私が選ぶシカゴのベスト20+ワースト1曲 【ロック&ポップス編】
先日ご好評いただいた
「私が選ぶビーチ・ボーイズのベスト20+ワースト1曲」や
http://ameblo.jp/thebigthing/entry-10132953926.html(60年代編)
http://ameblo.jp/thebigthing/entry-10133883773.html(70年代以降編)
「私が選ぶビートルズのベスト20+ワースト1曲」に引き続き、
http://ameblo.jp/thebigthing/entry-10132556164.html
今度はシカゴでやってみようと言うことになりまして
、
【ロック&ポップス編】と【バラード編】に分けてやってみることにしました
。
http://www.chicagotheband.com/
【Chicago - The Official Band Website】
今回は【ロック&ポップス編】をやってみたいと思います。
ただし、
あの超有名曲「長い夜」はあえてランクに入れず、
ランクの最高峰(?)の名誉賞
といたします
。

名誉賞:長い夜(1970年)

(2002年のパフォーマンス)
2002年の映像の方で歌っているのは
2代目べーシストのジェイソン・シェフですが
、
オリジナルで歌っているのは
「素直になれなくて」でのリード・ボーカルや
ソロ時代の「グローリー・オブ・ラヴ」でおなじみの
初代べーシストのピーター・セテラですね
。
では、早速やってみましょう~
。

栄えあるベスト第1位:イントロダクション(1969年)

(※1972年、日本武道館でのライヴ
)
選んだ理由:1stアルバムの1曲目だから
。
すなわち、シカゴからの所信表明みたいな曲で、
この曲の中にシカゴの音楽的要素が詰まっていると思います。
スローもアップテンポもあり、
メローもハードもあり、
しかも、歌っているのがテリー・キャス
。
初期のシカゴは
レコードでは「ロバート・ラムとその仲間たち」状態となり、
ステージでは「テリー・キャスとその仲間たち」状態でありましたが、
この熱いボーカルとギター
。
まさに“ソウル・オヴ・シカゴ(シカゴの魂)”
。
初期のシカゴに並々ならぬ思いを感じている方は、
それはきっとテリーの存在に他ならないと思います。
また、私が思うに
テリーは世界で最も過小評価されているギタリストの一人だと思います
。
今こそ音楽メディアによる歴史的再評価を望みたいと思います
。
第2位:サタデイ・イン・ザ・パーク(1972年)
(※1973年のパフォーマンス)
第3位:愛のきずな(1973年)
(※1973年のパフォーマンス)
これで、
テリー・キャスとロバート・ラムとピーター・セテラという
初期のシカゴのリード・ボーカリストの曲が出たところで
後の20位までは
あえて年代順に揃えました。
順位は関係ありません

第4位:ビギニングス(1969年)
(※1977年のライヴ)
第5位:クエスチョンズ67/68(1969年)
(※日本語バージョン:1995年、日本武道館でのライヴ
)
第6位:ぼくらの道(1970年)
第7位:ぼくらに微笑を(1970年)
第8位:栄光への旅路(1970年)
(※1970年のライヴ)
第9位:お前が去って(1972年)
(※1972年のライブ)
第10位:ダイアログ(1972年)
(※1972年のライヴ)
第11位:グッドバイ(1972年)
第12位:お気に召すまま(1973年)
第13位:愛の女神(1974年)
第14位:高鳴る心(1975年)
(※1977年のライヴ)
第15位:追憶の日々(1975年)
第16位:無情の街(1977年)
(1977年のライヴ)
1978年にテリーが不慮の死を遂げて、
グループは精神的支柱を失いピンチを迎えますが
、
新しいギタリスト、ダニー・デイカスを迎えた
第1段シングル「アライヴ・アゲイン」で
グループの新しい息吹をアピールします
。
テリーの死去からの這い上がりを踏まえた上で
改めて「アライヴ・アゲイン」を聴くと
また違った感情が生まれてきます
。
第17位アライヴ・アゲイン(1978年)
(1978年のTVパフォーマンス)
第18位:ショウ・ミー・ザ・ウェイ(1978年)
その後のダニー・デイカスの解雇や
レコード売り上げの低速期を経て、
グループはLAの売れっ子プロデューサー(※カナダ出身の)
デヴィッド・フォスターをプロデュースに迎え、
1982年に「素直になれなくて」で大復活

。
ビル・チャンプリンを迎え、ボーカルパートを強化したグループは
時代の最先端の音楽シーンに復活を果たしたのでした。
第19位:いかした彼女(1984年)
いかした彼女(ダンス・ミックス)
ところが、
そのピーターが1985年に
チャリティーアルバム「ウィー・アー・ザ・ワールド」への提供曲
「グッド・フォー・ナッティング」を最後にグループを脱退
。
http://music.barnesandnoble.com/search/mediaplayer.asp?ean=081227387129&disc=4&track=16
そこでバンドは新しいべーシスト兼ボーカリストに
エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランとの仕事で有名なべーシスト
ジェリー・シェフの息子のジェイソン・シェフを迎えて、
心機一転で臨んだ第一段シングルが
なんと「長い夜」のリメイクでした
。
第20位:ワン・モア・デイ
http://music.barnesandnoble.com/search/mediaplayer.asp?ean=075992550925&disc=1&track=11
その後、1990年以降はヒットチャートからは遠ざかりますが、
今も精力的にライヴをこなし頑張っています。

栄えあるワースト第1位:ロウダウン(1971年)

選んだ理由:この曲のレコーディング時の演奏の覇気の無さ
。
一説には、この曲をしたピーターとドラムのダニー・セラフィン以外は
レコーディング時のモチベーションが

だったのだとか
。
要は他のメンバーからは曲がイマイチだけれど、ピーターとダニーの書いた曲が少ないから
しょうがないから収録しようかぁ~見たいな感じだったと思われます
。
当時のピーターはそんな立場だったようです(
)。
まさかその後ピーターが“ヴォイス・オブ・シカゴ”と呼ばれるのですから
信じられませんね~
。
(ピーター&ロバートのインタビューなど@某国営放送
)
局アナ時代の“スーパーひとしくん”ですね
。
(ピーターのインタビュー@夜ヒット
)
「ロウダウン」は残念ながらワーストになってしまいましたが
、
でも、ライヴはどうしてなかなかいいんですよ
。
(※1972年、日本武道館でのライヴ)
では、残念ながらベスト20曲から漏れてしまった曲を
ここで少しご紹介
。
いったい現実を把握している者はいるだろうか?(1969年)
(※1997年のパフォーマンス)
朝日よ輝け(1970年)
今は自由さ(1972年)
輝ける未来(1973年)
(※1973年のパフォーマンス)
ジャンプ・フォー・ジョイ
(※1973年のパフォーマンス)
ママが僕に言ったこと(1974年)
雨の日のニューヨーク(1976年)
ストリート・プレイヤー(1979年)
ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
(※1979年のライヴ)
スウィート・マリー
(※1984年、日本武道館でのライヴ)
ホエン・ウィル・ザ・ワールド・ビー・ライク・ラヴァーズ(1986年、※未発表曲)
A列車で行こう(1995年)
http://music.barnesandnoble.com/search/mediaplayer.asp?ean=075992461528&track=12&disc=1
リトル・ドラマー・ボーイ(1995年)
ただし…
これらランキングは
あくまでも“今日”のランキングですからね
次は【バラード編】です
。
Player (プレイヤー) 2008年 08月号 [雑誌]

¥600
Amazon.co.jp
(※2ndアルバム「シカゴと23の誓い」の特集記事&ロバート・ラムのインタビューが掲載されています)

「私が選ぶビーチ・ボーイズのベスト20+ワースト1曲」や
http://ameblo.jp/thebigthing/entry-10132953926.html(60年代編)
http://ameblo.jp/thebigthing/entry-10133883773.html(70年代以降編)
「私が選ぶビートルズのベスト20+ワースト1曲」に引き続き、
http://ameblo.jp/thebigthing/entry-10132556164.html
今度はシカゴでやってみようと言うことになりまして

【ロック&ポップス編】と【バラード編】に分けてやってみることにしました

http://www.chicagotheband.com/
【Chicago - The Official Band Website】
今回は【ロック&ポップス編】をやってみたいと思います。
ただし、
あの超有名曲「長い夜」はあえてランクに入れず、
ランクの最高峰(?)の名誉賞






(2002年のパフォーマンス)
2002年の映像の方で歌っているのは
2代目べーシストのジェイソン・シェフですが

オリジナルで歌っているのは
「素直になれなくて」でのリード・ボーカルや
ソロ時代の「グローリー・オブ・ラヴ」でおなじみの
初代べーシストのピーター・セテラですね

では、早速やってみましょう~





(※1972年、日本武道館でのライヴ

選んだ理由:1stアルバムの1曲目だから

すなわち、シカゴからの所信表明みたいな曲で、
この曲の中にシカゴの音楽的要素が詰まっていると思います。
スローもアップテンポもあり、
メローもハードもあり、
しかも、歌っているのがテリー・キャス


初期のシカゴは
レコードでは「ロバート・ラムとその仲間たち」状態となり、
ステージでは「テリー・キャスとその仲間たち」状態でありましたが、
この熱いボーカルとギター


まさに“ソウル・オヴ・シカゴ(シカゴの魂)”

初期のシカゴに並々ならぬ思いを感じている方は、
それはきっとテリーの存在に他ならないと思います。
また、私が思うに
テリーは世界で最も過小評価されているギタリストの一人だと思います

今こそ音楽メディアによる歴史的再評価を望みたいと思います

第2位:サタデイ・イン・ザ・パーク(1972年)
(※1973年のパフォーマンス)
第3位:愛のきずな(1973年)
(※1973年のパフォーマンス)
これで、
テリー・キャスとロバート・ラムとピーター・セテラという
初期のシカゴのリード・ボーカリストの曲が出たところで
後の20位までは
あえて年代順に揃えました。
順位は関係ありません


第4位:ビギニングス(1969年)
(※1977年のライヴ)
第5位:クエスチョンズ67/68(1969年)
(※日本語バージョン:1995年、日本武道館でのライヴ

第6位:ぼくらの道(1970年)
第7位:ぼくらに微笑を(1970年)
第8位:栄光への旅路(1970年)
(※1970年のライヴ)
第9位:お前が去って(1972年)
(※1972年のライブ)
第10位:ダイアログ(1972年)
(※1972年のライヴ)
第11位:グッドバイ(1972年)
第12位:お気に召すまま(1973年)
第13位:愛の女神(1974年)
第14位:高鳴る心(1975年)
(※1977年のライヴ)
第15位:追憶の日々(1975年)
第16位:無情の街(1977年)
(1977年のライヴ)
1978年にテリーが不慮の死を遂げて、
グループは精神的支柱を失いピンチを迎えますが

新しいギタリスト、ダニー・デイカスを迎えた
第1段シングル「アライヴ・アゲイン」で
グループの新しい息吹をアピールします

テリーの死去からの這い上がりを踏まえた上で
改めて「アライヴ・アゲイン」を聴くと
また違った感情が生まれてきます

第17位アライヴ・アゲイン(1978年)
(1978年のTVパフォーマンス)
第18位:ショウ・ミー・ザ・ウェイ(1978年)
その後のダニー・デイカスの解雇や
レコード売り上げの低速期を経て、
グループはLAの売れっ子プロデューサー(※カナダ出身の)
デヴィッド・フォスターをプロデュースに迎え、
1982年に「素直になれなくて」で大復活



ビル・チャンプリンを迎え、ボーカルパートを強化したグループは
時代の最先端の音楽シーンに復活を果たしたのでした。
第19位:いかした彼女(1984年)
いかした彼女(ダンス・ミックス)
ところが、
そのピーターが1985年に
チャリティーアルバム「ウィー・アー・ザ・ワールド」への提供曲
「グッド・フォー・ナッティング」を最後にグループを脱退

http://music.barnesandnoble.com/search/mediaplayer.asp?ean=081227387129&disc=4&track=16
そこでバンドは新しいべーシスト兼ボーカリストに
エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランとの仕事で有名なべーシスト
ジェリー・シェフの息子のジェイソン・シェフを迎えて、
心機一転で臨んだ第一段シングルが
なんと「長い夜」のリメイクでした

第20位:ワン・モア・デイ
http://music.barnesandnoble.com/search/mediaplayer.asp?ean=075992550925&disc=1&track=11
その後、1990年以降はヒットチャートからは遠ざかりますが、
今も精力的にライヴをこなし頑張っています。




選んだ理由:この曲のレコーディング時の演奏の覇気の無さ

一説には、この曲をしたピーターとドラムのダニー・セラフィン以外は
レコーディング時のモチベーションが




要は他のメンバーからは曲がイマイチだけれど、ピーターとダニーの書いた曲が少ないから
しょうがないから収録しようかぁ~見たいな感じだったと思われます

当時のピーターはそんな立場だったようです(

まさかその後ピーターが“ヴォイス・オブ・シカゴ”と呼ばれるのですから
信じられませんね~

(ピーター&ロバートのインタビューなど@某国営放送



(ピーターのインタビュー@夜ヒット

「ロウダウン」は残念ながらワーストになってしまいましたが

でも、ライヴはどうしてなかなかいいんですよ

(※1972年、日本武道館でのライヴ)
では、残念ながらベスト20曲から漏れてしまった曲を
ここで少しご紹介

いったい現実を把握している者はいるだろうか?(1969年)
(※1997年のパフォーマンス)
朝日よ輝け(1970年)
今は自由さ(1972年)
輝ける未来(1973年)
(※1973年のパフォーマンス)
ジャンプ・フォー・ジョイ
(※1973年のパフォーマンス)
ママが僕に言ったこと(1974年)
雨の日のニューヨーク(1976年)
ストリート・プレイヤー(1979年)
ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
(※1979年のライヴ)
スウィート・マリー
(※1984年、日本武道館でのライヴ)
ホエン・ウィル・ザ・ワールド・ビー・ライク・ラヴァーズ(1986年、※未発表曲)
A列車で行こう(1995年)
http://music.barnesandnoble.com/search/mediaplayer.asp?ean=075992461528&track=12&disc=1
リトル・ドラマー・ボーイ(1995年)
ただし…
これらランキングは
あくまでも“今日”のランキングですからね

次は【バラード編】です


Player (プレイヤー) 2008年 08月号 [雑誌]

¥600
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(※2ndアルバム「シカゴと23の誓い」の特集記事&ロバート・ラムのインタビューが掲載されています)