僕は楽しくボランティアしようというような
台詞は苦手で
チームのモットーも
楽しいことをやるのではなく必要なことをやる
と勝手に決めています。
で実際、
それが僕自身できているのか
といえば微妙なところです。
それが憂鬱にさせているところがあるし
よくポジティブな考えをしようとか
ポジティブな人間が成功するだとか
そういう思考が世の中にはたくさんあって
そういうものなのかなぁと思ってしまうし
そうしなければリーダーとして失格かなぁとも思う反面
うるせぇ俺が好きなようにして何が悪い
とつっぱってしまうというか
そうしないとこれまでの僕の人間性が
否定されたようでつっぱらざるを得ない
そんな窮した気分になったりしていますし
えてしてポジティブシンキングが
リーダーとしての必須事項なのかということ自体に
結論を導きだせず僕が勝手に決めたモットーの
必要なことをやる
というものにあてはまるのかどうかということを
考えあぐねたりしています。
団体としての合理性と個人的私怨の
背反性と公私混同である
大前提にいまさらながらに気がついて
ため息をついたり
『僕はあえて
「きらきらな笑顔をあなたにも」
というようなことを言っているよ。』
と自虐的なことを言っていた
某団体のリーダーと話をしたことがあって。
僕が敬遠していることを
方便として使い前進していく人を見ると
やはり僕もそうしなければならんのだろうかと
自信をなくしたり
結局みんな方便でやってるんじゃんかと
複雑な思いを噛みしめました。
本音を言ってくれたことはうれしいし
僕の主張に共鳴してくれたわけで
それを思うと僕のような主張も
ニーズがあるという安心感を得て
ますます結論が出なくなってくるのです。
どうもこのごろ僕が感じるところを言えば
『わかっているボランティアの人』
と
『わかっていないボランティアの人』
というようなカテゴリーが生まれてきているような
気がしています。
「あの人はわかってくれていて助かるよ」
というような感じでよく使われるのを耳にします
具体的にまとめますと
・寄付をしてくれる人
・活動理念を理解してくれている人
・ちゃんと話を聞いてくれる人
・常識がある人
そんなところでありましょう。
その逆であれば
わかっていない人として少し敬遠されていますし
大変興味深い点はグレーゾーンがあって
・寄付をしてくれる
という点はあてはまるけど
そのほかの点はまったくあてはまらない人
というの人がそれに該当します。
僕が見てきたり話を聞いてきたりした印象では
「お金くれるしまぁいいか」
というような扱いになっています。
こういうのは僕が見てきた現実であるし
すごく僕の気分を憂鬱にさせる現状であるし
世の中そんなもんだよ
と簡単に受け入れられず
僕らのフェアトレード製品を買ってもらった際に
「つりはいらないから」といわれたとき
意地を張って
「おつりはもらってもらわないと困ります」
とつき返したこともあります。
つき返された人はすごく動揺していたし
大変ストレスを感じたであろうことを
感じ取ってしまって
罪悪感とともに自分の矮小さに失望したりすると
単に「お金をくれるからまぁいいか」
としているのではなく
人の好意を尊重している
ということなのだろうか。
と、やや嫌悪感も軟化してきたのだけれども
格安ボランティアツアーだとか
そんなフレーズに相も変わらず
苛立ちを感じると同時に
このフレーズを考えている人たちの
本音はどういうものだろうかと
興味がわいてきます。
「ほんとにそんな風に思っているのか
ただの寄付金と会員集めじゃないのか」
とはなはだ懐疑的です。
本音が聞きたい。
活動上、フェアトレードを主軸にしているので
フェアトレードショップの関係者の人たちと
お話しする機会が多いのですが
みなさんの愚痴を聞くと悩ましいものばかりです。
取材をしたいといってくる大学生が多いそうで、
1時間、2時間話をして
ありがとうございまいたっ!
とだけ言って何も買わず去っていく
またその後の報告もないという話は本当に多い愚痴です。
取材をしたい、フェアトレードを知りたい
その姿勢はありがたいだけれども
迎えるのにそれ相応の準備があるし
対応している時間はほかごとはできないのです。
人件費やその時間にできたであろう業務内容を考えると
一時間にでる損失は軽く1万円を超えるのです。
高校でフェアトレードを広めたいから
商品をディスカウントしてゆずってほしい
自分は本気だから。フェアトレードに対して真剣だから。
でもお金がないからなんとかしてほしい。
というような純粋な高校生の主張なんぞは
助けてあげたいがシビアに言えば
本当にフェアトレードに理解があるなら
ディスカウントというセリフは出ないであろうし
単なる子どものワガママでしかないのです。
学園祭でショーをやりたいから
商品を貸してほしいという話なんかも考えさせられます。
汚さなければいいと思うかもしれないけれども
貸し出している期間その商品は売れない在庫であって
在庫としてあるものの商品としては売れない
という損失がでているわけです。
「いっそ汚して買い取ってくれ」
これが本音というところです。
フェアトレードショップでは
のんびり働けると思っていて
仕事中に本を読むバイトの女の子の話
忙しいことを理由に振込みをしてくれない話や
委託販売の返品の数の違いがあまりに多い話
彼らの気持ちがわからないでもない。
僕もそんな大学生だったわけです。
だからこそ僕は知っていてほしいと思います。
こんなことは誰も言えないわけです。
損して得とれ。そんな風に我慢しています。
でもこのままではみんな
わかっていない人になってしまう。
それは大局的にみれば大きな損失を生むのではないだろうか。
それが近道なのだろうか。
ボランティアしてほしい人とボランティアをしてみたい人の
気持ちのずれが大きくなって進んでいるように見えるのです。
台詞は苦手で
チームのモットーも
楽しいことをやるのではなく必要なことをやる
と勝手に決めています。
で実際、
それが僕自身できているのか
といえば微妙なところです。
それが憂鬱にさせているところがあるし
よくポジティブな考えをしようとか
ポジティブな人間が成功するだとか
そういう思考が世の中にはたくさんあって
そういうものなのかなぁと思ってしまうし
そうしなければリーダーとして失格かなぁとも思う反面
うるせぇ俺が好きなようにして何が悪い
とつっぱってしまうというか
そうしないとこれまでの僕の人間性が
否定されたようでつっぱらざるを得ない
そんな窮した気分になったりしていますし
えてしてポジティブシンキングが
リーダーとしての必須事項なのかということ自体に
結論を導きだせず僕が勝手に決めたモットーの
必要なことをやる
というものにあてはまるのかどうかということを
考えあぐねたりしています。
団体としての合理性と個人的私怨の
背反性と公私混同である
大前提にいまさらながらに気がついて
ため息をついたり
『僕はあえて
「きらきらな笑顔をあなたにも」
というようなことを言っているよ。』
と自虐的なことを言っていた
某団体のリーダーと話をしたことがあって。
僕が敬遠していることを
方便として使い前進していく人を見ると
やはり僕もそうしなければならんのだろうかと
自信をなくしたり
結局みんな方便でやってるんじゃんかと
複雑な思いを噛みしめました。
本音を言ってくれたことはうれしいし
僕の主張に共鳴してくれたわけで
それを思うと僕のような主張も
ニーズがあるという安心感を得て
ますます結論が出なくなってくるのです。
どうもこのごろ僕が感じるところを言えば
『わかっているボランティアの人』
と
『わかっていないボランティアの人』
というようなカテゴリーが生まれてきているような
気がしています。
「あの人はわかってくれていて助かるよ」
というような感じでよく使われるのを耳にします
具体的にまとめますと
・寄付をしてくれる人
・活動理念を理解してくれている人
・ちゃんと話を聞いてくれる人
・常識がある人
そんなところでありましょう。
その逆であれば
わかっていない人として少し敬遠されていますし
大変興味深い点はグレーゾーンがあって
・寄付をしてくれる
という点はあてはまるけど
そのほかの点はまったくあてはまらない人
というの人がそれに該当します。
僕が見てきたり話を聞いてきたりした印象では
「お金くれるしまぁいいか」
というような扱いになっています。
こういうのは僕が見てきた現実であるし
すごく僕の気分を憂鬱にさせる現状であるし
世の中そんなもんだよ
と簡単に受け入れられず
僕らのフェアトレード製品を買ってもらった際に
「つりはいらないから」といわれたとき
意地を張って
「おつりはもらってもらわないと困ります」
とつき返したこともあります。
つき返された人はすごく動揺していたし
大変ストレスを感じたであろうことを
感じ取ってしまって
罪悪感とともに自分の矮小さに失望したりすると
単に「お金をくれるからまぁいいか」
としているのではなく
人の好意を尊重している
ということなのだろうか。
と、やや嫌悪感も軟化してきたのだけれども
格安ボランティアツアーだとか
そんなフレーズに相も変わらず
苛立ちを感じると同時に
このフレーズを考えている人たちの
本音はどういうものだろうかと
興味がわいてきます。
「ほんとにそんな風に思っているのか
ただの寄付金と会員集めじゃないのか」
とはなはだ懐疑的です。
本音が聞きたい。
活動上、フェアトレードを主軸にしているので
フェアトレードショップの関係者の人たちと
お話しする機会が多いのですが
みなさんの愚痴を聞くと悩ましいものばかりです。
取材をしたいといってくる大学生が多いそうで、
1時間、2時間話をして
ありがとうございまいたっ!
とだけ言って何も買わず去っていく
またその後の報告もないという話は本当に多い愚痴です。
取材をしたい、フェアトレードを知りたい
その姿勢はありがたいだけれども
迎えるのにそれ相応の準備があるし
対応している時間はほかごとはできないのです。
人件費やその時間にできたであろう業務内容を考えると
一時間にでる損失は軽く1万円を超えるのです。
高校でフェアトレードを広めたいから
商品をディスカウントしてゆずってほしい
自分は本気だから。フェアトレードに対して真剣だから。
でもお金がないからなんとかしてほしい。
というような純粋な高校生の主張なんぞは
助けてあげたいがシビアに言えば
本当にフェアトレードに理解があるなら
ディスカウントというセリフは出ないであろうし
単なる子どものワガママでしかないのです。
学園祭でショーをやりたいから
商品を貸してほしいという話なんかも考えさせられます。
汚さなければいいと思うかもしれないけれども
貸し出している期間その商品は売れない在庫であって
在庫としてあるものの商品としては売れない
という損失がでているわけです。
「いっそ汚して買い取ってくれ」
これが本音というところです。
フェアトレードショップでは
のんびり働けると思っていて
仕事中に本を読むバイトの女の子の話
忙しいことを理由に振込みをしてくれない話や
委託販売の返品の数の違いがあまりに多い話
彼らの気持ちがわからないでもない。
僕もそんな大学生だったわけです。
だからこそ僕は知っていてほしいと思います。
こんなことは誰も言えないわけです。
損して得とれ。そんな風に我慢しています。
でもこのままではみんな
わかっていない人になってしまう。
それは大局的にみれば大きな損失を生むのではないだろうか。
それが近道なのだろうか。
ボランティアしてほしい人とボランティアをしてみたい人の
気持ちのずれが大きくなって進んでいるように見えるのです。