登山家・ラルストンは、コロラド州グリーンウッドのチェリー・クリーク高校を 卒業し、ピッツバーグのカーネギーメロン大学に入学、機械工学とフランス語を専攻し主席で卒業した。また副専攻としてピアノを学んだ。
カーネギーメロン大学在学中、リサーチアシスタントとして従事した他、海外に留学し、学内スポーツに汗を流した。その後インテルにメカニカルエンジニアとして勤め、 趣味としての登山だったが...
2002年 登山に専念するためインテルを退社。彼の当時の目標は、     コロラドにある14000フィート(およそ4200メートル)を超える山すべてに   冬期単独登頂することであり、これは当時まだ誰も成し遂げていなかったが、その後、2005年には、この偉業を成し遂げた。

 
 
 
               キャニオンランズ国立公園

 
事故のドキュメンタリー
 
2003年4月、ブルー・ジョン・キャニオン(ユタ州東部、キャニオンランズ
国立公園・ホースシュー・キャニオン地区のすぐ南)
を歩いている時に、渓谷内で挟まっていた岩が外れて落ち、     
彼の右腕前腕部に落ちて、渓谷内の壁との間に腕を挟んで止まった。
ラルストンは彼の旅の計画を誰にも伝えていなかったので、
誰も自分のことを探しに来ないだろうと考えていた。 
 
 
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映画の中では留守番も出ず、知人に行き先を誰にも告げず
行ってしまった後悔の念で回想シーン
彼は自分自身の死を悟り、5日間で、400mlのボトル
映画では岩に嵌まり、最初に250ml飲み干す... 
150ml程しか残っていない水を少しずつ飲みながら、腕を引き抜こうと    試みた。しかし800ポンド(約360キロ)ある岩が腕を挟んでいて、
引き抜く努力は無駄になった。
岩を持ち上げようとしたり            壊しそうとしたりして3日経ち、脱水症状を起こして精神錯乱状態となり、   ラルストンは脱出のために挟まった右腕前腕の中程を             切断しようと試みた。彼は、腕が挟まった最初の数日で実験的に       右腕を止血し、表皮に傷を入れて出血しないかどうか確かめている。     
4日目の時点で腕を引き離すには腕の骨を折らなければいけないことに 気がついたが、彼が持っていた道具では骨を折るに不十分であった。                       
5日目には飲み水が尽き、渓谷の壁に自分の誕生日と死ぬであろう日付を刻みつけ、自分自身をビデオ撮影して家族に向けて最後のメッセージを録画した。恐らくその夜は生き延びれないだろう思っていたが、              
翌朝(2003年5月1日木曜日)の夜明けにまだ生きているということに気がついた。その後すぐに「挟まった腕をねじって力を加えることで、前腕部の二本の骨(尺骨と橈骨)を折ることができるのではないか」と直感し、直ちに実行に移したが、彼の持っていたナイフが短かったために切断には1時間程    かかった。    
彼はナイフのメーカーについて「レザーマン製以外のものを使った」とだけ言って、どのメーカーのものであるか言及していないが、「15ドルの懐中電灯を買った時に、万能ツールとしておまけでもらったものだ」と言っている
 
映画では、切断される時、叫ぶ声と共に迫力のあるぶっ飛びのシーン
 
腕の切断に成功した後、彼は車を置いた場所まで戻らなくてはいけなかった。
長く留まっていた狭い渓谷を脱出し、
 
映画では、たまたま打ち込んであったハーケンに                キスをして、カラビナを掛ける
 
垂直の壁を片手で懸垂下降し、真昼の太陽の降り注ぐ中、
渓谷を歩きとおした。自分の車を駐車したところまで8km程離れていたが、
携帯電話を持っていなかった。
歩いているうちに、オランダから休暇に来ていた
家族(エリク・マイヤー、モニク・マイヤーとその息子アンディ)に遭遇した。
彼らはラルストンに水を与え、救助を要請するために急いで移動した。
 
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ラルストン自身は救急要請される前に出血多量で死ぬのではないかと
思っていたが(この時までに体重が40ポンド(約18キロ)減少していた。
これは血液の25%に当たる)、偶然にもラルストンを探していた
レスキュー隊がヘリコプターで着陸し救助された。
腕を切断して6時間後のことであった
(家族や友達が、ラルストンがいなくなったことで救助要請をし、
救助の直前にキャニオンランズに捜索対象を絞ったところだった)
 

後日、切断されて残った腕は、国立公園の管理者によって
岩の下から取り出された。
 
映画では、どう足掻いても動かせない岩魂、
体重100kg位の人が10人程がロープで引っ張りあげれるだろうと回想...
 
トム・ブロコウによると13人がかりで巻き上げ機と油圧ジャッキを
使って岩を動かし、ようやくラルストンの腕を取りだすことができたという。
腕は火葬にされた上でラルストンに渡された。
 
 
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6カ月後、NBCテレビでの事故の特集番組を撮影するため、
彼の28回目の誕生日にトム・ブロコウ
(元NBCナイトリーニュースのキャスター)と共に事故現場に戻った。
その際「自分の右腕はこの事故現場のものだから」といって、
右腕の遺灰を現場に散骨している
 
 
以上は、ウィキペディアにより、引用...
 
新ためて、読み返すと決断力、行動力も然ることながら、
親子に遭遇や、捜索中ヘリコプターに遭遇など、彼自身生きる運命であったと 痛感する実話である