“健康優良児”(最近使わないが・・・)として、現在まできている僕には、なかなか病気を理解することができないでいる。とても抽象的ではあるが、テレビなどでとても苦しんでいる患者さんや周囲で支える方々のドキュメンタリーや特集番組では、涙をこらえて見入ってしまう自分であるはずが、身近な人間の苦しみを十分に理解できないでいる。
 特に慢性的な痛みと暮らしている方々の苦悩はどう理解したらよいのだろうか、考え込んでしまう。僕の中の常識と先入観、偏見、美意識、それらが現在世の中に漂っている『強者の意見』に偏っていることに気づいてしまう。
 考え、理解して、行動し、表現できる人ばかりでないことにこの歳になって改めて気づいた僕は、今後の表現方法に臆病になってしまうかもしれない。でも、そのおかげで見えてくるものもたくさんあるのも事実である。
 『ゆっくり』という言葉をここにきてやっと実践できているということ。頭ではわかっていた素敵な言葉を実践できるチャンスだ。心を穏やかに相手を見つめて行こうと思う。歩み寄ることも“ゆっくりあせらずに”いこう。