身代わりを操る者〜2
仄かな灯りの下、その絵画は部屋の中に浮き上がる
ようにキャンバスに納められていた。
あと、もう一息・・・。
アスタロトは最後の仕上げにかかっていた。
それは、ガゼボの中の二人。
舞踏会場から抜け出し、森の中のガゼボで蛍と戯れ
た二人。
ゆっくり・・・ゆっくり・・・。
息を詰め、そして。
「よし!完璧だ」
ふっと軽く息を吐くとアスタロトは静かに筆を置き、
ぐっと両腕を上げ思い切り伸びをした。
オーロラの下での舞踏会場と、色とりどりの蛍舞う
森でキスをし合うガゼボの中の二人。
美しい色彩がキャンバスという宇宙に広がり、それ
は今にも舞踏会の華麗な調べが流れて来るようだっ
た。
一歩下がって仕上げを見つめるアスタロトの瞳には
、達成感と満足感で満たされていた。
だが、ちょっぴり緊張感も・・・。
『一晩一緒に過ごして欲しい』
頭の中で何度も繰り返す、ウリエルに告白したセリ
フ。
「いよいよ・・・か」
(ウリエル、早く来ないかな)
すると・・・。
コン、コン━━━ 。
(げっ!ウリちゃん?俺心の準備まだだよ!)
早く彼女に会いたくてソワソワしていたくせに、い
ざその瞬間に出くわすと、アスタロトはどうしたら
いいのか混乱してしまった。
「え〜・・・やっべ!どうしよ!どうしよ!」
部屋の中をうろうろ行ったり来たりしてると「アス
ー!いないのー?」と、ウリエルの呼び掛ける声が
ドア越しに聞こえた。
(いる!いますよ!)
慌てて仕上げたばかしの絵に布で覆い、急いで戸口
へ向かったアスタロト。
息を整え、ドアノブに手を掛けた。
そして━━━ 。
「や、やあウリエル!」
彼は声がひっくり返りそうになりながら、満面の笑
顔でウリエルを迎えた。
「ウリちゃん、やっと━━━ 」
「あのね、アス。ゼフォンは犯人じゃないわ」
「へっ?」
"やっと絵が仕上がったよ"
そう熱い思いを込め言おうとしたのだが。
「・・・?」
「ゼフォンは犯人じゃないの。聞いてる?」
「あ?ああ・・・」
「ねえ、中に入れてくれないの?」
"とうせんぼ"のように戸口で固まっていたアスタロト
を、訝しげに睨むウリエル。
「おっと!ごめん・・・。どうぞ、お嬢様」
アスタロトは座り心地の良い長椅子を用意すると、
わざとらしく、恭しい仕草でウリエルを座らせた。
━━━ ゼフォンは犯人じゃない?
でも、何故ウリエルが?
「実はサマエル様がいらっしゃったの。それでね、
あなたに伝えて欲しいって。ゼフォンは犯人じゃな
いと」
「えっ?サマエルが?」
アスタロトは、ルシフェルの背後で影のように立っ
ていた彼を思い出していた。
「どうして彼が?俺に直接言えばいいものを」
天界までわざわざ出向いて、ゼフォンの件をウリエ
ルに伝えた彼に対し、アスタロトは何か胸にもやつ
くものを感じた。
「自分はルシフェル様に仕える者だから、直接あな
たに言うわけにいかないと、そう言っていたわ」
ルシフェルに仕える者。
そうだ、彼はルシフェルの書記官だった。
そしてベルフェゴールは任務を解かれてしまったん
だった。
アスタロトは、ベルフェゴールの件はウリエルには
言わずにおこうと思った。
彼女の名前も聞きたくないだろうと。
「それでねアス、彼はこうも言ったの」
ここでウリエルは息を詰めるように、アスタロトに
伝えた。
「『身代わりを操る者』━━━ 」
(『身代わりを操る者』だって?)
「非常に狡猾な者だから気をつけるように、とも」
━━━ "あいつ"か?
「アザゼル・・・」
「えっ?何ですって?」
「アザゼルだよ。君も覚えてるだろ?天使だった頃
の彼を」
「ええ、覚えてるわ。━━━ ああ、そうそう!私に
何度も言い寄って来た事があったわ!一度炎の鞭で
追い払った事があったのよ!」
こう鼻息荒く話すウリエルだったが。
「・・・」
(あっ・・・!)
気まずい空気が流れる。
「ごめんなさい、アス・・・。あの、あなたは別よ。
いえ、あの頃は冷たい態度取っちゃったけど・・・。
て、何言ってるんだろ私・・・」
頬を赤く染め、下を向くウリエル。
「いいよいいよ、ウリエル。分かってるから」
アスタロトは笑いながらウリエルの髪を撫でる。
そうだった。
"あの頃"は皆ウリエルに夢中だったんだ。
俺だけじゃなかった・・・。
(まあ、アスモデは別として)
アザゼルも、そのうちの一人だった。
「思い出したわ、あの粘着した視線・・・」
ウリエルは思い切り顔をしかめ、両腕で自分を抱き
締めた。
アスタロトも覚えている。
いつもギョロ目をぎらつかせ、遠くから彼女を見つ
めていた彼を。
そんなアザゼルに、アスタロトは神経を尖らせ目を
光らせていたのだ。
彼女に対しての"ちょっかい"もそうだったが、何よ
りあのギョロ目の奥に潜む邪知の"臭い"を感じ取っ
ていたからかもしれない。
『身代わりを操る者』
正しく彼がそうだった。