いつものように午前中の診察を終えた若菜は、昼食を食べた後、外回りに向かおうとしていた。
すると、病院の門を出た辺りで、若菜を呼ぶ声がした。
「あれ、若菜じゃないの?」
聞き覚えのある声であった。見ると、一人の若い女性が立っていた。それに気づいた瞬間、若菜が驚いた様子で彼女に話しかけた。
「由佳じゃないの!久しぶり、元気だった!?いつこっちに戻ってきたの?」
村上由佳は若菜の大学の同級生である。もっとも、歳は彼女の方が1コ上なのだが。ホームセンターに就職して山梨で働いていたが、近々、都内に異動になるという話を耳にはさんでいた。
「一昨日こっちに来たんだよ、今日は有給もらって引越しの最中さ。まぁ、立川の実家に荷物入れるだけなんだけどね。」
その週末、久々に女友達同士で飲みに行った。酔うと上機嫌になってよくしゃべるようになる由佳は、しばらくすると若菜に絡んできた。
「若菜ちゃーん、ようやく遠距離恋愛から超近距離恋愛になったよー。何だかんだ言ったっても、遠距離は寂しかったんだよー。でもね、たまには東京から隼人が遊びに来てくれたんだー。今年の夏は、一緒に夏フェスに行ったんだよ。うらやましいでしょー」
完全に酔っ払っていた由佳は、その後も延々とのろけ話をした。家までタクシーで送っていくのは大変だったが、二人が順調に交際を重ねていることが伝わり、嬉しい気持ちになった。
翌日、そのことを和輝に話した。すると、何か思いついた和輝は若菜に頼み事をした。
「2週間後に院内コンサートが予定されているんだけど、あと一組が決まらなくてな。デモとかを聴いてからじゃないと判断は出来ないけど、良かったら声掛けてもらえないか?」
コンサート当日、新人アーティストやクラシック演奏者が素敵な音色を院内で奏でる中、隼人も任された時間で観客の心をしっかり掴んだ。
演奏が終わると、隼人は由佳と一緒に若菜のもとにやってきた。
「久しぶりだな、若菜!この間は由佳が相当悪酔いしていたらしいな。」
「ちょ…もう、隼人ったら!」
隼人が冷やかすと、由佳は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして軽く隼人の胸を叩いた。
そこへ、このコンサートの責任者であった和輝が現れた。隼人は今回のコンサートに招待してくれた和輝にお礼をした。和輝はコンサートの感想を伝えた。
「ありがとう、患者さんたちも楽しめて、良いコンサートになったよ!」
和輝がそう言うと、由佳が付け加えるように隼人に話しかけた。
「かなり多くの人が足を止めてくれたもんね!来週のオーディション前に良い手応えが掴めたんじゃない?」
「え、来週のオーディションって?」
若菜が尋ねると、由佳が詳細を話し始めた。
「隼人、今度の土曜日に大手レーベルの最終選考があるんだ。それを通過したら、めでたくメジャーデビュー出来るかもってわけ!」
由佳が話し終えると、隼人がオーディションの意気込みを口にした。
「もっと多くの人にジャズの良さを知ってもらいたいからな。それまでに、少しでも良い演奏が出来るように頑張らないとな!」
そんな隼人を、若菜と和輝が激励した。その日は、それで解散となった。
土曜日、由佳は職場の先輩と会っていた。去年の秋から育児休暇を取得し、子育てに奮闘していた。由佳が子育てのことを聞くと、毎日が闘いだけど、色々な発見もあって自分自身も成長出来るよと話した。先輩も、由佳がこの前に話したことを思い出し、話を振った。
「そういえば、隼人君、今日オーディションが最終選考だったよね。これを通れば、両親からも同居が認められるんだから、頑張ってもらいたいわね、由佳。」
その頃、隼人は3千組の中からここまでくぐり抜けてきた7組うち、最後の選考となっていた。選考は希望調査を行った後、実演を個別審査することになっていた。
自分の番が回ってくると、隼人はカバーとオリジナルを1曲ずつスカウトの前で演奏した。演奏中、これまでにない良い感触を隼人は実感することが出来た。
演奏が終わると、スカウト陣の一人から演奏を称える言葉をかけられた。
「素晴らしい!長時間審査をしてきて『飽き』が来ていた私どもの目を醒してくれる見事な演奏だ!」
スカウトからも高い評価を受け、順調な流れであった。スカウト陣が一通り感想を伝えた後、一人が尋ねた。
「ところで、君はポップスには関心はないかね?」
「いえ、あくまでもジャズギタリストとして勝負していきたいと希望しています!」
質問に対して、隼人はキッパリと断言した。ジャズで一流になることが由佳との、そして、自分自身との誓いだからだ。すると、先ほどまでの明るい雰囲気が変わり始めた。そして、質問したスカウトが口惜しそうに話し出した。
「そうか…。君が素晴らしい実力を持っていることは、ここにいる誰もが認めるだろう。そして、私たちももちろん、良い音楽を聴きたい。しかし、良い音楽と売れる音楽はまた別物だ。営利企業として、我々は売れる音楽を市場に提供しなければならない。ジャズは認知度が低く、商品としてはリスクが高すぎるのだよ。」
スカウトからのその言葉が何を意味しているのか、隼人は理解していた。突きつけられた現実に、悔しさを覚えながらも、一人の力ではどうにもならない無力さに隼人はかられた。
「売れる音楽か…」
そうぼやいて隼人は駅に向かっていた。また最初からやり直しだな…。そんなことを考えていた時、改札口前に由佳が待っていた。先輩とは近くで会っていて、そろそろオーディションが終わるんじゃないかと思い、ここまで来たということだ。
すると、病院の門を出た辺りで、若菜を呼ぶ声がした。
「あれ、若菜じゃないの?」
聞き覚えのある声であった。見ると、一人の若い女性が立っていた。それに気づいた瞬間、若菜が驚いた様子で彼女に話しかけた。
「由佳じゃないの!久しぶり、元気だった!?いつこっちに戻ってきたの?」
村上由佳は若菜の大学の同級生である。もっとも、歳は彼女の方が1コ上なのだが。ホームセンターに就職して山梨で働いていたが、近々、都内に異動になるという話を耳にはさんでいた。
「一昨日こっちに来たんだよ、今日は有給もらって引越しの最中さ。まぁ、立川の実家に荷物入れるだけなんだけどね。」
その週末、久々に女友達同士で飲みに行った。酔うと上機嫌になってよくしゃべるようになる由佳は、しばらくすると若菜に絡んできた。
「若菜ちゃーん、ようやく遠距離恋愛から超近距離恋愛になったよー。何だかんだ言ったっても、遠距離は寂しかったんだよー。でもね、たまには東京から隼人が遊びに来てくれたんだー。今年の夏は、一緒に夏フェスに行ったんだよ。うらやましいでしょー」
完全に酔っ払っていた由佳は、その後も延々とのろけ話をした。家までタクシーで送っていくのは大変だったが、二人が順調に交際を重ねていることが伝わり、嬉しい気持ちになった。
翌日、そのことを和輝に話した。すると、何か思いついた和輝は若菜に頼み事をした。
「2週間後に院内コンサートが予定されているんだけど、あと一組が決まらなくてな。デモとかを聴いてからじゃないと判断は出来ないけど、良かったら声掛けてもらえないか?」
コンサート当日、新人アーティストやクラシック演奏者が素敵な音色を院内で奏でる中、隼人も任された時間で観客の心をしっかり掴んだ。
演奏が終わると、隼人は由佳と一緒に若菜のもとにやってきた。
「久しぶりだな、若菜!この間は由佳が相当悪酔いしていたらしいな。」
「ちょ…もう、隼人ったら!」
隼人が冷やかすと、由佳は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして軽く隼人の胸を叩いた。
そこへ、このコンサートの責任者であった和輝が現れた。隼人は今回のコンサートに招待してくれた和輝にお礼をした。和輝はコンサートの感想を伝えた。
「ありがとう、患者さんたちも楽しめて、良いコンサートになったよ!」
和輝がそう言うと、由佳が付け加えるように隼人に話しかけた。
「かなり多くの人が足を止めてくれたもんね!来週のオーディション前に良い手応えが掴めたんじゃない?」
「え、来週のオーディションって?」
若菜が尋ねると、由佳が詳細を話し始めた。
「隼人、今度の土曜日に大手レーベルの最終選考があるんだ。それを通過したら、めでたくメジャーデビュー出来るかもってわけ!」
由佳が話し終えると、隼人がオーディションの意気込みを口にした。
「もっと多くの人にジャズの良さを知ってもらいたいからな。それまでに、少しでも良い演奏が出来るように頑張らないとな!」
そんな隼人を、若菜と和輝が激励した。その日は、それで解散となった。
土曜日、由佳は職場の先輩と会っていた。去年の秋から育児休暇を取得し、子育てに奮闘していた。由佳が子育てのことを聞くと、毎日が闘いだけど、色々な発見もあって自分自身も成長出来るよと話した。先輩も、由佳がこの前に話したことを思い出し、話を振った。
「そういえば、隼人君、今日オーディションが最終選考だったよね。これを通れば、両親からも同居が認められるんだから、頑張ってもらいたいわね、由佳。」
その頃、隼人は3千組の中からここまでくぐり抜けてきた7組うち、最後の選考となっていた。選考は希望調査を行った後、実演を個別審査することになっていた。
自分の番が回ってくると、隼人はカバーとオリジナルを1曲ずつスカウトの前で演奏した。演奏中、これまでにない良い感触を隼人は実感することが出来た。
演奏が終わると、スカウト陣の一人から演奏を称える言葉をかけられた。
「素晴らしい!長時間審査をしてきて『飽き』が来ていた私どもの目を醒してくれる見事な演奏だ!」
スカウトからも高い評価を受け、順調な流れであった。スカウト陣が一通り感想を伝えた後、一人が尋ねた。
「ところで、君はポップスには関心はないかね?」
「いえ、あくまでもジャズギタリストとして勝負していきたいと希望しています!」
質問に対して、隼人はキッパリと断言した。ジャズで一流になることが由佳との、そして、自分自身との誓いだからだ。すると、先ほどまでの明るい雰囲気が変わり始めた。そして、質問したスカウトが口惜しそうに話し出した。
「そうか…。君が素晴らしい実力を持っていることは、ここにいる誰もが認めるだろう。そして、私たちももちろん、良い音楽を聴きたい。しかし、良い音楽と売れる音楽はまた別物だ。営利企業として、我々は売れる音楽を市場に提供しなければならない。ジャズは認知度が低く、商品としてはリスクが高すぎるのだよ。」
スカウトからのその言葉が何を意味しているのか、隼人は理解していた。突きつけられた現実に、悔しさを覚えながらも、一人の力ではどうにもならない無力さに隼人はかられた。
「売れる音楽か…」
そうぼやいて隼人は駅に向かっていた。また最初からやり直しだな…。そんなことを考えていた時、改札口前に由佳が待っていた。先輩とは近くで会っていて、そろそろオーディションが終わるんじゃないかと思い、ここまで来たということだ。