張さんのドキュメンタリー | FEELIN’ STRONGER EVERY DAY  Only the beginning

張さんのドキュメンタリー

先程まで“喝!!”でおなじみの
張さんの幼少期と中学時代に迫ったドキュメンタリーを見ていたが、
とても感動してしまった。

張本さんご自身
原爆に被曝されて、
お姉さまを亡くされたとは知らなかった。

イチローが現役通算安打を3000本を突破したことで
張さんの記録(プロ通算安打3085本)に再び脚光が浴びた今シーズンの野球界だが、
記録は破られる為にあるとはいえ、
そこには血のにじむ努力があってこの記録が作られたという事を
このドキュメンタリーを見ることで垣間見ることができた。


【張本勲 3000本安打達成までの軌跡】


【御意見番スポーツ イチロー3000安打】



>2008年9月3日(水)<スペシャル版>放送
>再放送:9月5日(金)、9月7日(日)

>『プロ野球解説者・張本 勲』


>3085本。未だ破られていない最多安打記録を持つ元プロ野球選手、張本勲、68歳。本名、張勲(チャン・フン)。幼い頃、オート三輪に体を押され、たき火に手を突っ込んだ。大やけどを負ったその右手と共に、彼は生きてきた。
>在日韓国人一家の次男として広島で生まれ、貧しい長屋で少年時代を過ごした。昭和20年8月6日、原爆投下。その瞬間、光に包まれたことしか覚えていない。当時5歳。夜、身を寄せたブドウ畑で、母とぼう然と過ごしたことが脳裏に焼き付いている。
>やがて、「旨いものを腹一杯食べる」ため、プロ野球選手をめざす。やけどの跡が残る右手を鍛える特訓。在日への差別・・・。そんな中、勲少年を支えたのが己の右手であり、被爆体験だった。「自分は二度死んだ(火傷と被爆)人間。どんなことでも耐えられた」。いつも正直でと言い続けた母。父親代わりの厳格な兄。野球とケンカの日々。幼年期と中学時代を軸に、張本勲の原点を見る。

http://www.nhk.or.jp/kodomodattakoro/yokoku_bs/index.html
【BShi 次回予告と放送予定 わたしが子どもだったころ】


>“天下一品の広角打法で3000本安打”

>1959年東映フライヤーズに入団、この年同期で巨人軍の王と新人賞を争い、打率0.275、ホームラン13本の成績でタイトルを手中にし、スタートから大きく引き離した。2年目から3年連続3割を打つなどすでにこの頃から非凡さをアピールしていた。少年時代事故で利き腕の右手を大火傷し左に転向、左バッティング引き腕(右)の強化に血の汗を流したおかげで左右に打ち分ける技法を身につけた。広角打法の先駆者で外角は逆らわずフェアゾーンをフル活用し安打製造機の異名をとる。首位打者は4年連続を含め7回獲得、神様・川上、天才・長嶋の6回を凌いだ。

http://www.meikyukai.co.jp/member/batter/isao_harimoto.html
【張本勲 打者 会員一覧 日本プロ野球名球会】