身代わりを操る者〜7



「ゼフォン、俺だ」

アスタロトは、膝を抱えたまま身動きせずにいた

ゼフォンに近づいた。

特徴のある緑色のくせのある髪の毛は、この監獄の

せいなのかやや煤けている。

「わかるか?アスタロトだ。お前の話しを聞きに来

た」

虚ろだった瞳を、ゆっくりとアスタロトの方へと向

けていく。


「・・・!」

ハッと我に返ったのか、ゼフォンは大きく見開いた

目をアスタロトに向けた。

何故ここに彼が?とでも言うように「アスタロト様

・・・?」と、口を何度も動かしている。

餌を求める魚のようだ。

そして突如彼は身を引くと「ア、アスタロト様!こ

の間の事は、どうかお許しを!」と、怯え震え出し

た。

ルシフェルの部屋の前で、思わず彼を責めてしまっ

た事を詫びているのだろう。

だが、そんな事はアスタロトにとってはどうでも良

かった。

「落ち着け、ゼフォン!俺は気にしてないから」

アスタロトは彼の両肩を掴むと、取り敢えず落ち着

かせようとした。

「お前はやってないんだろ?例の壁画への落書きの

事だ。な?そうだろ?」

じっと怯えた瞳を見つめ続けるアスタロト。

小刻みに首を縦に振り、身の潔白をゼフォンは伝え

た。

「そっか・・・」

掴んでいた両肩をようやく離すと、アスタロトは床

にあぐらをかいた。

「さて、お前の話しを聞こうか」


相変わらず暗く果てしなく広がる大海原では、支配

者である地獄獸が亡者達を貪り食っていた。

そんな様子に時々目を向けながら、アスタロトはゼ

フォンに語り掛けた。

「最近、お前に近づいた者はいなかったか?」

「近づいた、者・・・?」

「ああ、いるはずだ」

すると、暫く目を泳がせていたゼフォンは、ある人

物の名を呟くように口を動かした。

「ん?」

「アザ・・・アザゼル・・・」


━━━ ああ、やはり奴か!


だがアスタロトは、敢えて知らぬふりをした。

「アザゼル?で、詳しく話してもらおうか、そいつ

の事を」

「・・・はい」

少しは落ち着いてきたのか、ゼフォンは舌で少し自

身の唇を湿らすとゆっくり話し始めた。


「いつの間にかです・・・。ある日、いつの間にか

僕に近づいていたんです、あいつが」


『ある日』━━━ 。

その"ある日"が、きっとアザゼルが釈放された時期

なのだろう。

アスタロトは先を急がせず、彼が次に話し出すのを

待った。


「たいして親しくもないのに、何故かあいつはいつ

も僕に馴れ馴れしく話し掛けて来るんです。でも、

なんかこう幽霊のような・・・」

ここで彼はフッと笑いを漏らした。

「僕達のような者が、人間のように幽霊なんかを語

るなんておかしいですよね」

話しは続く。

「いつの間にか僕の前に現れ、いつの間にか消えて

いる。何か不気味な奴です」

「そっか・・・。他に何か変わった事は無かったか

?」

「いえ・・・他には・・・。とにかくあいつは、ま

るで嗅ぎ付けるかのように近づいて来るんです。僕

が何処にいても、です」

大海原の向こうで、地獄界全体を震わす咆哮を聞い

たような気がした。

「あの、アスタロト様・・・」

地獄獸に目を向けていたアスタロトに、ゼフォンは

不安気に話し掛けた。

「もしや、例の落書きの犯人がアザゼルだと?」


━━━ 間違いないだろう。奴お得意のトリックで、

ゼフォンに成り済ましたのだろう。


「俺はそう思ってる」

「でも、何故そんな・・・」

「さあな。あのな、実はお前の無実を訴えたのは、

あのサマエルなんだよ」

「えっ・・・?」

ゼフォンは信じられないという表情をしたが、まあ

それは無理もないだろう。

「それで、お前の身にいったい何が起きたのか聞き

に来たという訳なんだ」

「そう・・・だったんですか・・・」


容疑が晴れたのか━━━ 。

だが、ゼフォンの表情は暗いままだった。

彼にとって、そんな事は取るに足らない"事実"に過

ぎなかったのだ。


ゼフォンが抱える本当の苦悩━━━ 。


アスタロトは、この悩める元"縞模様の翼を持つ者"

の胸中を探ろうとした。

「なあ、ゼフォン。俺が聞きたいのはこれだけじゃ

ないんだ、実は」

アスタロトはぐっと体を前のめりにすると「ルシフ

ェルの部屋へ行った目的」と、低く囁く。

僅かだが、ゼフォンはスッと息を吸った。

自分の膝を抱えていた両腕は硬直し、再び目を泳が

せ始めた。

「場合によっては、お前をここから出してあげられ

るかもしれない」


ゼフォンの薄茶色の瞳の奥に隠された真相。

アスタロトは彼の口から"真相"が発せられるまで、

辛抱強く待つつもりだった。