その日の夜、あるビルの一室で、男が荒れていた。
「くっそー、二人が三鷹病院に入って行くところを目撃して、裏口で待ち伏せていたのに、まさか正面玄関から逃げられるとは…!」
幸太はゴミ箱やボツの原稿に怒りをぶつけていた。和輝の発案で、亮はそのままで、紗季は帽子やだて眼鏡で軽めに変装させた上で逃したのである。
「まぁ、二人の交際を確認できただけでもいいじゃないですか。それにしても、これがもし純粋な交際だったら、事実を確実に押さえてからじゃないと、記事にするのは引け目を感じるなぁ。」
アシスタントの女性がそうぼやくと、幸太はチクチクと説教し始めた。
「甘いんだよ、君は!この世界で記事の信憑性なんて関係ない。面白いか面白くないかが価値を決めるんだよ!そんなんだから、君の記事はボツになったり安値で叩かれたりするんだ。今回のスクープ、他の連中に先を越されてなるものか…!」
そう、幸太こそが前回の現場を撮影し、決定的な場面を狙う人物であった。業界内でもその豪腕ぶりは有名であり、裁判沙汰すれすれの暴露記事が、読者の購買欲求を煽っていた。
それからの1年間、両者のいたちごっこが続いた。
相談は電話やメールを中心に行い、どうしても面会の必要があるときには人が多い喫茶店で行なった。容易にシャッターを押させないためだ。何度かあった危機も、若菜と和輝のアドバイスでうまく巻いていった。
そんなある日、中々うだつが上がらない幸太は、1から計画を練り直すことにした。
「そもそも、いきなり現場を押さえようとしたのがまずかった。まずは外堀から埋めていくか。くっくっく…上手くいったら、現場を作り出せるかもしれないなぁ。」
幸太はまず、二人が三鷹病院に行った日の回診日程を洗い出した。
「内科、外科、眼科…」
診察を行っていた科は沢山あった。その中から、二人でいく必要がありそうなものを絞っていった。
そこまで絞り込んでいくと、残ったのは1つだけであった。そして、当時やその後の紗季やマネージャーの状況などを踏まえた3日間の推理から、最も可能性が高い医師を探し当てた。
翌日、幸太は病院が開く前から三鷹病院の前に並んでいた。もちろん、診察のためなどではなかった。何時間でも待つつもりでいたが、ターゲットは思っていたよりも早く現れた。
「おはようございます。ボク、『芸能じゃーなる』の山本幸太と言います。双葉先生、アイドルの内田紗季ちゃんについて少しだけお話よろしいですか?」
若菜は一瞬、激しい動揺が走った。上手くかわしきれていると思っていた相手にシッポを見つけられてしまったからだ。
これ以上、この件について嗅ぎ付けられないよう、若菜は無難な対応をした。
「すみません、ちょっと急ぎますので…。」
そう一言だけ言うと、足早に病院内に入っていった。
だが、幸太はこの数秒のやりとりで、若菜が何らかのネタとなる情報を持っているという確信した。そこからの取材手口は悪質極まりなかった。勤務中はもちろん、プライベートの時にも若菜の前に現れては、ヘビのように執拗に問い詰めた。そんな日々が1ヶ月近く続き、若菜のストレスもピークに達した。
「すみません、芸能じゃーなるの山本幸太です。あのー、アイドルの内田紗季ちゃんの交際について情報をお持ちだと思いますので、ちょっと…」
この日、この瞬間、若菜の限界がオーバーしてしまった。
「何もお話しすることはありません!知っていたとしても、守秘義務ですから!!」
若菜は苛立ちをあらわにそう言うと、ずんずんと病院内に入っていった。
だが、これが幸太の反発を招くこととなってしまった。
「何だ…僕のようなジャーナリストに対してあの対応は!」
幸太は事務所に戻ると、アシスタントにある写真を撮ってくるように注文した。
その写真とは、
「若菜の担当日に市川亮が病院内に入っていく場面」
「若菜の担当日に内田紗季が病院内に入っていく場面」
「双葉若菜が個別に二人と会っている場面」
であった。
これだけで何か意味があるのか分からなかったが、とりあえずは幸太の指示に従うことにした。
顔が割れていないアシスタントならば、病院から離れたところで、まして病院外からなら比較的簡単に写真を撮ることはできた。
金曜日、出来上がった写真を渡すと、幸太は顔色一つ変えずにそれを受け取った。そして、アシスタントをその日はそこで揚がらせた。
デスクに戻ると、幸太は早速記事の作成に取りかかった。その表情は、気味の悪い薄ら笑いを浮かべていた。
「くっくっく、明日が楽しみだなぁ。」
翌朝、若菜はいつもと変わらない朝を迎えていた。
「おはよう…、うぅ、眠い…」
するとバイトに行ったはずの妹が、血相を変えて戻ってきた。
「お姉ちゃん、大変!今日発売の雑誌に、お姉ちゃんのことが書かれているよ!!」
思いもよらない事態に、若菜は心臓が止まりそうなくらいに驚いた。そして、記事を見てがく然とした。亮と紗季の交際が白昼に曝されることは危惧していたが、ここまでの手口は想定していなかったからだ。