日曜日、朝のTVは光徳寺前住職…藤田徹文さん
初回放送2014年4月6日の再放送。
自分で自分を縛っている苦しみから解放してくれる仏法の生き方、
自我中心の判断をよしとし、自と他を区別する生き方、
本来の仏教は、こうした現代人の、自分を束縛している苦しみから解放してくれる。
「身を保つ」といいますが、この身からいえることは、自分で保っているのではなく、
いろいろな人たちに、支えられ生きている、保たれているということがいえます、
こうのような意味から「人間は、生きている」というよりも「生かされている」
一人で生きているという心持で生きていると、人生が順調であるならばよいのですが、
人生に陰りが出てきて、危うくなると、身の置き所がなくなります。
気がついていなくとも、あの人、この人に支えられて生きている、
これが「おかげ様」、
その中で精一杯、やれる時にやれることをやって生きていこうということを
今この時点で気づくことです。
以上第一回目の放送のときのブログの転記です。
争いごと、
こっちの正義とあっちの正義の戦い
正義のために戦わないと言う選択、
私は「絶対」とか「この道しかない」とか
言わないで澄むなら好いと思う。
初回放送2014年4月6日の再放送。
自分で自分を縛っている苦しみから解放してくれる仏法の生き方、
自我中心の判断をよしとし、自と他を区別する生き方、
本来の仏教は、こうした現代人の、自分を束縛している苦しみから解放してくれる。
「身を保つ」といいますが、この身からいえることは、自分で保っているのではなく、
いろいろな人たちに、支えられ生きている、保たれているということがいえます、
こうのような意味から「人間は、生きている」というよりも「生かされている」
一人で生きているという心持で生きていると、人生が順調であるならばよいのですが、
人生に陰りが出てきて、危うくなると、身の置き所がなくなります。
気がついていなくとも、あの人、この人に支えられて生きている、
これが「おかげ様」、
その中で精一杯、やれる時にやれることをやって生きていこうということを
今この時点で気づくことです。
以上第一回目の放送のときのブログの転記です。
争いごと、
こっちの正義とあっちの正義の戦い
正義のために戦わないと言う選択、
私は「絶対」とか「この道しかない」とか
言わないで澄むなら好いと思う。