の言葉で、周りの人達が一斉に私を見た。

様々な表情が私を見おろしている。

困惑、軽蔑、そして怒り。

人々がざわつき始め、そのざわめきの合間から憎しみが乗った罵声が聞こえてくる

電力会社の社員? よく逃げれるな。 お前らのせいだろ。 恥ずかしくないのか。

その罵声は、人々が抱える不安や恐怖を燃料として、どんどん大きくなっていった。

妻と子どもたちがトイレに行っていたのがせめてもの幸運だ。

「止めなさい!あんた達、恥ずかしくないの!」

集団リンチを覚悟したその時、一人の女性の大きな声がフェリーターミナルに鳴り響いた。

一瞬罵声が止む。

床に倒れたままの私を後ろにして、その太った中年女性は集団に立ちふさがり

「あんた!」

私を殴りつけた男を指さす。

「あんた、この前の選挙はどこに投票したの?」

指さされた男性は驚いた表情をしながらも怒鳴り返す。

「うるせえなオバハン!なんの関係があるだよそんな事!ひっこんでろ!」

「いいから答えなさい!」

女性が更なる大きな声と迫力で男に迫った。

その迫力にのまれた男性が吐き捨てるように答えた。

「選挙なんて行ってねーよ、そんな暇じゃねーんだ俺は。」

中年女性は男を睨みつける。

「じゃあ、あなたにこの人を責める権利はないわね。あなたも、原発を認めていたっていう事じゃないの。他の人達だって同じでしょ。あんた達が、普段何をしてたの?何も気にせずに電気を好きなだけ使い、選挙に行ったとしても原発の事なんか少しも考えずに投票に行ってた人がほとんどなんじゃないの?」

更に女性は周りの人達に続ける。

「そんな人達が、よってたかってこの人だけを責めるのは違うでしょ!この事故を起こしたのは私たちなのよ、みんなで許してたんでしょ原発を!こんな状況になってもまだそれに気づかないの!」

聴衆は、女性の迫力に完全にのまれていた。

そして、その女性は振り向いて私に肩を貸して立ち上がらせてくれた。

「ありがとうございます」

小さく震えた声で礼を述べた。

「いいから早く行って。」

同じく女性も小さな声で耳打ちをする。

人々をかき分け私はよろめきながらその場を後にした。

口の中に鉄の味が広がると同時に痛みと恐怖がおそってきた。

 

 

 

何日間船に乗っただろうか。幼き日の記憶なのでよく覚えていない。確か、この国に到着したのは昼間だったと思う。政府の職員につれられて、今いるこの避難民用のマンションに初めて来た日の事を思い出した。子どもながらに色々と不安だったが、マンションの花壇に植えてあった色鮮やかな花々やその甘い匂いに感動したの時の事を父の話を聞いて思い出した。


大学生の時に父の話の概要は、母から聞いていたが父から直接聞くのは初めてだった。その後、祖父との連絡は一切取れなかったそうである。私たちの船の後、数隻が日本を脱出したが、日本人の多くが日本にそのまま取り残された。その後のその人達がどうなったか、日本国内がどうなったかは、詳しい情報は表に出ていない。結果として日本国は消滅し、現在は国際連合の特別管理区域となっている。私たちの船に乗っていた人々のほとんどは、オーストラリアに行く事になったが、父はターミナルの一件を踏まえ、今後の生活の事も考えて別の国に受け入れてもらえる様に政府職員と交渉したそうだ。結果、私たち家族はこの国にやってきた。そして私は「杏」という名前の日本人から

「Ann」というシンガポール人となった。

 

話終えた父が少し心配で、私は父の家に少し残る事にして夫は息子と娘を連れて先に家に帰った。

「父さん、日本でよく私と散歩してたの覚えてる?」

帰り際に玄関まで送ってくれた父に尋ねてみた。

父は何も言わず頷いた。

「私今でも思い出すよ。あの国の手入れされた庭のある小さな家々、季節の花々が咲いている街角、高台にあった神社から見た抜ける様な青空、一度だけ降り積もる雪も見た、綺麗で素敵な国だった。」

「そうだな、綺麗な国だったな」

父は懐かしそうに目を細めた。

「今日は、ありがとう。話が聞けてよかった。」

私がそう言うと父は少しだけはにかみ右手をあげた。

エレベータで下に降りてマンションの前でタクシーを待つ。

何の気なしに後ろを振り向くと街頭に照らされた花壇の花が目に入った。

近づいて匂いをかいでみる。懐かしい甘いにおいがした。

そうか、私が30年前初めてこの国に来た日に見たのはこの花だったんだ。

多分、あの時と同じ花壇だ。

この国に初めて来たあの日を思い出しながら、夜の空気と共に甘い匂いをおもいっきり吸い込んでみた。