龍之介が駆け足で呼び出された会議室に入ると、勇次と由衣、そして若菜が待ち構えていた。机の上では、龍之介が由衣に手を上げていた一部始終が再生されていた。事態を飲みこめず、呆然とする龍之介に、若菜が経緯を説明し始めた。
「私が追い返された翌日、大沢刑事に証拠の確保を依頼したの。情報の収集ツールは由衣の携帯とiPodに仕込んだ盗聴器よ。油断させるために大沢刑事にも部屋を訪ねてもらい、何事もないという一芝居も打ってもらった。そして1ヶ月後の結果が、目の前にある通りよ…!」
状況を受け入れきれていなかった龍之介だが、若菜から説明を受け、少し落ち着きを取り戻した。そして、そばにある「邪魔もの」を払い除けようとした。テープを壁に投げて壊すと、勇次にすさまじい剣幕でまくし立てた。
「先輩、お言葉ですが、これは僕と由衣の問題です!先輩が出てくるような話では…。」
「龍之介…。」
勇次がそう呟いたかと思った瞬間、龍之介は勇次によって壁へ叩きつけられた。龍之介の胸ぐらを掴み、勇次は問いただした。
「何でだ、答えろ!信じてくれる人を、支えてくれてる人間を傷つけるなんて、絶対にやっちゃいけないんだ!!オマエほどのヤツが、どうして、そんな、愚かなことを…。」
龍之介は返す言葉がなかった。もちろん、頭の中では決してやってはいけないことを十分理解していた。その度に激しく後悔し、何度も直そうと試みた。しかし、その時に感情をコントロールする術を、龍之介は持ち合わせていなかった。
「…連れて行け。」
勇次が控えていた部下に命じ、龍之介に手錠を掛けた。龍之介が部屋を連れ出される直前、由衣が呼び止めた。
「龍之介!」
龍之介は立ち止まり、由衣のほうを振り返った。少しだけ由衣を見ると、龍之介は再び顔を背けた。その時の表情は、決して由衣を恨んだり憎んだりしているものではなかった。ただただ、この負の連鎖を断ち切れなかったことへの無念と由衣への懺悔、それから開放されることへの安堵であった。
「私、あなたに手を上げられている時、ホントに辛かった、それ以上に、心がズタズタで、悲しかった…。それでも、時折見せてくれた、それまでのあなたの優しさを信じていた…。どうして…どこで私たち、間違ってしまったの…。」
「すまない…。」
由衣の問いかけに、龍之介はそう答えるので精一杯であった。龍之介と勇次が部屋を出ると、由衣は若菜に泣き崩れた。
1ヵ月後、龍之介は辞職したことを、若菜は勇次から伝えられた。一連の騒動自体は示談となり、また、龍之介への処分そのものは戒告処分にとどまり、そこまでの必要はないと勇次は引き止めた。しかし、一からやり直したいという龍之介の意向を尊重し、最終的には辞表を受け取った。そして、由衣は別の部署でカウンセリング治療をしながらの勤務となっていた。
「どうした、いつもの元気がないじゃないか。」
朝から激しい落ち込み具合の若菜に、和輝は声を掛けた。若菜はテンションの低いまま、和輝に本音を話し出した。
「外から見れば、怖いもの知らずでこの数ヶ月を走ってきた。相談にも具体的に方針を示せるようになってきて、少しずつだけど、自信もついてきた。…そのつもりだった。でも今回、私一人じゃ、何も解決できなかった…。何も彼女の力になれなかった…。結局、私のこの数ヶ月の自信なんて薄っぺらなものだって思い知らされされた。私、今まで何をしてきたんだろう…。」
コーヒーを飲みながら、和輝は若菜の言葉に耳を傾けていた。自身の若き日と重ね合わせるかのように、和輝は若菜に声を掛けた。
「いきなりスーパースターなんて、そういないし、長い社会人生活で、うまくいかないこともあるもんさ。若菜ちゃんは、今まで通り、今できることを全力でやればいいのさ。」
そう若菜を励まし、淹れたてのコーヒーを差し出した。
「今、出来ることから、か…」
手痛い代償と引き換えに得た経験を絶対に忘れてはいけないと、若菜は胸に刻んでいた。コーヒーを飲み終えると、相談の時間になり、若菜は立ち上がって相談室に向かった。