近くの喫茶店に入り、オープンテラスで隼人は由佳から先輩の話を聞いた。先輩が育児休暇に入る前、隼人は彼女を通じて、インストアライブをよくやらせてもらった。先輩が頑張っている姿に、自分も励まされるような気持ちになった。先輩の話が一区切りすると、由佳が一番聞きたかったことを尋ねた。
「そういえば隼人、オーディションのほうはどうだったの?」
隼人は期待している由佳にどう答えるか、一瞬詰まった。だが、すぐに気持ちを切り替え、ありのままの結果を伝えた。
「ああ…結果は厳しそうだよ…。それでも、ギターそのものは高く評価してもらったよ!まずは来月の対バンライブに向けて頑張らないとな!」
隼人は今回の結果をバネに、次に目を向けていた。しかし、その時の隼人の気持ちは、由佳には届いていなかった。由佳の頭の中では、ネガティブな感情が次々と沸き起こった。
『またダメだったんだ…。いくら隼人でも、ジャズじゃ…音楽の世界では…勝負出来ないんじゃないの…。』
『周りの先輩や友人たちは幸せになっていっているのに、私は一体いつまで待てばいいの?』
いつもなら、隼人のためにそういった感情も抑えられた。しかし、先輩の幸せそうな様子を見たばかりの由佳にはあまりにも辛い現実であった。
「もう…いいよ…」
ずっと隠してきた本心が、とうとう口から漏れてしまった。
『言ってしまった…』
そう思いつつ、由佳は自分の気持ちを話した。大好きな隼人とずっと一緒にいたいから…。
「もういいよ、隼人は十分頑張ったよ。大学時代から学費・生活費を自分のアルバイト代で捻出して、その合間にストリートに立って演奏技術を磨いて、昔はどこも全く通らなかったオーディションも、今は大手レーベルでも残るようになって…。今、別の道に進んでも、隼人が頑張ってきたのを、私がずっと覚えているから…。」
いつもと様子が違う由佳を前に、隼人は戸惑った。だが、応援してくれている由佳にそれを悟られまいとして、意識的に明るめな口調で話しかけた。
「どうしたんだよ、由佳。何があったんだよ?」
しかし、隼人の想いは、その時の由佳には届かなかった。それだけの気持ちの余裕が、由佳にはなかったのだ。次の瞬間、由佳は自らの悲しみを、そのまま隼人にぶつけることしかできなかった。
「どうして…どうして私の気持ちを分かってくれないの…。隼人のバカ…私…知らない…!」
涙をたたえた瞳を向け、それだけ隼人に言うと、由佳はそこから逃げ出すように店を飛び出した。行き先もなく、衝動が突き動かすままに由佳は街を駆けた。やがて、衝動が収まってくると、雑踏の中で立ち止まった。そして、助けを求めて携帯を握りしめた。
その頃、若菜はパソコンと格闘していた。和輝からこんなメールが届いたからである。
『ワリイ、会議資料をデスクトップに保存したまま忘れていた(゜∀゜;)。大至急、資料をPDF形式に変換してメール添付で送ってくれぃ( ̄○ ̄;)。』
普段、若菜はWindowsを使っていたのに対して、和輝はMac派であった。パソコンが苦手な若菜にとって、いつもと違うパソコンでの操作はかなりしんどいものであった。文句を言いつつ、どうにかこうにかメールを送ると、売店にお菓子を買いに席を立とうとした、その時であった。
『今日の夕方、時間ある?』
由佳からメールが来た。いつもなら何か用がある時は前日までには連絡をくれる由佳にしては急だなと思いながら、過去にもないわけではなかったので、そこは特に気にしないことにした。その日は急ぎの用件もないので、7時に吉祥寺のサーティワンで待ち合わせることにした。
7時、仕事を切り上げた若菜は待ち合わせの場所に向かった。まぁ、いつものようにどこかで夕食でもといったところだろう。そう考えながら駅を出ると、由佳の後ろ姿を見つけた。近づいて声を掛けると、若菜は驚きを隠せなかった。振り返った由佳の顔は、今にも泣き出しそうな様子であったのだ。
「どうしよう…私…隼人を困らせちゃったよ…。」
それだけ言うと、由佳は若菜に抱きつき、その瞳からは大粒の涙がこぼれだした。
「ちょっと…どうしたの、由佳!何があったのよ!?」