1991年ユニバーサルよりメキシコ
行きの辞令
新間代表から
「これからは浜田に
めちゃくちゃ世話になるんだぞ」
と
念を押された
メキシコの法律で
車は週1
休ませなければならない
が
浜田はトップスターなので
試合は週7
不便を感じて
セカンドカーを欲しがっていたので
白いクライスラーを
献上した
お世話になるのだから
当然の事
浜田邸は
映画「男はつらいよ」シリーズの
とらや(くるまや)
そのものだった
日本人がメキシコに来れば
「腹減ってないかい?」と
選手であろうが
マスコミさんであろうが
お客様迄
誰でも自宅に招待して
ご飯を食べさせてくれた
日本のTV番組の
VHSを取り寄せて
食後に観るのが
日課だった
特に大好きだったのは
モノマネ特番
ユニバからFULLになって
間もなく消滅すると
「MASAよ
俺の帰る場所はあるかい?」
メキシコからの国際電話
1995年みちのくプロレスに入団
浜田45歳の年だった
精一杯の恩返しをした
セカンドキャリアの模索も
してあげたが
叶わなかったのが
私にとっての無念
来世で一緒にやろうぜ
グラン浜田よ
永遠に
合掌