「クズ人間はどうして生まれたか」
前回のレビュー「ミリアム」でも書いたが、カポーティの両親は自分の孤独感、寂しさを棚に上げ、「親」という言葉を利用して子供の生を独占する人達だった。
強引に介入してくる両親から自分を守る為、物心つく以前から青年期を終えるまで、嘘偽りの自分を演じ続けことに費やしてしまったので、社会に出た際自分を見失ってしまったのだ。
今まで適当に取り繕ってきたから(そうするしかなかったから)、自分がどことコミットできるのか、ヴィンセントはわからないのだ。
そんな子供時代を送ったカポーティの分身であるヴィンセントは、現実と幻想の間を揺れ動く。幻想世界は、両親から自分を守る為に作り出された、昔の名残なのだ。
D・Jも同じく保護者(デストロネッリさん)に苦しめられた人間であり、主人公と同調していく。二人は自分を苦しめているものがわからないから、次第に追い詰められていく。現実逃避の為の幻が、彼らにとって逆に現実となっていくのだ。
その心理の変化の瞬間を、カポーティは描いているから、読者は登場人物を亡霊か何かと誤解するのだ。間違いなくヴィンセントとD・Jは、現実社会に存在する。
ネットワーク内の仮想世界などに入り込む人々がそうだ。
しかしカポーティは、登場人物を否定的に書かず、寧ろ、端整で暖かみのある文章で彼らを描き切る。
カポーティの登場人物に対する誠実な姿勢が、この物語を読む者に懐かしさと悲しみを提供してくれるのだ。
