言葉ってのには
ある程度、縛りをつくってしまうような気がします。
僕はここのところ
ブログを書きつつ
言葉の種類に偏りを感じています。
簡単に言えば口癖でしょうね。
たとえば
「最近」とか
「でもまぁ」とか
書き出しや文章の接続部分に
バリエーションが少ないです。
ことさら「まぁ」とか
そういう婉曲表現を多用する傾向が
強いことが気に食わないです。
今までもこのように思うことが多々ありまして
時々言葉の封印を施して書こうとしたりもしました。
ある一定の言葉を封印することで
表現のバリエーションを
増やそうとしたのだろうと思います。
ブログを書く
この状況でそういうことをしていましたが
実生活においても
表現力を増やすためではなく
言葉の封印をしていることがあります。
何年も前から
ふと思い出してはこだわっているのが
「どうせ」と「やっぱりね」という言葉です・
簡単に言えば
「どうせ」で始めたり
「やっぱりね」で終わらせる
ような会話はやめようとしているということです。
「どうせ」という言葉を使うときは
あまりよい循環を生みません。
どうせ俺には無理だよ
とか
どうせこっちが悪いんだろう
とか
自分を失墜させたり
人を見下したりする
状況です。
だから「どうせ」をできるだけ封印しています。
「どうせ」で始まる話なんて
誰も聞いても楽しくないし
言ってる本人だって楽しくない。
だから封印。
封印して自分の心の動きを制御しようとしていたような気がします・
もうひとつ
「やっぱりね」という言葉を封印しました。
あぁやっぱりね。あいつはそういうやつだよ。
こういう状況がよくあると思います。
でもよく考えると「やっぱりね」というのは
言う必要があまりありません。
わざわざ人に
自分はこうなる前から知っていたよ
っていうことをアピールするためのものです
同時に知っていてなにもしなかったということを意味します。
そう思ったら
すっげぇ恥ずかしくなったので
それも封印しました。
「やっぱりね」って言ってる自分の心が
すごく寂しいと思います。
一定の言葉を封印して
僕はこんな風に変われました
などといえるようなことはないですがー
言わなきゃわからないよ
などと今日もどこかで恋人たちがもめていますがー
言わないことで
プラスの循環を生み出せることができるかもしれません。
ある程度、縛りをつくってしまうような気がします。
僕はここのところ
ブログを書きつつ
言葉の種類に偏りを感じています。
簡単に言えば口癖でしょうね。
たとえば
「最近」とか
「でもまぁ」とか
書き出しや文章の接続部分に
バリエーションが少ないです。
ことさら「まぁ」とか
そういう婉曲表現を多用する傾向が
強いことが気に食わないです。
今までもこのように思うことが多々ありまして
時々言葉の封印を施して書こうとしたりもしました。
ある一定の言葉を封印することで
表現のバリエーションを
増やそうとしたのだろうと思います。
ブログを書く
この状況でそういうことをしていましたが
実生活においても
表現力を増やすためではなく
言葉の封印をしていることがあります。
何年も前から
ふと思い出してはこだわっているのが
「どうせ」と「やっぱりね」という言葉です・
簡単に言えば
「どうせ」で始めたり
「やっぱりね」で終わらせる
ような会話はやめようとしているということです。
「どうせ」という言葉を使うときは
あまりよい循環を生みません。
どうせ俺には無理だよ
とか
どうせこっちが悪いんだろう
とか
自分を失墜させたり
人を見下したりする
状況です。
だから「どうせ」をできるだけ封印しています。
「どうせ」で始まる話なんて
誰も聞いても楽しくないし
言ってる本人だって楽しくない。
だから封印。
封印して自分の心の動きを制御しようとしていたような気がします・
もうひとつ
「やっぱりね」という言葉を封印しました。
あぁやっぱりね。あいつはそういうやつだよ。
こういう状況がよくあると思います。
でもよく考えると「やっぱりね」というのは
言う必要があまりありません。
わざわざ人に
自分はこうなる前から知っていたよ
っていうことをアピールするためのものです
同時に知っていてなにもしなかったということを意味します。
そう思ったら
すっげぇ恥ずかしくなったので
それも封印しました。
「やっぱりね」って言ってる自分の心が
すごく寂しいと思います。
一定の言葉を封印して
僕はこんな風に変われました
などといえるようなことはないですがー
言わなきゃわからないよ
などと今日もどこかで恋人たちがもめていますがー
言わないことで
プラスの循環を生み出せることができるかもしれません。