なんていうかさ、
その渦中にいる限り、
真理なんて見えないのが本当とおもうわけさ
良い夫婦の在り方とか、
良い親子の在り方とか、
良い恋人どうしの在り方とか
自分は良い人間・良い彼女をしていると思っていても、
そんなのわからない
それほど頼りない思い込みはない
それを決めるのは自分ではない
彼は素晴らしい人に見えるかもしれないけど、
見ている自分の目が正しいのかもわからない
見ている自分を正さずに何を見るのだろう
とにかく何もわからない
簡単に「 わかる 」「 絶対 」と言う人間を私は信用できない
何を真理の柱にしてわかると言うのか、
私にはどうにもわからない
わからないことを起点にしなければ、
未熟であることを前提にしなければ、
わかったつもりの人間が誰かを説得しようとすることほど面倒なことはない
わかったふうな人の話を聞くことほど面倒なこともない
「 ○○って△△だよね 」、
そんな決定を一体誰が正しいと判断できるというのだろう
誰かについて何かについて決めつけてしまう人を、私は信用できない
私が提案できるのは小さな可能性だけだ
経験を出し合っても、それはその他の人間にはあてはまらない
年配者だからといって、言っていることが正しいとは全く限らない
子どもが言うことが間違っているとは限らないように
あなたが正しいとしていることに、
誤解を恐れずに言えば、
私は全く興味がないのだ
自分がどうなのか、
彼がどうなのか、
私たちはどうなのか
わかるのはずっとあと
誰かが判断してくれるのもずっとあと
今現在の一瞬の自分がどうかなんて判断するのは大して意味もない
人間はたいてい演者であるし、そしてまた、それもほんの一部分に過ぎない
自分はどうだったのか、
彼はどうだったのか、
私たちはどうだったのか、
結果という己、動かすことのできない事実、
そういうものが私に、いつか教えてくれるのかもしれない
そのときまで私は、自分のものさしの種類を増やしていこう
できるだけそのものさしの目盛りを細かくしていこう
たくさんの形のものさしを持てるかどうか、
一本一本の目盛りを細かく刻むことができるかどうか、
私という人間はそういうものでできていくのだと、
今日の私は考えている