単純な足の速さであれば、陸上部であった亮が圧倒的に優位であった。

 

しかし、幸太も曲がりなりにプロである。今までこうした修羅場は幾度もくぐり抜けてきた。ペットボトルや空き缶を投げたり、駅近くに捨てられていた自転車やタイヤの山を蹴飛ばしてバリケードにしたりと、あらゆる手段を使って抵抗した。

 

そうこうしているうちに、亮と若菜は幸太の姿を見失ってしまった。曲がり角を巧みに使われ、まんまと幸太に巻かれてしまったのだ。ひとまず、これ以上の捜索は無意味だと2人は悟った。そして、紗季を1人にしたままで、これ以上不安にさせないために、喫茶店にもどることにした。

 

一方、幸太も、しばらくは逃げていた。しかし、2人が追いかけてこないと分かると、勝利を確信し、空に突き刺さんばかりの、卑しい高笑いを上げた。

 

「くっくくく…はーはっはっは!どうやら上手く巻いたみたいだな。」

 

幸太は悠然と、撮影場所から少し離れた場所に止めておいた車まで上機嫌で戻っていった。

 

「これは高値がつくなぁ。今日はこいつをタブロイド紙に売り捌いたら、夕飯は寿司か焼肉だな。」

 

そんなことを考え、車まで数百メール手前まで来た時であった、誰かが幸太の襟を後ろから力ずくで引っ張った。

 

「やぁ、初めまして。」

 

声の主は和輝であった。涼しい笑顔で逃げるスキを全く与えない和輝に、幸太は心底震え上がった。

 

「は、初めまして…。あ、あの…私みたいな名もなきジャーナリストに何の用でしょうか?」

 

和輝は表情1つ変えず、用件だけを幸太に伝えた。

 

「さっき、おっちゃんが撮っていたカメラ、こっちに渡してもらえないかな?」

 

和輝が要求したのは、紗季たちをスクープしたカメラの引き渡しであった。

 

「あの…こんなカメラ、大したものじゃないですよ…。お、お金でしたら、手持ちであるだけ払いますので…。」

 

幸太は和輝のことを芸能事務所の関係者だと思い、警戒した。うかつに抵抗した場合、どんな報復があるか分からないからだ。被害は最小限に、なおかつ写真を守ることを最優先に幸太は動いた。

 

「うちの後輩とお客様が困ってしまうんだよね、さっきのおっちゃんの写真が出回ってしまうとさ。なぁ、人様のプライベートを食い物にするようなことからは足を洗おうぜ、悲しみと憎しみしか残らねえじゃん。」

 

和輝は幸太のえりそでを掴んだ手を弛めることなくそう、しかし、丁寧な口調で幸太を諭した。

 

和輝が若菜の上司だと分かると、幸太は先ほどよりも強気に出てきた。

 

「ファンを裏切る紗季ちゃんが悪いんですよ…。そんなことより、庶民の正義である我々マスコミに暴力ですか、き、記事にしますよ?」

 

幸太は脅しを交えて、反発し始めた。業界の人間でなければ「記事にする」の殺し文句で返り討ちにできると踏んだのである。

 

幸太の態度から、和輝は埒があかないと判断した。そこで今度は、幸太の正面から首根っこを掴みながら前に押して行った。恐怖におののく幸太は、声を上げて叫ぶことすら忘れていた。

 

しばらく引きずられると、体格の良さそうな人にぶつかった。恐怖で引きつった顔で振り返ると、ぶつかった相手は刑事であった。近くに止まっていたパトカーと格好から幸太はそう判断できた。

 

「あ、刑事さん、助けてください!見てくださいよ、早くこの男捕まえて…。」

 

刑事の登場に、幸太は安堵していた。刑事は二人に近づくと、手錠をかけた。

 

「はいはい、先日の病院騒動も含めた威力業務妨害、および、不法浸入容疑の現行犯で逮捕ね。逮捕状もこのとおりあるから。」

手錠をかけられたのは幸太であった。勇次に手錠を掛けられた瞬間、あっけに取られた幸太であったが、すぐさま状況を理解すると、今度は勇次に怒鳴り始めた。

 

「何だと、何で僕が逮捕されなきゃいけないんだ!それより、目の前の暴力男を捕まえ…」

 

そこまで幸太がわめいた時、ゴギャっと鈍い音がした。勇次が幸太の関節を外し、逃げられないようにしたのだ。痛みと不満で騒ぐ幸太を、勇次は淡々とパトカーに押し込み、連行していった。

 

数分後、和輝から連絡を受けた若菜たちは駆けつけた。和輝が幸太を警察に突き出し、写真についても警察のほうで上手く処理してもらえることを亮に伝えた。亮と紗季は騒動以来、ようやく安心する時間を取り戻した。

 

「ちょっと話があるんだけど、いいかい?」

 

礼をする亮と紗季に、和輝が1つ提案をした。

 

翌週、テレビや週刊誌では二人の交際がワイドショーのトップで報じられていた。紗季に連ドラの話がちょうどきていたこともあり、これを機に、真剣交際であることを発表したのだ。

 

「今回は追い返せたが、ずっとこういうハイエナ対策をしなけれゃならんのはキツいぜ。それと、キャッチコピーが、いわゆる「みんなのアイドル」だけじゃ、代謝の激しい芸能界で生き残るのも大変だ。紗季ちゃんを一流の芸能人に育てたいんだろ?」

 

若菜と和輝から同じアドバイスを受け、交際の公表にも踏み切ったのであった。当初予想されていた批判についても、亮が先手を打ってあいさつ回りなどをこなして味方を増やし、影響を最小限に留めた。これは、それまでの2人の誠実な仕事への取り組みも評価されてのことであった。

 

その日の夜、若菜に1通のメールが届いた。

 

「先生、この間はありがとうございました。元気に可愛く振る舞うことがメインだったアイドルとはまた違って、毎日が勉強です。哀しさや怒り、もちろん、喜びといった色々な感情表現に必要な表情や仕草、発声など、きちんとお芝居の学ぶのは、とても大変です…。上手くいかないことも多くて、落ち込むこともしばしばあります。だけど、大好きな彼がいつも支えてくれる。私、立派な女優になって、彼と必ず幸せになります!」

 

新しい一歩を歩き始めた2人の幸せを若菜は願った。若菜はエールをこめて、紗季に返信を送った。

 

「ガンバレ、応援しているよ!」