まぁ僕、大学で建築を専攻しておったんですけどね
デザインとかね。そういうことも勉強してましてね。
デッサンの授業とかもあったんですよ。
なんか胸像ってのかな
それを炭を使って描いたりね。
へ~そういうことやるんだぁって思ってましてね。
小中学生のころなんて特にそうだったんですけど
きれいに書けるようになるのが美術の授業の本質。
と思っていたんですけどね。
たぶん違うんでしょうね。
芸術ってのはなんなんでしょうか。
よくわからないしピカソやゴッホなんてのの
どこがすごいのかわかんねぇわけです。
んでね。
そのデッサンとかやってた大学の授業でね
粘土を使って抽象的なものを作れ
って課題が出てですね。
まぁなんでもいいって言われてもねぇ
ってみんな悩んでて
無難に友達とか家族とかそんなテーマで
で、僕はちょっと考えて
「自画像」ってのにしたんですけどね。
やりはじめたらまぁ
これが面白くってですねぇ
粘土こねるこねる。
作ったやつなんかは
今はどっかいってしまったわけですけどね。
思い出す限りですと
すんげぇ異形な手のひらから
なんか指がすんげぇ曲がってたりするやつ
そこから
こうつやつやしたきれいなイルカが出てきてて
でもそのイルカをよくみると
目玉が飛び出したりしている気持ちの悪いやつ
だったと思うんです。
それを自信を持って
「これは自画像です。つまり僕です」
と言い張っていたのですが
はっきり言って今は意味がわかりません。
なんでそれが俺?
ってなります。
でもあの時は確かに
これが俺だっ!って思っていましたね。
当時、アジモンをはじめたばかりのころでしてね。
とにもかくにもフラストレーションがたまっていましたね。
なんにしろ伝わらなかったんですよ。
ホームページを作ろうが
写真を飾ろうが
文章を書こうがなにしようが
誰もわかってくれないじゃないか
どうしたら伝わるんだ、
もっとちゃんと読んでくれよ
もっとちゃんと聞いてくれよ
俺の気持ちをわかってくれよ
とまぁ乙女。
あのときは
伝える手法、表現方法にしばりがあったんですね。
伝えたいことが言葉にできない
そんな毎日だったんだと思うのです。
そんなときに
言葉でなく粘土で表現しなさいという課題が出て
言葉で表現するしかないと思い込みを
強制的にはずされて
溜まっていたものが一気に出たんでしょうね。
作品を作り終えたときの
すがすがしい気持ちになったことを
よく覚えています。
そのすがすがしさが不思議で
なんでこんなに気分爽快なのかと
考えてですね
つまり自分は表現したかっただけなのか
なんか「この現実を知ってほしい」とか
ではなくて
「この現実を目の当たりにした僕の気持ちをわかってほしい」
というものだったのだなぁ。
国際協力?ちゃんちゃらおかしいわ。
と、気が楽にもなりました。
そんときが僕が芸術を楽しんだときであろうと思うし
芸術に触れた瞬間だと思っています。
今、粘土で自画像作ろうとしても
なんにも出てきません。
あのときと同じものを作っても
絶対、あのときのものには劣る
そう思います。
というのも
自分の中にフラストレーションがないのです。
フラストレーション
あのときはあんなに夢中になれたは
フラストレーションのせいだろう
と思います。
となると
いろんな作品を作り続ける
芸術家たちはあれ以上の
フラストレーションの中で
この世を過ごしているのかと思い
世の中の芸術家というものの
すごさというのがわかりました。
デザインとかね。そういうことも勉強してましてね。
デッサンの授業とかもあったんですよ。
なんか胸像ってのかな
それを炭を使って描いたりね。
へ~そういうことやるんだぁって思ってましてね。
小中学生のころなんて特にそうだったんですけど
きれいに書けるようになるのが美術の授業の本質。
と思っていたんですけどね。
たぶん違うんでしょうね。
芸術ってのはなんなんでしょうか。
よくわからないしピカソやゴッホなんてのの
どこがすごいのかわかんねぇわけです。
んでね。
そのデッサンとかやってた大学の授業でね
粘土を使って抽象的なものを作れ
って課題が出てですね。
まぁなんでもいいって言われてもねぇ
ってみんな悩んでて
無難に友達とか家族とかそんなテーマで
で、僕はちょっと考えて
「自画像」ってのにしたんですけどね。
やりはじめたらまぁ
これが面白くってですねぇ
粘土こねるこねる。
作ったやつなんかは
今はどっかいってしまったわけですけどね。
思い出す限りですと
すんげぇ異形な手のひらから
なんか指がすんげぇ曲がってたりするやつ
そこから
こうつやつやしたきれいなイルカが出てきてて
でもそのイルカをよくみると
目玉が飛び出したりしている気持ちの悪いやつ
だったと思うんです。
それを自信を持って
「これは自画像です。つまり僕です」
と言い張っていたのですが
はっきり言って今は意味がわかりません。
なんでそれが俺?
ってなります。
でもあの時は確かに
これが俺だっ!って思っていましたね。
当時、アジモンをはじめたばかりのころでしてね。
とにもかくにもフラストレーションがたまっていましたね。
なんにしろ伝わらなかったんですよ。
ホームページを作ろうが
写真を飾ろうが
文章を書こうがなにしようが
誰もわかってくれないじゃないか
どうしたら伝わるんだ、
もっとちゃんと読んでくれよ
もっとちゃんと聞いてくれよ
俺の気持ちをわかってくれよ
とまぁ乙女。
あのときは
伝える手法、表現方法にしばりがあったんですね。
伝えたいことが言葉にできない
そんな毎日だったんだと思うのです。
そんなときに
言葉でなく粘土で表現しなさいという課題が出て
言葉で表現するしかないと思い込みを
強制的にはずされて
溜まっていたものが一気に出たんでしょうね。
作品を作り終えたときの
すがすがしい気持ちになったことを
よく覚えています。
そのすがすがしさが不思議で
なんでこんなに気分爽快なのかと
考えてですね
つまり自分は表現したかっただけなのか
なんか「この現実を知ってほしい」とか
ではなくて
「この現実を目の当たりにした僕の気持ちをわかってほしい」
というものだったのだなぁ。
国際協力?ちゃんちゃらおかしいわ。
と、気が楽にもなりました。
そんときが僕が芸術を楽しんだときであろうと思うし
芸術に触れた瞬間だと思っています。
今、粘土で自画像作ろうとしても
なんにも出てきません。
あのときと同じものを作っても
絶対、あのときのものには劣る
そう思います。
というのも
自分の中にフラストレーションがないのです。
フラストレーション
あのときはあんなに夢中になれたは
フラストレーションのせいだろう
と思います。
となると
いろんな作品を作り続ける
芸術家たちはあれ以上の
フラストレーションの中で
この世を過ごしているのかと思い
世の中の芸術家というものの
すごさというのがわかりました。