すっきりしない気分のままミーティングルームに戻ると、若菜は相談調書の作成に取りかかった。
夜食を買って戻ると、診察を終えた和輝がいた。
「どうだった、今回の相談者たちは?」
「本人たちがかわいそうですよ!あんなに愛し合っているのに認めてもらえないなんて…。説得は長期戦になりそうですね…。」
率直な感想を若菜は話した。疲れきっていた若菜はベットに飛び込むかのような勢いでデスクに突っ伏した。和輝もまた、若菜と同じ意見であった。若菜はめずらしく、プライベートなことを和輝に尋ねた。
「先輩も、結婚する時ってやっぱり簡単には行きませんでしたか?」
その問いかけに、和輝は一呼吸置いて答えた。
「めずらしいな、若菜ちゃんからそういった質問がくるなんて。まぁな、学生結婚だったしな。でも、そういった困難も、かみさんとの絆を強くしてくれたってもんよ。」
和輝の半分納得しつつ、余裕を見せつけるその答えに、若菜はため息をついた。こっちはこれからその修羅場を対処しなければならないのに…。
その時、和輝は1つ気がかりなことを口にしだした。
「それにしても、最初に決めた時から3年も辛抱強く待っているのか。ふとしたきっかけで、キレなきゃいいけどな…。」
和輝のその一言に、若菜は一瞬、寒気を感じた。しかし、あの2人ならそんなことあるわけないとすぐに思い直し、再び調書の作成に戻った。
最初の訪問以降、若菜は機会を作っては説得に当たった。
愛の父親には
「良太は元々、技術面でも飲み込みが早くて見識も深く、工場を支える人材にもなりうる」「若いけれども職場や取引先での信頼も厚い」
ということを、
良太の母親には
「愛は家事全般をこなせ、良太の良い伴侶になれる」「人当たりが良くて友人も多く、語学が堪能。作法とかは時間をかけて身に付けていけばいいのではないか?」
と、二人の人柄や強みとなるスキル、可能性を中心にアピールした。そして、心配なところは後から時間をかけて解決していけばいいのではないかと主張していった。
しかし、それらは認められつつも、「1から教え込む余裕などない」「『生まれ』による違いには、努力だけでは埋められないものもある」と、一向に解決は進まなかった。
解決を焦る若菜にとって、良太と愛からの忍耐力と信頼が支えであった。そして、2人にとっても、良太の父親と愛の母親は2人の交際を応援していること、そして何より、お互いを想う気持ちが、ぎりぎりで踏みとどまれる支えであった。
そんな日々が続いたある日、愛がいつものように仕事を終えると、徹也が愛に話しかけた。
「愛、ちょっといいか?大事な話がある。」
もしかしたら、ようやく父も良太との交際を認めてくれたのではないのか、そんな期待を胸に秘め、工場の事務所に向かった。
事務所で待っていた徹也は妙に上機嫌であった。そして、デスクからおもむろに何かを取り出した。
「実は、お前に見合いの話があってな。ほら、隣町で金属加工をやっている山中さんのところの三男の銀次君だよ!」
愛は目の前が真っ白になった。銀次のことは、同じ中学と高校の先輩で、何となくは知っている。大学を卒業後、自動車メーカーに就職し第一線を走り続けてきた銀次との見合い話は、確かに父にとってはこれ以上ない話だった。しかし、それは同時に、愛に良太を諦めろという宣告でもあった。
その日の真夜中、愛は家を抜け出し、良太と落ち合った。愛が事情を話すと、良太も今日あったことを愛に話し始めた。
「実は、俺にも提携財閥の令嬢との見合い話が来てな…。」
この皮肉とも言えるような運命に、2人が出した答えは同じであった。もう、その時の2人には選択肢がそれしか思い浮かばなかった。
翌日、いつもと同じような日常が過ぎていった。朝が来て、仕事をしているうちに昼となり、夜が更けていった。やがて眠りに就くと、またいつもの朝が来る…。だが、徹也と美由紀に、その朝はやって来なかった。愛と良太が姿を消していたのだ。代わりに、一枚の置き手紙が残されていた。